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受験狂騒に付き合う必要はないのでは。

20年後の未来へGO! 新・青山Fプレップスクールは、20年後の未来のために、 学ぶことの意味を再構築する文化育成事業体です。 ぼくが創業時から目標にしていることは、 【勉強=受験】という概念を崩すこと。 普通に、自分のペースで勉強していれば、 たとえ最難関校の受験であっても対応できます。 そして、それに掛かる時間も費用も、確実に半分以下。 多大な時間と労力とお金をかけて、 必要のないことまで無理やり子どもや保護者に負担を強いる。 どうしてこんなにブラックなことが、現代で通用しているのか? いったい誰のためなのでしょう。 いわゆる受験産業で働く人たちの雇用、既得権者の保身にしか思えません。 ================== でももっと大事なことは、子どもたちの将来のこと。 ● 教えてもらったことを覚えることが勉強 ● 塾に通わないと勉強できない ● 目先の数値的な「結果」だけを求めて、本質的な理解ができない そんなおとなを、本当にみんなで育てようとしているのでしょうか。 学生アルバイトもしかり。 そこで、自分が既に知っていることを適当にしゃべっていればお金がもらえる。 そんな周りに流されると、単に時給の高いところを目指します。 数百円の差で損得勘定をして、 教える側がちっとも学んでいない。 ぼくが親であれば、絶対にそういうところに子どもを預けたくないと思うのですが。 学ぶとはどういうことか、 そこから一緒に考える人たちと、一緒に成長できる喜び。 学ぶことは本来、人間にとって楽しいことであったと ぼくは思っています。

言葉の実弾

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やらなければ、やられる。 そんな飲食店の話をさせてください。 2017年1月末日、 外苑前で45年間続けられてきた世界で一つだけのお店が、常連さんたちではちきれんばかり、賑やかに喧しく平常運転の中、幕を下ろしました。最後は感傷的な感じになるのかな?と思っていたのですが、みなさんそんな玉ではありませんでした。 ぼくは今の仕事を始めてから、特にこの3年ほど、3日を空けずと足を運んでおりました。 板さんのおいしい料理はもちろんですが、お店のマスターと常連さんたちが連日繰り広げる丁々発止、慣れないうちは喧嘩かと思うほどだったのですが、いつしかそれがクセになり。 元来口数の少ないぼくは、それでもなんとなく気に入っていただいて、言葉の実弾が飛び交う戦場ような場所で、なんとなく流れ弾を浴びておりました。 30年来、40年来の常連さんたちは、みなさんがそれぞれさまざまな業界の中で実績と肩書のある方々なのですが、お店の中では時間が逆戻りするようです。青年のように口角泡を飛ばして激論を交わし、冗談を言い、罵り合い、じゃれ合っている。また30年40年、人生をともに歩んだお店であったとも言えます。ここにいると、人生のさまざまな思い出が融け合って、1つの時間になっているようでした。時間感覚がおかしくなります。 ぼくの仕事は、子どもたちに言葉を伝えること。 しかし人生経験の少ないぼくには、「仕入れ」が必要です。 映画・音楽・絵画・芸術・芝居・建築・現代アート・デザイン・スポーツ・世界・仕事・経営・科学・オカルト・政治・教育・歴史・文学・恋愛・結婚・家族・・・人とその生き方 ぼくは夜ごと、人生の先輩方が身を切って発している言葉を「仕入れ」ては、 なんとか咀嚼できたエッセンスを 算数や国語、英語、理科、社会などの授業の中に、そっと忍ばせて子どもたちに伝えるのです。 子どもたちにとって「仕入れ」の場であったらいいなと。 45年という年月は、ぼくが生まれて生き来た年月でもあります。 そろそろぼくも、「仕入れ」ではなく、自らが「生産」するしかないのかな。 ちょっと不安です。 なんとなく続いてくれるんじゃないかと、まだ甘えています。