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「面倒くさい」との面倒くさい戦い

勉強って面倒くさいですね。 そしてそれに付き合うのも、同じくらいかそれ以上に面倒くさい。 ===== やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ ===== この仕事を始める12年前 あー、なんて面倒くさいんだ。ぼくには絶対にできないな。 ぼくほどの面倒くさがりは見たことがない。 ↑ ↑ ↑ 絶対無理? そう言われると、それに反発したくなってしまう。 (言われたわけではないけれど) なんとかなるんじゃないの? (と根拠なく思ってみる) そして、面倒なことに向き合おう。飛び込んで、浸ってみよう。 それから12年。 今ではいっぱしの「面倒くさい研究家」(自称)です。 そしてわかったことは、 「問題は何もない」ということ。 1.「面倒くさい」のではなく、「やりたくない」と言っている 2.ぼくも別に、「勉強」をさせたいわけではない 1について。 面倒だからやりたくないのではなく、 やりたくないと思っているから面倒に感じるということ。 では、やりたくなく、なくすれば良い。 □ まずこちらが、心にゆとりを持つこと、「きげんよく」していること □ 面倒なことを、面倒なまま、一緒に楽しむこと □ 小さな変化に気づくこと □ 「対話」を成り立つことを前提に、上げたり下げたり 2について。 ぼくだって、面倒くさがりのセンパイとして、「勉強させたい」わけではない。 ぼくの理想は、 【みんな勝手に賢くなってくれること】 ▼ ドリルをこなすこと ▼ テストで良い点を取ること ▼ 入試、資格試験に合格すること などは、自然な賢さを磨いていけば、自然にそうなること。 社会やおとなの側も、 ひとりひとりの賢さに、ひとりひとりが気づく時代に向かっていると思います。 だから、安心して賢くなって良いよ。