勉強は隠れてするもの?

勉強することって、なんとなくかっこ悪い。

中高生のころは、特にそんな風に考えがちじゃないでしょうか。

なぜでしょう?


それは、勉強に2つの側面があるからではないでしょうか。

  1.自分や将来のための勉強

  2.教育(服従)としての勉強

1のみであれば、何も隠す必要も、隠れる必要もないはずです。

もちろんトップレベルになると、競争意識も強くなるかもしれませんが、

より広い視野に立てば、協力して、切磋琢磨してやっていった方がよいはずです。


一方、やらされる勉強の場合は、「やらされている」=(負けている)という心理が働くでしょうから、

隠れたくなる気持ちもわかります。



結局は、「如何にやらされている」という意識を無くさせるか?

自分や社会の未来のためのことであるか?

を意識できるかどうか、が重要になってきそうですね。


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