成功体験という罠(不可能を可能にしようじゃないか)
みんながやっていることは、みんなに任せよう。 私たちは、不可能を可能にすることに全力を注いでいます。 「先入観は可能を不可能にする」 「私はこうやって上手くいったのだから、私の言うことを聞きなさい」 「これで素晴らしい成果を上げたから、全員にこの方法を適用します」 「うちの学校は最高です」 こんなことが今でもよく語られます。 それを一つ一つ検証することはしませんが、仮にある人にとって、あるタイミングで、何かがとてもうまくいったとしても、 それは再現性があるのでしょうか。 ーーー 私は、一人一人を観察するところから始めます。 今のこの子が、どういう状態なのか。何を考え、何を考えていないのか。 学校ではどんなことがあったのか、家ではどうか。 今までどんな経験をしてきたのか。何を正解だと思い、失敗だと思っているのか。 ここで学んだことと、外で言われることのギャップをどのように埋めているのか。 ーーー 勉強を教えているというと、勉強に詳しいのだと思われます。 全学年、社会人、全教科(小学一年生の漢字や足し算から、MBA等大学院入試の範囲まで)を扱っているというと、とんでもなく頭がいいのかと勘違いされます。 そんなことはありません。 成果を出せるのは、私が世界について詳しいからではなく、 一人一人が世界をどのように捉えているか。 それと、出題者や著者の見ている世界とのギャップを埋めているからです。 ーーー 塾が儲かればいいのではない、学校の知名度が上がればいいのではない、「国力」が上がればいいのではない。 そんな人の集団に名前をつけただけのもののための方策を考えるよりも、 一人一人の目から世界がどう見えているのか。 みんなと合意したほうがいいところと、自分らしさとして大事にした方がいいところ。 私がいなくなった後々までも、幸せに生きていってくれるための最小限の関与。 あくまでほんの小さな存在であることを考えながら、 誰もやったことのない、できるかどうかもわからない、 だけど、自分にできる限りのことを誰よりもやっています。