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『ハラールってなに?』展 (HELLO HALAL) 行って参ったでござるの巻

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出不精な貴公らに代わって、拙者この度、メッカに行って参り申した。 夕闇が迫るころのマスジド・ハラーム、 天に聳える尖塔、地鳴りのような祈りの声、 繊細な文様、悠遠な音曲の響き、 すべてが素晴らしかったでござる。 貴公らも、メッカに行かずして、結構と言う勿れ、ぞ! え? どうやって行ったかって? えー、えーっと、 銀座線に乗って。。。むにょむにょ。。。 こほん、こほん。 い、いや、今回はその下調べとして、 『ハラールってなに?』 展 に行って参ったのでござる。 彼を知り、己を知れば。。。でござるよ。はっはっは。 こういう面白いものが、江戸にはたくさんある。 10/2(木)まで、東急ハンズ銀座店7Fじゃ。 ハラールとは、イスラム法において合法であるもの。 逆に、そうでないもののことは、ハラームという。 くわしくは。。。 日本ハラール協会さん が、丁寧に教えてくださっているでござる。 人智を凌駕する神という存在を信じることで、 ややもすれば傲慢で怠惰になりがちなわれわれ人間の浅はかさを思い起こし、 自然に対して謙虚に生きる、、、 自然に対する謙虚さは、シンプルな暮らしは、 拙者も深く共感するところでござる。 (一方では、見たい、知りたい、冒険したい!という衝動も、  拙者の抑えきれない強欲、業、性なのでござるが、な) え? イスラムって聞いても、興味ない? 怖そうなイメージ? 行くの面倒くさい? ぶ、ぶ、ぶぁかもーん! 貴公らはいつもそうじゃ。    ・  面倒くさそうかどうか    ・  目先おもしろおかしいかどうか    ・  損しないかどうか、得するかどうか それしか考える基準がないのか!! 人生の豊かさの問題じゃ。 たった一度しかない人生、 何も知らず、何もわからず、ただただ楽で、安全で、 それなりにいい思いもしたかな、という人生 と、 人類の叡智に触れ、自然の驚異に感動し、 自分の全細胞を使い切ったな、という人生 と、 どっちが豊かな人生と思うか、という問題じゃ。

ぼくらが、サッカーW杯(ブラジル大会)日本代表から学んだ、1つの大事なこと (「らしさ」とは何か?)

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がんばっている人を全力で応援する、新・青山プレップスクールです。 サッカーのワールドカップ、盛り上がってないですね! 日本代表が負けてしまったからなのでしょう。 ================ いろんな事を言う人はいますが、 当事者が、大きなプレッシャーの中ででがんばった 選手、スタッフのみなさんに、 ぼくは敬意を表します。 一方で、ぼくたちはぼくたちで、 彼らの経験から、何かを学び取って、 ぼくたちの未来につなげていきたい、 そういうスタンスで、子どもたちと一緒に考えてみました。 ================ たくさんのポイントが挙げられましたが、 ぼくが一番、みんなに考えてほしいのは、【らしさ】について。 ■ 日本らしいサッカー ■ 自分たちのサッカー とは、何だったのか。 それは、ぼくたち自身に置き換えれば、 ◇ 自分らしさって何だ? ◇ ぼくらしい生き方って何だ? 自分がやっていて楽しいかどうかは、1つの重要な基準。 だけど、それだけでは、決められない。 社会の中で生きるぼくたちは、常にある程度は周囲のことを気にしなくてはならない。 たとえば、他人がすごく嫌がることを、自分も決して好きではなくても、 そこそこ我慢できるということがあれば、それはそれで「ストロング・ポイント」にできる。 他人が与えるものでもないし、「正解」があるわけでもない。 最初からうまくいくなんて、あり得ない。 試行錯誤して、失敗・惨敗・挫折・・・死屍累々を乗り越えて、 そのプロセスそのものが、 その人らしさを、少しずつ、つくっていくのだと思います。 結果は、時に残酷なものであることもあります。 今回のサッカーにおいても、何か少しの偶然の転がりで、 もしかしたら、勝てていたかもしれない可能性は、誰も否定できないと思います。 だから、結果を知ったうえで何か考えても、 あんまりおもしろくないと思うのです。 ================= 初戦: コートジボワール戦 直前の親善試合で課題となっていた、立ち上がりの守備の不安。 「ふわっと試合に

ヤクルトファンのすゝめ (サッカーW杯を観て)

ぼくは最近、人生で一番たくさんサッカーを観ています。 平均すると、1日1.5試合くらい。。。(すみません) これだけ集中してみると、いろいろと自分なりにわかること、学べることが あるもんだなあと思っております。 ================= サッカーそのものも、大変興味深いですが、 日本代表の応援も、またおもしろいなーと思って見ています。 物心ついた時から、 ヤクルトスワローズ(プロ野球)を応援しているぼくですが、 つまり、勝ったら我ことのように、俺がすごいみたいに喜んで、 負けたら、選手や監督の批判をする、 ってのは、どうなんだろうなと思うわけです。 たしかに、外野から見てあれってことは、もちろんあります。 だけど、現場の監督や選手が、ギリギリの判断でしたことに対して、 どうして情報量が少なく、経験も少ない者が、 単なる思い付きで、何の責任もない立場から、あーだこーだと言えるものかと。 『自分たちの戦いをする』 選手たちは、それが如何に難しいか、わかったうえでの、 震えながらの発言だと思います。 相手は当然、それを防ごうとするわけで、 その相手の上をいかなければならない。 一番困難な道を、極限の状態で選んで、壁を乗り越えようとしています。 『自分たちのサッカーを信じて』 それで済むほど、世界(世間)は甘くないわけで、 だけど、最後の最後、腰を据えて戦うには、 自分たちを信じるしかない。 決して、ポジティブな意味でも、そしてネガティブな意味でもなく、 ニュートラルな気持ちで、精一杯頑張ってきてほしいと思います。 勝っても負けても、(当たり前ですが) ぼくはどちらでもいいです。 選手たちが、持てる力を発揮してくれたらと思います。 そして、外野でブーブー言っている人たちには、 完全にしらけきってしまった人たちには、 一度ヤクルトファンになった方がいいんじゃない? と、アドバイスしたいです。(笑)

『本当の戦争の話をしよう』 (Tim O'Brien著 村上春樹訳)

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20年後の自分たちのための、新・青山プレップスクールです。 個人的なことで。 年に1回くらい、読みたくなります。 決して、おもしろい本ではありません。 なるほど!と納得するものでもないし、 何かのためになるということもありません。 ただ、存在感に圧倒され、 時々手を伸ばしては、打ちのめされております。。。 本当の戦争の話というのは  全然教訓的ではない。  それは人間の徳性を良い方向に導かないし、 高めもしない。 かくあるべしという行動規範を示唆したりもしない。 また人がそれまでやってきた行いをやめさせたりするようなこともない。 もし教訓的に思える戦争の話があったら、 それは信じないほうがいい。 もしその話が終わったときに君の気分が高揚していたり、 廃物の山の中からちょっとしたまっとうな部品を拾ったような気がしたりしたら、 君は昔からあいも変わらず繰り返されている  ひどい大嘘の犠牲者になっているのである。 本当の戦争の話には一般法則というものはない。 それらは抽象論や解析で簡単にかたづけられたりはしない。 往々にして、本当の戦争の話には話のポイントさえ存在しない。 それは本当の話なのか? あることはたとえ実際に起こったとしても、 なおかつまったくの嘘っぱちでありうるのだ。 あることは実際に起こっていないかもしれない。 でもそれは真実以上の真実でありうる。 結局のところ、 言うまでもないことだが、 本当の戦争の話というのは、  戦争についての話ではないのだ。  絶対に。 それは太陽の光についての話である。 それは君がこれからその河を渡って山岳部に向かい、  そこでぞっとするようなことをしなくてはならないという朝の、 河の水面に朝日が照り映える特別な様子についての話である。 それは愛と記憶についての話である。 それは悲しみについての話である。 それは手紙の返事をよこさない妹についての話であり、 何に対してもきちんと耳を傾けて聴こうとしない人々についての話である。 長い引用になりました。 前の仕事の時によく考えたことです。

新・青山プレップスクールからのお願い。(世界中の寺子屋とつながろう)

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20年後の自分たちのための、新・青山プレップスクールです。 いま、新・青山プレップスクールでは、 ★ 想像力を刺激する ★ 多様性を実感する ★ 将来のセーフティネットとしての ネットワークづくりに、ご協力いただける方を求めています。 ==== 【 窓の向こうの同窓生(仮) 】 ==== 【 目的 】    日本各地、世界中の子どもたち(日本語をベースに考えています)の緩やかな    ネットワークをつくることで、    ★ 同じ日本、同じ日本人の小学生・中学生・高校生でも、こんなに違うんだ!       という経験を通じて、好奇心を刺激し、理解を深め、想像力を高める。    ★ 知識・技能の伝達だけでなく、学ぶ姿勢・困難克服の経験だけでなく、       共に学んだ同窓生が、日本各地・世界中にいることになる。       将来自分たちの未来を切り開く際の人的インフラを残す。    ★ 苦労が多いけど、決して儲かるわけでもない、       でも、子どもたちにとって大切な、小さな学び場の相互連携・相互補完、       小さいからこそできる、細やかなサポートの充実化と、       新規教育事業の活性化を促す。 【 何をするのか 】    各教室の映像・音声を、双方向接続し、    子どもたちが自由にやり取りできる環境を用意する。    ただし、授業・教育内容そのものは基本的に各拠点で行うことを主とし、    密に連携した授業、合同授業などは、イベント的に行う。 【 何ができるのか 】    ・ 「え?こっちは夕方なのに、パリは朝なの?」    ・ 「え?北海道は真っ暗だけど、沖縄はまだ昼みたいだよ」    ・ 「わー、口永良部島、台風来てる」    ・ 「ひゃー、秋田、雪降ってる」    ・ 「そんな行事あるんだ!」    ・ 「当たり前だと思ってたけど、これって珍しいんだ!」    ・ 「クモ、でかっ!」    ・ 「いろんな方言、おもしろい!」    ・ 「東京の子って、こんな時間まで塾で勉強してるんだ。。。」    ・ 「大手

川中島合戦に参加してきました。(一雑兵の手記より)

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20年後の自分のために、小さな新・青山プレップスクールです。 時は、平成26年、4月の20日。 戦国最強と呼ばれた、 甲斐の武田信玄と 越後の上杉謙信の合戦が、 450年の時と、多少場所を変えて 繰り広げられました。 今回は、なんと特別ゲスト(!)として、 鳴かぬなら殺してしまえ 織田信長公 鳴かぬなら鳴かせて見せよ 豊臣秀吉公 鳴かぬなら鳴くまで待とう 徳川家康公 さらには、 上杉ゆかりの武将として、直江兼次公、 そして、前田慶次公は、 なんと忍者隊を引き連れての観軍となりました。 前哨戦である火縄銃での応戦のあと、 いよいよ出陣でござる。 此度は、雑兵の一人としての参戦でござった。 歴史の表には決して現れてこない、雑兵の気持ちを たっぷりと堪能できたでござる。 雑兵の気持ちその1:  「どっちでもいい」    所詮、おれらは急遽、集められた雑兵。    敵が憎いわけでも、勝ったら人生が変わるほどの    褒美がもらえるわけでもないんだよね。    怪我だけしないようにしよう。 雑兵の気持ちその2:  「雨は嫌」    雨だけは勘弁してほしいっす。    事前の天気予報では、雨だったのですが、    何とか持ちこたえてくれて良かった。 雑兵の気持ちその3:  「派手なのかっこいい」    副将や大将、そして親方様とかは、    衣装が派手。    その分、敵からも目立つし、重くて動きにくいけれど、    それ以上に、金がかかっているものを着てると、    本当の力以上のものが出るんじゃないかと思う。    おらも、あんな鎧兜が欲しいな~。 雑兵の気持ちその4:  「背後が気になる」    草食動物って便利だな。    敵に襲われるということ以外にも、旗指物が人や木にぶつかって、、、 雑兵の気持ちその5:  「敵が強く見える」    敵の武田軍は、赤揃え。    赤は膨張色で大きく見える。    あっちの方が強いんじゃね?    今度は、あっち側で参戦したい。 雑兵の気持ちその6:  「鉄砲とか、まじ怖い」    

(家庭学習のヒント) 図鑑学習

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20年後のぼくらのための、新・青山プレップスクールです。 未就学児や、小学校低学年の子を中心に、 時々やっている図鑑授業を、ご紹介します。 ぜひ、おうちでもお試しください。 子どもたちが大好きな、動物や恐竜、電車。。。 最近では、ユニークなテーマに沿った図鑑など、 たくさんの魅力的な図鑑があります。 ぼくの自慢(?)は、これ→ 『地球博物学大図鑑』 何といっても、スケールがでかいです(名前の)。 この図鑑を使ってどういう授業をするかというと、 今のところ、うまくいっているのは、 ◇ 名前を調べる ◇ 分類整理する ◇ 順位付けする、並べる といった授業です。 ◇ 名前を調べる    名前というものに、もっと興味を持ってほしい。    名前ってとても重要だよ。    名前のことは、いつか詳しく書きます。 ◇ 分類整理する    好きなページをカラーコピーして、    (ここでは)動物ごとに、切り分けてバラバラにします。    これらを、自由な観点から、分類するということをやってもらいます。    何を基準として分類するか。    すべてが、分類の中にきちんと納まるか。    うまくいかないことがあっても、あまりあれこれ言わずに、    自由にやってもらう方がいいと思います。    そして、できた分類について説明をしてもらって、    言いたいことがあってもちょっと我慢 (← ここ大事です!)    なるほどと感心してください。良いところを見つけてあげてください。    分類、整理は、これから先の学習の目に目えない基礎部分になります。    何度も何度もやるのが良いと思います。 ◇ 順位付けする、並べる    これも、子どもたちは大好きです。    いろんなランキングを作ってもらいます。    名前順、大きさ順、色順、好きな順、かわいい順、かっこいい順、キモイ順、、、    いろんな順番で並べてください。    そうした中で、    ★ 順番の数え方について    ★ 50音の順番について    ★ 長さの数え方について    など、さまざまな話題を振って、興味を持っ

7年間、ありがとうございました。

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 この4月1日で、 なんとぼくの社会人生活も、20年となりました。 日本では、満20歳となれば成人とみなされます。 社会人として赤ん坊だったぼくも、 社会人として成人らしく振る舞わなければならないのでしょう。 その区切りとしてといってはおかしいのですが、 2007年に、スタートした青山プレップスクール。 ぼくにとっては、まったくの門外漢で、はじめは右も左もわかりませんでしたが、 【ぼくたち団塊ジュニアより下の世代】には、 ぼくたちとは異なる学び方が必要だと、考えたからです。 これまで通り、今まで通り、先輩がやってきたように。。。 それが通用しない時代になってしまうこと、 一方では、新しい可能性が開かれていること、 【学び方】さえ身につけていれば、 どんな困難でも、新しいことでも、ひるまず挑戦できるよ。 そんなことを、あのつまらない(笑)、学校の勉強を通してすら、学べるよ。 そんな青山プレップスクールだったのですが、 この区切りに、いったん休止することにしました。 短い期間だったかもしれませんが、 ぼくにとっては、まったくの新しい挑戦で、 たくさんの生徒さんに恵まれて、幸せな日々でした。 計: 14,964コマ これが多いのか少ないのか、よくわかりません。 ただ、その1万5千回すべてが、 ぼくにとっては、一対一の真剣勝負であり、 一期一会の出会いであり、 一コマたりとも、流すような授業はしていないと自負しています。 同じことを教えるにしても、その子その子で理解の仕方は違いますし、 同じ子であっても、その日その日の状態は異なります。 そして、うちで勉強した本当の成果は、20年後にはっきりすると信じています。 その他、細かいところのこだわりとしては、 一. 営業活動(生徒集め)、勧誘、引き止めなどしていないこと 二. 流行や他社の真似をしていないこと、同業者で群れたりしていないこと 三. 既存のものにとらわれず、よりよい方法を考え続けたこと 四. 労力を惜しまなかったこと 五. 何より自分が一番勉強し、成長したなと思えてしまうこと 六. 新しいアイディアをたくさん得たこと 七. 心穏やかに、ほがらかに

勉強とスポーツの似たところ

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 いつの間にか、高校野球も始まっていました。 そんなことも気づかずに、 右のような本を読んでいるなんて、 【運動バカ】を目指していた高校生のころには 想像もつきませんでした。 といっても、それほど勉強嫌いだったわけでもなく、 ちょっと地味めのものに(笑)、 いろいろ興味を持っていたように思います。 学校の成績は、、、大したことなかったですが、、、 一度だけ、数学の模試でものすごくいい成績を 取ったような気もしています。 (いいと言っても全国1位とかそんなんじゃないです(笑)) 何者でもなかった、ただ漠然とした期待感だけがあった。 あの頃、ぼくたちの周りにあった光子の中には、 いま頃、こと座のベガあたりを飛んでいるかもしれません。 ぼくという粒子も、ブラックホールに吸い込まれることなく、 広い宇宙の中を、飛んでいます。 コースはずいぶん変わりましたね。 昔は自分のこと、目先のことしか所詮考えていませんでしたが、 今は子ども世代のこと、20年後のことしか考えていないように思います。 ★ 勉強とスポーツの違い ★ 特に男の子の場合、スポーツが好きな子は多いですね。 そして、スポーツが得意な子の中に、勉強が好きではない子も多いですね。 「おれは、そっちじゃない!」 と思っている雰囲気がプンプンします。 でも、何がそんなに違うのかな。 さわやかさは、決定的に違うね。    スポーツの人に比べて、    傲慢だったり、陰湿だったり、不摂生だったり、    だらしなかったり、引き際がみっともなかったりするだろうね。    でもそれって、本当はあんまり勉強してない人たちだと思うよ。 おもしろくない?    本当に?それって単にできないだけじゃないの?    できたら、楽しいんじゃないの?    その程度の好き嫌いは、認めません(笑)。    自分ができないからって、対象(相手)まで否定するな! こんなの役に立たない?    本当に?    球を投げたり、打ったり、わざわざ足で蹴ったりすることも、    何の役にも立たないでしょ。    人間役に立たない

小学生にとって大事なこと

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 今の仕事を始めて、 子どもたちとたくさん接するようになってからずっと、 頭を悩ませていることがあります。 誰か助けて。 ================== それは 今の小学生って、祝日とか、いつから春休み(夏休み・冬休み)かとか、 重要な情報じゃないの? ということ。 自分の記憶が間違っているのかもしれないけれど、 ぼくが小学生のころは、 祝日(つまり、特別に学校が休み)って大切な日で、 何して遊ぼうか、早く来ないかなと、心待ちにしていたように思います。 連休なんてあろうものなら、ものすごく幸せ! 誕生日やクリスマスほどでないとしても、 記憶すべき日であったと思うのです。 もしかしたら、『ドラえもん』のおかげかもしれません。 【ぐうたら感謝の日】 つまり、のび太レベルだった(今も?)ということ? ところが、ぼくが普段接する子どもたちは、 祝日とか、いつが終業式かということを、あんまり知らないんですね。 興味ないみたい・・・ 中学生や高校生でも、知らない子結構います。 どうしてなんでしょう? ======================= とりあえず、仮説として考えていることは、以下の3つです。 【仮説1】 休み多過ぎ    ぼくが子どものころから比べて、祝日は増えましたし (みどりの日、海の日)    また、ハッピーマンデーとやらで、日付が不確定になりました。    有り難味も何もないんだろうな。 【仮説2】 予定を立てない    今の子どもたちは、とっても忙しいです。    休みとあれば、やれ○○に行く、○○をする、    というの前から、おとなが決めてしまっていることが多いのではないでしょうか。    極端な例では、ある中学生は、    夏休みの1か月前に、すでに、「今年の夏休みは空いている日が3日しかない」    といっていました。 【仮説3】 遊びが変わった    今の子どもたちは、ゲームで遊ぶんですね。    ゲームをするのであれば、ちょっとした空き時間にもできるし、    友達と約束をする必要もありません。    これが、野球をしたいと思ったら、そうはいきません。    

児孫のために美田を買わず

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 ことわざなど好きで、 おとなになって、今とは違う仕事をしているときも、 突然、『ことわざ辞典』みたいのを買ってきて 眺めていることがありました。 =================== 『児孫のために、美田を買わず』 西郷隆盛の言葉だそうですね。 =================== ぼくのまったく個人的なことになりますが、 今の仕事をするようになったきっかけは、 「子どもに、何を残せるんだろうか」 と思ったことからでした。 前の仕事を続けていれば、 いわゆる裕福な生活ができ、だいたい欲しいものを買ってあげ、たまに豪華なもの食べて、 広いおうちに住んで、家族で海外旅行などもし、 いわゆるいい学校に入るために、お受験とかもしたんでしょう。 それは、いわゆる幸せな家庭で、 親の目の届くところで、不自由なく育っていって、 本人も、それを満足していて。。。 悪くない。 しかし一方では、 その幸せは、親のエゴじゃないかな、とも思ったのです。 もし、子どもの頃が一番楽しかったよね。。。ということになったら、ちょっと悲しい。 おとなになった時に、『今が幸せ!』と感じてほしいし、 そのために努力もし、我慢もし、自分でつかみ取った幸せを実感してほしい。 子どもは親のペットではない。 狩りの仕方、敵からの逃げ方、戦い方、困難に陥った時の生きる知恵・・・ ぼくがすべてを知っているわけではないけれど、 ぼくが学んだことの一部でも、伝えられたらな。 いやー、そんなの面倒くさい。。。 お金さえあればいいんじゃないの?          じゃあ、いくらあれば安心なの? 赤信号みんなで渡れば怖くない。          怖くなくても、事故に遭うよ。 面倒くささを脇に置いて、全体状況から考えてみました。 天の時、地の利、人の和。 ◇ 人口減少問題は、とうの昔から見えています。    問題の先送りは、今に始まったことではありません。    多数決の支配する政治での解決は、ちょっと期待できない。    時代が激しく動いている中で、硬直化した教育システムは、ちょっと頼りない。    時

一条天皇と后たちのものがたり 『源氏物語の時代』

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 女の子の進路相談って、 男の子以上に難しいと感じています。 男女を区別するなんて、古臭い、偏見だ。 そう見られるのもある程度覚悟の上で、 やっぱり、男の子にアドバイスするときと違う要素まで 考えてしまいます。 そんな個人的な悩みを持ちつつ、 『源氏物語の時代 - 一条天皇と后たちのものがたり』 読みました。 =================== 本書は、     「言葉も生活も、これだけ古典世界を離れてしまった以上、      今は研究者にこそ<伝えてゆく>責務があるのかもしれません。」 と、『はじめに』にあるとおり、とても丁寧に、一貫した落ち着いた口調の中で、 ぼくのような古典に疎い者でも、その世界観を少し感じ取ることができ、 さらなる興味を引き立てる、そんな本でした。 現代のぼくらの理解を少し助けてくれるために、 それぞれの人物が少しずつ個性化されていますが、 決して無理のあるものではないと思いました。 むしろ、できるだけ先入観を取り払って、具に資料を読み込んだ中で、 自然に浮かび上がってくるもの。 生真面目で、自分を抑え、理想と現実のはざまで理想の側に軸足を置く一条天皇。 藤原摂関家の父と受領階級の母を持ち、 明るくて華やかで、教養深く、細やかな優しさで周囲を包む定子。 定子によって教養が、理想へのあこがれを強くする一条天皇。 後見をなくした定子と一条天皇の、誰も止めることのできない愛。 定子の悲しみを背負う清少納言。 無垢な彰子。 一条天皇の心は定子にあることに気づきながらも、寄り添おうとする彰子。 定子の遺子に愛情を注ぐ彰子。 彰子をかげから支える紫式部。 八十七年の生涯を終えるまで、一条天皇を語り、天皇家を守り続けた彰子。 その他さまざまな人物や事件が、 豊富な古典知識ともつながって、 『源氏物語』の人物や場面に、結晶化されていったのでしょうか。 個人的には、頼道という人に興味があります。 さて、はじめの話に戻って。 流行りのコミュニケーション能力やグローバル人材でなくても、 地に足の着いた、しっかりとした

1+1=2、とは言えないよね。 (算数を見直そう。まずはたし算から)

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 1+1は、3にも4にもなるよね、 っていう、ビジネス本的な話ではありません。 2進法を使ったりという、難しい話でもありません。 小学生が、普通に、ふつーに経験すること。 ============ 言ってしまえば、なんだ、と言われますが、     問。 1Lの牛乳と、1dLの牛乳があります。       あわせて何dLでしょう。 あ、バカにしないでくださいね。 これ(単位変換)って、つまづきやすいポイントです。 その話は今回は置いておいて、 単に数字を足し算すればいい、ということじゃないという例として、 もう少し、別の問題を。     問。 リンゴが1つあります。みかんが1つあります。       あわせていくつでしょう。 小学校1年生の教科書に出ていそうな問題ですよね。 でも、この問題おかしい!と思うのはぼくだけでしょうか。 この辺から、ちゃんと考え直して、問題を作るべきだと思うんです。 もう少し極端な例にしていきますね。     問。 アリが1匹います。クジラが1匹います。あわせて何匹でしょう。     問。 アリが1匹います。折り紙が1枚あります。あわせていくつでしょう。     問。 あきらくんは、身長130cm、体重30kgです。あわせていくつでしょう。 もうここまで来れば、明らかにおかしいですよね。 「足せない」 もしくは、「合わせても意味がない」。 戻ります。     問。 リンゴが1つあります。みかんが1つあります。あわせていくつでしょう。 りんご1つ、みかん1つ。 数字上、足し合わせれば、2つになるけど、 それで何がしたいのでしょう? 何がわかるというのでしょう? みかんなんて、剥けばたくさんになっちゃうし・・・ 意味を考えると、逆にわからなくなる。 むしろ、意味を考えない方が、算数はできることになってしまう。 足す、合わせるという操作は、 同等のもの、同種のもので、 その後、同じように扱っていいもの、扱いたいものに対してのみ為される。 そんなこと、誰も教えてくれないのですが、 それが当たり前として、自

学校選びが、とても悩ましい件 (中学入試編)

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 どこかの、かっこいい学校に入ることが、 勉強の目的ではない。 そうはいっても、どこかの学校を選ぶ必要は出てきます。 ぼくもよく相談を受けるのですが、 とても悩ましいと思っています。 今回は、中学入試編として、 今時点で感じていることをまとめておきます。 ======== 東京および近郊で、中学を選ぶとすれば、選択肢は主に、以下のようになります。 A: いわゆる御三家と呼ばれる学校に代表される難関私立校 B: 大学の付属校 C: 中堅の私立校 D: 女子校 E: 公立中学 F: 中高一貫の公立中学 ぼくが知っている限り (つまりは、そこに通った生徒さんを見たり、生徒さんから聞いたこと) で、 それぞれの良いところ、物足りないところを挙げると、 以下のようになります。 A: いわゆる御三家と呼ばれる学校に代表される難関私立校    ○ 授業内容は、さすがと思えるものが多く、      そういう環境で勉強できることは、幸せだろうな。    △ 授業内容は、かなり抽象的な高度なレベルになるので、      一度ついていけなくなると、挽回が大変。      すると、特に男子なんかは、勉強じゃない方向に意識が向いてしまうことも。      ○成で成績が下の方でも、世間的には勉強かなりできる方だからね      逆に、ギターやサッカーが、○布で一番うまくても、世間的には・・・      中学生であれば、いろんなことに興味を持つことはいいと思いますが、      そして、勉強も別にやれば、遅くとも高3までには追いつけるであろうに、      投げ出さないでね。 B: 大学の付属校    ○ こちらも、考えられた授業や、先生の意気込みを感じる授業があります。    △ 生徒側が、そのテンションについていけないことが、ままあるかなあ。。。      ある意味、既得権者になってしまって、      このまま大過なく、ほどほど、そこそこやっていればいい、      ということが、先輩などを通じて、伝わっているんじゃないかなと感じます。      おもしろがって、「よーし、やってやろうじゃないか!」と思えれば、     

親よりバカな塾

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20年後の未来のため、青山プレップスクールです。 受験なんかを経験すると、よくわかること。 ぼくがどんなにがんばっても、 親のばかさには、なかなかかなわない ってことです。 日々の中ではですね、 わりと、ぼくも健闘していると思うんです。 先々のことを考えて、 その子の特性や、周りの環境を考えて、 今、何を学ぶのがベストか? 今、何を伝えるべきか? まあ、こっちはそれしか考えていないわけですから、 それ以外のこともたくさん抱えていらっしゃる、お父さま、お母さまに対しても 言えることがあったりするんです。 テストで点取るにはどうするかとか、 ○○算は、どう解くか、 とか、そんなどうでもいい (あ、言っちゃった) ことでなくて。 何を褒め、何に対して 『ダメ!』 というのか、 その言い方はどうしたらいいのか、 困難に直面したとき、 そもそも、困難に遭わないように、こちらで準備しておくのか、 解決策を教えてしまうのか、一緒に考えるのか、突き放して自分で考えてもらうのか、 油断、慢心、怠け心が出てきたときに、 ガツンとやるのか、痛い目に遭うまで放っておくのか、もっと調子に乗らせるか・・・ 100人いても、誰一人、同じ子はおらず、 一人ひとりも、その時々で違って見えることもあるので、 はっきりいって、大変です。 こんな大変なこと、バカじゃないとしないと思うんです。 賢い人は、手を出さないです(笑)。 でもどんな賢い人でも、いったん親となると、 そうもいかない生命の神秘。歴史のマジック。 その矛盾、その葛藤やいらだたしさ、 それでも見捨てようなんて考えてもみないし、 (仕事なら、見切りをつけることも大切なはず) 同時に存在する、何とも言えない充実感のようなもの・・・ そういう気持ちを共有しながら、『親よりバカ』を目指しています。 できることは、全部してあげようと思って、 あー、命削ってやってるな、と思うときもあります。 でも、でも、当たり前と言えば当たり前と言えるけれど、 共有している時間も、質も、 やっぱり圧倒的ですよね、親って。  (いまさらながら) 山よりも高く、海よりも深いです。。。 それを痛感しながらも、 でも、だからこそ

『なめらかな社会とその敵』  なるほど、しかし詰め込み過ぎ?

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 この本も、ずいぶんと長く、『積ん読』してしまいました。 ============== ざっくり超概要 ◇ 核と膜    生物は、コントロールの主体となる核と    個体と環境を隔てる膜からなる。    多細胞生物になると、    脳と皮膚が同等の役割を担う。    社会においても同様、    コントロールする主体である政府(国家)と    他と隔てる国境が存在する。 ◇ なめらかな社会    従来の社会は、膜がはっきりしていた。(ステップ関数)    膜の内側か/外側か、ON/OFF、1/0であった。    著者が理想と掲げるなめらかな社会は、    この膜の役割を、あいまいにする社会である。(シグモイド関数のモデル)    一個人が、何かの組織なり、社会なり、国家に、完全に所属するのではなく、    複数の組織に、分散的に、配分して所属する社会である。    ◆ なめらかな貨幣(PICSY)       商品の購入代金が、販売者のみに渡るのではなく、       商品に携わったさまざまな人に、電波的に伝わる電子的なネットワーク貨幣。    ◆ なめらかな政治(分人民主主義)       これからの社会問題は、一国の国内問題に限らない。       民主主義も、伝播委任ネットワークを使って投票システムを構築する。    ◆ なめらかな国際関係       国家は、「敵」を想定することで、国内の結束を高めた。       国家が定めた敵(公敵)に対して、個人は特別に敵視はしなくとも、       国家として、自衛のための戦争を繰り広げている。       公敵なき社会を目指す。 ◇ コンピュータと人間(社会)     チューリングの考えた万能機会主義時代から、     アラン・ケイが描いた身体環境主義、     インターネットの普及以降のネットワーク主義の特徴をそれぞれ明らかにし、     リアルとバーチャルが併存するパラレルワールドを描く。 もっともっと縮めて言えば、 今あるコンピュータ技術を前提とすれば、 まったく新しい社会を設計できるんじゃないの?

第一志望に合格しなかった、その事実を受け止めるところから出発しよう

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 いろいろな想いが、交錯する季節です。 先日は、第一志望に合格した子に向けて話したことでしたが、 第一志望に合格しても、大して褒められないなんて・・・ 今回は、そうでなかった子に対してです。 ================== ぼくはこの1年、○○君のことをよく見て来たから、 限られた時間の中で、完璧とは言えなくても、よくがんばった、 あと一歩のところまで行っただけでも、心の中では大したもんだと思っています。 ちょっと、昔話ね。 (昔と言っても、最近だよ) ぼくも、大学受験は、第一志望はダメでした。 意外といけそうな気もしてたんだけどね。 ぼくなりに悩んで、でも、入れてくれると言ってくれたところに、行くことにしました。 結果的には、それはぼくに必要なことだったのだと思っています。 なんだかんだ言っても、あんなちゃれけた勉強で、東大なんか入ってたら、 ぼくみたいな性格だと、よほどよほど、鼻持ちならないロクでもない人間になっていただろうから。 別の観点から言えば、 ぼくもしつこいもので、1学期の間は、いくつかの大学に勝手に入っていって、 授業をのぞいてみて回ったの。 本当に求めているものはあるのかなって。 結果としては、(残念なことだけれども)、どこも大して変わらない。 じゃあ、とっとと卒業したほうがいいんじゃないかと思いました。 ちなみに、学生の浮かれ具合は、学校によってちょっと違ってておもしろかった(笑)。 別にここで人生決まるわけでも何でもない。 次の決戦にそうなえよう。 もう少し昔の話ね。 幕末。 吉田松陰が処刑される直前に、高杉晋作に言ったこと。 その頃晋作は、松陰を心酔していたから、先生が死ぬなら、俺も役人何人か殺して死ぬと思っていた。 それに対して、松陰先生は、    『 死して不朽の見込みあらば いつでも死ぬべし。     生きて大業の見込みあらば いつでも生くべし。』 きびしー。 これをぼくは、高校生の頃に知ったんだけど、 かなり困ったね。    不朽の見込みも、大業の見込みも、ないですけど・・・ いまだにないけどね。(笑) でも、どちらか

青山プレップスクールの『売り』

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 オリンピックも終わり、 受験もほぼ終わり、 卒業の季節が近づいてきました。 先生をしてくれている東大生たちも 年々、少しずつ入れ替わっていきます。 新しい先生が来た最初の日、 みんな一様にびっくりして帰るのは、 「(生徒さんたちが) みんなとてもいい子だ!」 ということ。 それ以前に、家庭教師や塾講師を経験したことのある人もいますが、 それをみんな口にします。 多少のリップサービスもあるかもしれませんが、(笑) ぼくは真に受けています! ============= 別に売り出しはしませんが、 生徒たちが素晴らしいことが、青山プレップスクールの一番の『売り』です。 (って言われても、困りますよね。だから、あんまり言いませんが) 残念ながら、謙遜とか、そんなことでもないです。 客観的に見て、何が一番クオリティが高いかというと、生徒です。 いやー、そんなんじゃー、まずいですよね。 だから、ぼくもがんばります。

(速報) 計算力と、算数・数学力の、理不尽な関係

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 最近、iPhone の Ninimaths というアプリにはまっています。 これを使って、とても簡単な実験をしています。 20~30人ですが、ちょっと意外な結果になっています。 ★ 計算力と、算数・数学力は、ほとんど関係がない じゃあ、何と関係がありそうかというと・・・ ★ 計算力と、年齢は、関係がありそう えっ・・・ ただ、年齢が増えれば、計算力は増すの? 実験は、さまざまな子どもを対象に、 1ケタ同士の足し算・引き算・掛け算の混ざった問題を 30問解いてもらって、 その得点 (スピードも加味された、Ninimaths のアルゴリズム) で評価しています。 細かな実験データは集計中ですが、 おおざっぱにいえば、算数・数学の成績にかかわらず、 また、この子は数学できるな、とぼくが日頃思っていることも、ほとんども関係なく、 ごくごく単純に 小学校低学年: 10点台 小学校高学年: 20点台 中学生: 30点台 高校生: 40点台 ほぼ、このようなデータになります。 ちなみに、ぼくが何回かやって、最高は49点。 東大生たちにもやってもらって、みんな40点台。 ムキになった法学部生が最高得点で、51点 (笑)。 ↑ 別の話ですが、こういうことは、良いこと! ====================== どうして、このような結果になるのか、 観察しながら、考えています。 今のところ考えられるのは、、、以下の2つ。 ★ このくらい簡単な計算だと、    数学できない子でも、それなりに量をこなしてきており、    経験『量』が、結果に影響している。 ★ このくらい簡単な計算だと、    計算力よりは、反射神経や、器用さ、『テキパキさ』が、結果に大きく影響する。 ====================== これらから、さらに、今後の指導に向けて考えられること ◎ やたら難しい計算をたくさんやることに、意味はないのではないか。    計算ができても、数学はできないことはいくらでもある。    逆

集中したい、集中力を鍛えたい、、、「集中しよう!」と思っても、おそらくうまくいかない

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 集中力がない! 子どもたちだけでなく、保護者の方にとっても、 またお仕事をされている方にとっても、 大きな悩みのひとつ、、、、ですよね。 ぼくも、それが最大の悩みです。 「集中しよう!」 と思って集中できるくらいなら、苦労はない。 「集中しなさい!」 って怒鳴ったって、逆効果。 いったい、どうすりゃいいの? と。 =========================== 毎日、子どもたちに教えている中で、最近ちょっとわかってきたように思います。 ■  気が散るものを遠ざける ことは、当然必要だけど、現実的には限界があります。 できる範囲で、遠ざける。 ■ 深呼吸したり、目を閉じて、 心を落ち着かせる ことも、 初動動作としては必要です。 そのうえで、 ★ これからやること、その結果について、 ありありと想像を巡らせる こと が、かなりかなり有効です。 子どもたちの場合は、自分では難しいので、こちらが手助けして、 ◇ これからやることは、どういうことなのか    場面、登場人物、使える道具、聞かれていること・・・かなり細かいところまで ◇ どのように、それがわかるようになるのか    たいていの場合は、情報整理 最初にゆっくりと話していくと、   ← かなりゆっくり かなりいい確率でスムーズに進むように思います。 (結果については、あまり考えない方が、率が高いように思います) 自分の頭で具体的に想像できれば、脳は勝手に、嫌でも(笑)、集中してしまう。 逆に、想像できないことは、いくら強制されても、想像できるものの方へ意識は向いてしまう。 当たり前か。 想像力って大事だな、と最近特に思います。

第一志望に合格しても、大して褒められないなんて・・・

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 (*画像はイメージです*) 受験シーズンも、 徐々に煮詰まってまいりました。 まだまだこれからの子もいる一方で、 見事、第一志望に合格して、 「これにて終了!」となっている子もいます。 でもね、、、 受かった子には、ぼくは厳しいんです。 ◇ 選ばれたということは、もちろん気持ちとしてはうれしいけれど、    それ以上に、期待に応える義務を負うことになることを忘れないでね。    これから、どうするか?    どのように周囲の期待に応えていくか?    今のプランを聞かせてください。 ◇ 合格したということは、合格しなかったほかの全員の子たちへの義務も負っている。    本当に入りたくて、一生懸命勉強して、本当に能力あっても落ちている子もいる。    その子たちの分まで、自分が代表して、これから生きていく覚悟はありますか。 まあ、実際ここまであからさまには、いうことはありませんが、 スタンスとしてはこんな感じです。 これ、別に、受験に限らず、 試験を突破して公務員になった時、会社に入った時、 選挙に当選して政治家になった時、 結婚して、夫または妻となった時、 仕事を頼まれた時、お金をいただいた時、 ・・・ 同じだろうと、ぼくは思います。 これまでの努力は、もちろん評価します。 でも、本当に大事なのは、これからです。 合格おめでとう。

自分の目で見たものに感動できる心が、科学の第一歩

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 右の本は、 マイケル・ファラデー が、70歳の時に行った ロンドンでのクリスマス講演の様子を記したもの。 ろうそく (当時身近であったもの) を使って、 最先端の研究成果の近くまで、6回の講義で 子どもたちを導いていきます。 この中で、ファラデーがしきりに口にするのが、       この美しい  ~~ という言葉。 それまでも、何万人もの人々が、ろうそくの炎を見たことでしょう。 しかし一方では、ファラデーほどその美しさに心を動かされた人も、多くはないのでしょう。 もちろん、ろうそくに限った話ではありません。 ◇ ダムの美しさに感動する友人がいます。 ◇ コンピュータ・プログラムの美しさについて語る先輩がいます。 ◇ 日本語の美しさ、源氏物語の世界に魅了されている人がたくさんいます。 ◇ 数式が、美しいという大学生がいます。 ◇ 「笑い」の力に感動し、希望を見出す友人もいます。 ◇ 生命の不思議、本当に不思議です。 何かを見て、感動できるかどうかって、 【感性の問題】 なのでしょうか。 同じモノを見ても、それに感動する人と、「あー、それ知ってる」という人と、 「そんなんどうでもいいじゃん」という人と、、、 人によって反応がさまざまなのは、どうしてでしょう。 特に、子どもたちを見ていると顕著ですが、 「それ、知ってる」と自分で思っていると、ほとんど見なくなってしまいます。 水槽で飼っているタナゴをちらっと見て、「あー、メダカね、学校で飼ってるから知ってるよ」 ぜんぜん知らねーだろー(笑)。 スピード優先、情報先行の現代においてこそ、 身の回りのちょっとしたことに、不思議だなと思ったり、きれいだなと感じたり、 知れば知るほどよくできている、知りたいことが広がっていく、、、 そういう感動を大切にして、感性を磨いていってほしいなと思います。 何かに感動した経験は、素直で謙虚な気持ちを、同時に引き起こすものと思います。 一方では、最近話題になった、あのニュースについて。 いわゆる、自称文系の人たちってすごく、数字が好きで、「論理的」で、他人を決めつけすぎてないかな。 ◆

ぼくが、ラテン語を勉強し始めたわけ

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 あけましておめでとうございます。 なんと、1月も今日で最後。 すっかり更新が遅れてしまいました。 =================== 最近、ぼくは急に、ラテン語の勉強を始めました。 ラテン語を勉強して何になる?   何にもならない。 なんか得するの?    ちっともしません。。。 かっこいいから?    そうかな~。 語学が好きだから?  語学は大の苦手です。 では、どうしてかというと、、、 みんなと同じ気持ちを思い出すため。 なんだかよくわからないものを、 すきでもない、得意でもないものを、 無理やりやれと言われて、どんどん授業が進んで、 宿題もいっぱい出て。。。 それって、どんな気分だったのか、 ぼく自身、忘れていることがあるんじゃないかな、と思って。 ということで、始めていますが、 正直なかなかきついです。。。 だって、、、(泣き言だけど) 活用多過ぎ! be動詞だけで、20種類以上? しかも、ラテン語って、基本的には誰も使っていない言語。 まあでも、無理やり良いことを考えれば、 古代ローマの書物が、原文で読めるようになるのかな。 つらいけど頑張ってます。 だれか、付き合ってくれませんか?