2021年6月16日水曜日

手を動かしながら考えることは、自由であり、楽しいこと、そして切り開かれる未来

天然知能 友の会
新・碧山Fプレップスクールです。

昨日の、野辺山宇宙電波観測所の立松さんの話でもありますが、考えることが楽しいと思えるかどうか、
幼少期にそのような経験をたくさんしているか、
ということがひたすら大事だとぼくも思っています。

しかしいまだに、
目先のテストの点数であーだこーだとなってしまう現状もあり、本当に時代が変わっていくのには時間が掛かるものですね。

ガリレオ・ガリレイが切り開いた?、科学的アプローチ。誰か偉い人が言ったことを覚える、昔の偉い人の本を読みこんで覚えるのではなく、実際にやってみて、実験と観察によって思考を深めていく、ことが基礎教養として身についているかどうか。

小さな事実を、少しずつ積み重ねて、だんだん視界が開けてくる。
急に、「あれと似てるな?」とひらめくときもある。
関係ないもののあいだに共通点を見いだして、結び付けること。
自分がわかるところとわからないところのギリギリのラインを見つけること。
最初は到底無理だと思ったことが、いつの間にかできてしまうこと。

いまだとスマートフォンで検索すればすぐに答えがわかってしまう時代ですが、
だからこそ、あえて答えを調べずに、あーでもないこーでもない・・・
そんな時間の使い方ができること、それを楽しめる。
特にいい学校はそういう子を求めているので、結果としては受験もクリアするし、
いえそれ以上に、見ていて、話していて、
こちらが楽しく、頼もしくなってきます。
そんな若い子?たちとたくさん知り合えたことは、本当に幸せだと思います。

2021年6月15日火曜日

野辺山宇宙電波観測所立松健一所長

通勤のお供の podcast のなかから、

毎回楽しく拝聴しています。
今回は野辺山宇宙電波観測所の立松所長のインタビュー。

科学技術、教育、に興味のある人はもちろん、
そしてできれば、あまり興味のない人にも、
聞いてほしい内容でした。

未来を想像し、投資(お金だけでなく、人材も、時間も、労力も、情熱も)できることが
人間の人間らしさではないか、と。



2021年4月28日水曜日

死ねという人には近づかない方がいい

人の状況を理解しようともせずに、

ただ一方的に自分の主張だけを押しつけて、

少しでも自分の思い通りにならないと罵詈雑言を浴びせる。

もちろん、人それぞれ苦労はあるとしても

他者に対する敬意がない人とは

たとえどんなに偉そうな人であっても近づかない方がいい。

そんな人が身内だったら大変ですが、

なるべく波風立てずに距離をとる。


なるべくなるべく関わらない。


2021年4月16日金曜日

「教える塾」「教え育てる塾」

 「教え育てる塾」を試みに始めています。


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世の中には「教えない塾」というのがあるそうで、

他人のことはどうでもよいのですが、

それが本質ではないだろうと、思っています。

少なくとも、アルバイトの子たちは勘違いしてしまうと思います。

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まあ良いとして、

「教え育てる塾」というのは、

教え方、育て方を教える塾という意味です。


対象は、子どもたちです。


大事なことをすべて、学校で教わるとは限らない。

お金のこと、法律のこと、性のこと、どうやって私が社会で生きるということ、などなど、などなど。

その中の一つに、子育てもあると思います。

ほとんどの人は、子育てについて素人でしょう。

そして、教えるということについても。


子どものうちから、人に教えること、人を育てることについて、

理論を学び、実践を経験しておくことが必要ではないでしょうか。

セミプロレベルになれるよう、プロフェッショナルと話ができるよう、そして変なのに騙されないように。



写真は、世田谷の松陰神社です。

2021年4月10日土曜日

数の感覚(その3: 1億のデザイン)

子どもだけでなく、大人たちも、もちろん私自身も、

本当に数の感覚を持っているのでしょうか。


今、書棚を整理しています。

遅々として進みませんが、最終的に蔵書は8千冊を超えそうです。

8千冊ってイメージできるでしょうか?

1年で200冊読むとして、40年かかります。

大きめの本棚にぎっしり詰めても、数百冊しか入りません。

段ボールに詰めると何箱になるんでしょう。


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今、学生や子どもたちにお願いして一緒に考えていることがあります。

『1億をデザインしてみよう!』

というものです。

日本の人口は1億2千万人ほど。まあざっくり1億。

この島国に約1億人が住んでいることを、わたしたちは本当に感覚として理解しているでしょうか。さまざまな社会問題、政治の問題、この国の未来をどのように考えたらよいのか。それがなかなかうまくいかないのは、わたしたちが1億人のことをありありと想像できないからではないでしょうか。結局、身のまわりの人たちが、「みんな」だと思っているのは、小学生と一緒です。


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たとえば、、、直径1cmの球を用意して、

1億個直線で並べると。。。1億cm=100万m=1000km

東京からだと、直線距離で鹿児島や根室あたり。

そこまでずっと、1cmの球が並んでいる。

ちっとも直感的ではありません。


では、平面で並べると、

1億cm^2 は、1万cmx1万cm=100mx100m=10000平米=1ha(ヘクタール)

野球場のグランドいっぱいに、1cmの球がびっしり並んでいる。

一応見渡せるけれど、見渡した時には1つ1つは見えない。


では、立方体を作ると、

1億cm^3 は、500cm立方くらい=5m立方くらい(それより少し小さくて良い)

20畳ほどの部屋いっぱいに、1cmの球がびっしり詰まっている。

どれもピンとこないなーと思っています。

もっと良いアイディアはないでしょうか!!


===


「日本は」「日本の未来は」「日本人は」などの主語で

何かを語る人がいますが、

ここに今現在、または過去や未来にリアルに生きている

ひとりひとりのことを想像して語っているのかな?

自分の空想の中の「日本」(その空想は自分の身近な数百の事例からできている)

でもって全体を語ろうとしているんじゃないかな?


===


うちに通っている子たちのなかにはは将来、

社会で重要な役割を担うことになる人が、結構な割合で混じっているのだろうと思います。

だからこそ、自分の責任の重さを実感としてつかんでいてほしいなと思っているのです。

2021年4月8日木曜日

数の感覚、数の概念(その2:対策のあれこれ)

うちの子は、数の感覚がないんじゃないか、

そんなご相談を受けての話。


人間が自然状態としての数は、(一目で識別できる、直感的という意味)

1,2,3,たくさん (すごい人で、7,8)


それ以上は、抽象概念として、人工的に獲得するもので、

かなり高度で難しいことなのではないでしょうか。


ではどうすればよいのか。

(地味すぎる話で「映え」ません。

 Aができたら、Bができ、そしたらCができ、

 みるみる・・・みたいな話にはなりません。

 ならないところが、生物であり、そこが肝だと思っています)


□ 数えること

たくさんのものをまずか数えてみよう。

ぼくがやっている中で一番みんなが興味を持ってくれるのは、

「お金」(なんとなく涙)なので、

100円玉をたくさん用意しています。

(interest の意味を知って高校時代に愕然としました。それは別の話)

1000枚ほどあります。

これを好きに数えてもらっています。

みんないろいろな数え方をしていて、見ていて楽しいです。

□ 束にする、かたまりにする

まあこんなのも、小学校1年の算数の教科書に書いてあるのです。ただみんなやってないだけ。

□ 測る、計る、図る、諮る、謀る

定規でもいいし、巻き尺でもいい、長さを測ろう。

体重計でもキッチンスケールでもいいです。重さも計ろう。

計量カップ、バケツなんでもいいです。量も計ろう。

ストップウォッチ、時計、なんでもいいです。時間を計ろう。

□ カウントダウン

数え上げるのに慣れたら、カウントダウン。

100から1ずつ。

慣れたら、200から、5ずつ。

慣れたら、350から、7ずつ(ぴったり0になるかな?)

□ 好きなことのなかの数字

スポーツが好きだったら、練習中いつも数えていると思います。

絵を描くのが好きなら、細かいところを書き込む前に、大きなレイアウトを決めるところからやってみましょう。

本が好きだったら、今日何ページ読んだかな。何冊読んだかな。

積み上げると何cmになるかな。

お金が好きだったら、投資ゲームみたいなものでもよい。

ゲームのなかには数字がたくさん出てきていて、

だけどインフレしているものが多いから、具体的な感覚には結びつきにくいんだよな―――。

□ スパルタ(量をこなす)

こんなオールドスタイルな勉強も、時には取り入れる価値はあります。

どのくらいの量だったら、どのくらいの時間と労力で片付けられるかを実感するため。

前提としては、かなりの程度できるレベルになってからやると良いと思います。

計算祭り、100問ノック!

など。

気持ちを盛り上げてからやりましょう。

処理能力は確実につきます。



結局、こんな簡単なことを、

じゃあ、本当にやっているか、わかった気になってやっていないか、だけの違いです。しかしそれが、子どもたちの将来を結構左右してしまうと思うと悲しいなあ。

そこはぜひ、ご家庭でもうまく誘導していただきたいと思います。

何でもやれば楽しい、わかれば楽しい、楽しければ上達する。

さらに、これからの人類(NovumpteryX と命名しています)にとってはこれでは足りません。

◇ 複雑なことを複雑なまま処理できる頭脳

◇ 指数関数的な動きを察知できる頭脳

◇ 大きな数を直感として理解できる頭脳

これらの開発のため、チャレンジングな課題を1つ設定していますが、なかなか滞っています。

ご協力いただける方がいらっしゃるといいなと思い、

それはつづきで。

2021年4月7日水曜日

数の感覚、数字の概念

 数の感覚、数の概念(その1)


新しい子どもたちとの出会いもいただいて、新学期も始まり、

春ですね。


算数苦手、数学嫌い、という子に対して親御さんから

「数の感覚がわかってないんじゃないか」という

ご相談を受けることがしばしばあります。


数の感覚


これについては、常々考えていることがあります。

数の感覚って何でしょうね。

そもそも、では大人たちは数の感覚を持っているのでしょうか。

ぼくは、数の感覚を持っているのだろうか。


結論からいえば、人間の脳が感覚として自然に認識できる数は、


1,2,3,たくさん


ではないかと考えています。

それ以上の数は既に、抽象概念、人工物だろうと。


いやいや、4,5もわかるよ。

10だって、1,234,567,890だってわかるよ。

うん、それもわかるのです。

だけど、本当に感覚としてわかっているのかな?

たとえば机の上に、17個の豆が乱雑に転がっているとして、

一目見て、直観的に、17個だとわかるでしょうか。

(2個や3個なら、できると思います)


子どもたちにクイズを出します。

「1億の次は?」

多くの子は、「2億!」って答えます。

うん、それが自然だと思います。

(1億を束として考えている、ということですよね)



感覚として数を理解するのってかなり難しい。



考えるきっかけになったのは、漢字です。

一、二、三、、、、ここまではとても直感的です。

四、これは、、、ギリギリ

五、これは既にかなり難しい、まあ何とか

六、これってもう、○○○○○○ではないだろう。

七、四より簡単に見える

八、もっと簡単になった

九、五より多いと思えない。

十、以下同様・・・


漢字がそうなだけなんじゃない?

写真を添付しましたが、やはり4くらいからすでに難しくなりそうです。


「手で数えるよ!」という子はかしこいですね。

手だと、5までは直感的にわかりますね。




ぼくは小学生の頃、授業中にひまで「1億まで数えよう!」と

思ったことがありました。ところが、授業が終わるころでも数百レベル。

次の授業もしっかり使って数えましたが、まだ数百レベル。

え、これっていつまでやらなきゃならないの?


計算しました。(我ながらかしこいな)

1秒に1つ数えるとして、(実際にはノートに書いていたので、大きな数を1秒で書くこと自体無理)

100000000秒÷60⇒1666666分(切り捨て)

1666666分÷60⇒27777時間(切り捨て)

27777時間÷24⇒1157日   (切り捨て)

1157日÷365⇒3.16年    (切り捨て)


寝ないつもり?

それでも、3年以上。

今、小6だから、数え終わるのは中3。

やめました。 (よかった。よくやめた)


それ以来、友達が「俺のほうが1億倍すごいぜ!」みたいなことを言ったら、「1億なめんな!」と。


国家予算が、100兆円?

世界の人口が、70億人?

日本の人口が、1億2千万人? (国民の声を聴くってどうやって?)

人間の細胞は、数十兆?

マンボウは、3億個の卵を産む?(すごすぎる)



では、大人たちはどうして、できているように思っているのか?

どのタイミングで、数の感覚を習得していくのでしょう。


* 実際には、今回のコロナ騒動を見ても、

* 400人だー、1000人だーと騒いでいるのを見ても、

* わかっていないように見えるのですが、それは別の話で。



日常生活や学校生活の中で経験できる数があり、

みんなそれなりに「わかった気」になって暮らしています。


これからの子どもたちは、それでは足りないと思うのですが、

少なくともそのレベルの感覚を身につけるためには

どうしたらよいか。


それを次回書いていきたいと思っています。



手を動かしながら考えることは、自由であり、楽しいこと、そして切り開かれる未来

天然知能 友の会 新・碧山Fプレップスクールです。 昨日の、野辺山宇宙電波観測所の立松さんの話でもありますが、考えることが楽しいと思えるかどうか、 幼少期にそのような経験をたくさんしているか、 ということがひたすら大事だとぼくも思っています。 しかしいまだに、 目先のテストの点数...