投稿

2月の勝者(受験バカじゃないよ)

イメージ
今の入試制度が、決して素晴らしいものではないことは、多くの人が認めることでしょう。  しかし、現状に恨み言を言って背を向けていても、物事はあまり良い方向には進まないだろうと、私は思います。 バカげたルールでも、勝ってから文句を言う。改革する。 そうあってくれればと思っています。 (残念ながら、自分が勝ってしまうと変えたくなくなるようですが、それはまた別の話として) では、どうやって勝つのか。 私が大切にしているのは、大きく二つのアプローチです。 ■ 数理篇:論理と計算と確率思考 数理とは、簡単にいうと、考えて計算すればわかること。 正確に計算を積み重ねれば、とんでもないことができてしまう。現代の科学文明社会は、それで成り立っています。 早く、正確に、論理と計算を積み上げること。 テストでやっていることは、どの教科であっても、概ねこれです(知識や感覚ではありません)。 この力は、建設的な対話でいちばん効率よく鍛えられる(問題集を何周もする勉強よりも) —— 私はそう実感しています。 数理の中で少し特殊なのは、確率思考です。 「正解」が一つに定まるわけではない。ある程度の幅で考える必要があります。 人間社会や自然はあまりにも複雑で、正確に答えを出すことが難しい場面があります。 しかしまったくのランダムというわけでもなく、確率思考を積み重ねれば、小さな違いが大きな差になっていきます。 入試でいえば出題予想もそうですが、それよりも大事なのは、 「さっぱりわからない」ときにどうするか。 確証はないけれども、一歩前に進める。 ここで確率思考が効いてきます。 数理を自在に操ること。 まったく不可能と思えることも、よく考えればできてしまうという驚き。 もっと考えられるはずだ。もっと考えたい。 考える楽しさに触れることは、単に受験の勝者になること以上の価値があるでしょうね。 しかし、それだけでは困ったことに、合格率100%にはほど遠いのです(人をデータとして見る人にとっては、70、80%でも十二分なのでしょうが)。 一人ひとりの人生と直接関わっているので、その確率では十分とは言えません。 そこで、別の角度からも「勝つ」準備をします。 ■ 心理篇:人の心理と、自分の心理 心理にも二種類あります。 人の心理と、自分の心理です。 人の言動や仕草から、考えていることを予測して先手を打...

東京の子どもたちに星空を見せてあげたい青山プレップスクールのスマート望遠鏡

イメージ
 東京の子どもたちに星空を見せてあげたい。 見えなくても、そこに美しい世界が広がっていることを 実際に見て、確かめるために。 そう思って入手したスマート望遠鏡。 使い始めて1年が経ちました。 太陽の黒点、月のクレーター、 三日月形の金星や、木星の縞模様、土星のリング、彗星や流星。 宝石箱をひっくり返したような星団、 あり得ないほど美しい星雲たち。 数百万年〜数十億年の彼方から届いた、銀河の光。 また、空の雲や、地上の動植物、街の風景もたくさん撮りました (普段あり得ない倍率で)。 たくさんたくさん撮りました。 「自分の目では見えないのに、本当にあるんだ!」 子どもたちの驚きや感激や、そして無言…… 見えないものが見えるという経験。 そこから広がる想像力。 身の回りにだって、よく見るとおもしろいものがたくさんあります。 よく見ることで、今までとは世界が違って見えることだってあります。 しかし、一番恩恵を受けたのは私自身です。 楽しかったというより、救われました。 去年は偶然、たくさんの不幸が重なりました。 心の整理もつかないまま、やらなければならないことが単純に2倍になり、 寝る間もないな、というところで謎の病気、入院…… なんとか最悪は回避したと思ったら、 また不幸が重なり、 それらとは無関係に自分のやりたくないことを押しつけてくる親族たち。 さらに別の病気も発症して、また手術? (ここまで来ると笑っちゃいます。結局手術はしませんでしたが) 退院しても転ばずに歩くのがやっと。 何をするにも、時間は2倍かかります。 坂や階段は、崖のように見えました。 なんとか、かんとか。 なんとか、かんとか。 □ 子どもたちの学びを止めないこと ︎□ 父の会社の関係者に迷惑をかけないこと  (結果的に、少し良くなりました) ︎□ テレビが点かないという話から相続の話まで  (欲しいものを渡して要らないものを引き取っただけですが、時間がかかります) そんな日々でも、夜空は美しく輝き続けます。 その光は、恐竜時代にどこかの星から飛び出したものなのです。 人間のスケールなんて吹っ飛ばしてくれますね。 その冷たさ、果てしもなさが、かえって救いになりました。 できることを一つずつ進める。 子どもたちの未来のために。 子は宝。 自分の子どもかどうかは関係なく、 子は宝。 ただ甘やかすので...

選ばれた人は、何をしてもいいの?

イメージ
  選ばれた人は、何をしてもいいの? さてさて、中学受験も大詰めで 自ずから緊張感は増して参ります。 息を詰めるように、 物音ひとつ立たないように過ごしていらっしゃるご家庭も少なくな いことでしょう。 そして急に国政選挙も行われることになりました。 こちらは賑やかに。 以前、小学生からこんな質問をされました。 「えっ⁉︎ 右翼と左翼って、仲良しじゃないの?」 えっ⁉︎ どうして? 「えっ⁉︎ 飛ぶためにじゃないの?」 子どもはときどき、こういうことを言います。 単なる無知なのですが、その素朴な疑問が、 聞く人によっては、 原点回帰を促すきっかけになることがあります。 「すべての物事を、あらゆる角度から検討し、短期的/ 長期的に評価して判断を下す」 そんなことは、人にはできない ということを仮に前提としてみると、 自分が見ている世界は、 世界全体の一部だけということになります。 他人が見ている世界についても同様です。 「群盲、象を撫でる」 言っていることに仮に間違いはないとしても、 決して全体像を捉えることにはなりません。 「木を見て森を見ず」 果たして、人に森を見ることはできるのでしょうか。 私が子どもたちの話を聞くことに重きを置いているのは、 相手の話の中には、知らないことが含まれるだけでなく、 ときには、 ギョッとするようなことまで含まれていることがあるからです。 そして、一瞬ギョッとしたその考えにも、 よくよく考えると合理的なところがある(人間は、 合理性から逃れられないのかもしれませんね)。 そうやって、「自分が壊れる感覚」を楽しんでいる節はあります。 (もちろん第一には、 縁あったまさに目の前の子の能力を最大限引き伸ばすことにありま すが) 勉強においてもそうです。 「割り算ってこういうもの」 「太平洋戦争ってこういうもの」 「原子ってこういうもの」 「勉強ってこういうもの」 わかったと思ったその瞬間から、 するすると抜け落ちていくものがあります。 それを回収して、今度こそ完成! と思っても、そう思った瞬間から・・・。 これを一般的におもしろいというかは、微妙だと思いますが、 こういうことを一緒に楽しめる子は、 崩れにくいという印象はあります。 いろいろな本を読み、 子どもたちにも勧めているのも、 「どんなことでも自分は楽しめる!」 という謎の自信...

プロパガンダに利用される人

イメージ
自分で考えるのが苦手な人に 思想を与え、使命を与え、簡単なタスクを振って、賞賛する =幸せ(夢の中にいるかぎり) すべての作品を読んでるわけではないけど、 朝井リョウはエグいところを突いてきます あれが好きだ、これが正しい なんて思ってることも、ほとんど思わされてるのに近い それで平和にやってるのならいいんだけど 好きな話は嫌いな話にもなりやすく 正しい話は、正しくない話になりやすい 好き嫌いの話をするならお互い様 お互い様ってことは忘れちゃいけない 私が自然を好きな(勉強させてもらってる)のは 自然には意図がないから。 野生の生き物や宇宙が好きなのは あまり人の意図が混ざってないから。 私にも意図はあります。 未来の世の中において 争うよりも協力する方に意識を向ける人が 少しでも増えたら、と。 本当にいいと思っているから 子どもたちとも、ときどき、ときどき、 好き嫌いを超えた話、損得を超えた話をする練習を、しています もちろん、個々人が好き嫌いの感情を持つことは当然のことで、否定するはずもない だけど、 感情や固定観念から 少しでも自由になれたとき ちょっと世界が楽しく見えた そんな経験をたった一回 しておくだけでもいいかなーって 自分で考えるのって面倒くさい 誰かの考えにただ乗りして、視野を狭めると変な力が出たりもする ↑ これはこれで、興味深いテーマです この本はいくらでも楽しめますね♪

大人の教養=共通テストを解説します(子どもたちや、AIには負けてられないですよね)

イメージ
大人の教養=共通テストを解説します(子どもたちや、AIには負けてられないですよね)   2026年1月17、18日 共通テストが全国の会場で開かれました。 約50万人の、大学受験生らが参加したという共通テスト。 今年は、AIもこぞって参加したのでしょうか。 保護者の方からご要望があり、 【大人のための、共通テスト解説】をしてみることにしました。 知的ゲームとして、またお子さんとの会話のネタとして、 また、昔を懐かしんで? またまた、AIには負けられないぞ!という方も、 どなたでもご参加いただけます。 教室と、オンラインと同時開催いたします。 今のところ、お一人に向けての解説授業となり、日程調整中ですが、 もし他にも参加をご希望される方がいらっしゃったら、改めて調整いたします。 #青山プレップスクール #共通テスト解説

足の治療について

イメージ
昨年の突然の入院ではご心配をおかけして申し訳ございませんでした。 たくさんの激励とともに、 思ってもみなかったことですが、 「あれはいいよ」「これやってみたら?」などのお話をいただいて、 ありがたさと、驚きと! 知らないことって本当にたくさんあるなーと改めて思い知りました。 何でも試してみたい私としては、興味津々なわけですが、今回についてはお医者さんに完全に任せることにしています。 繰り返しになりますが、とてもありがたく、そしておもしろそうに思っていることは間違いありません。そしてもし、今の病気が治るなら、紹介してくださった方にも喜んでもらえると思っています。 ただ、 もし悪い方に転んだ場合 ーーー (現代の医療で世界中の知見を集めて「よくわからないね」と言われている病気です) 私自身は、一つの実験の結果として興味深く受け取ります。 しかし、紹介してくださった方はどのように感じるか。ほんの少しでも後悔のような思いをしていただきたくないと思っております。本当に良いと思って、私のためにわざわざ薦めてくださったわけですから。 せっかく紹介したのに失礼な奴だ、と思われるのも仕方のないことだと受け止めております。ただ、上のような理由であることをもしご理解いただければ、またまたありがたいことでございます。 別の角度から見ると、 私はお医者さんにすべてを押し付けているとも言えます。申し訳なく感じるとともに、それほど重たい責任を負った大変なお仕事だと、新たな視点を得ることができました。 なるべく言われた通りにして、きれいなデータをお渡ししますので、未来の人類のためにお役立てください。 私自身は、お医者さんにお任せしたので、病気のことは忘れています。 日々のやらなければならないことと、 この先、遠い未来のためにやらなければならないこと。 身体の不自由さと一緒に、進めていきますよ♪

「考える」の真ん中で

イメージ
「これからの時代は考える力が必要です」 という言葉は、いったいいつから言われていることなのでしょうか。 もしかしたら、太古の昔から言われ続けている言葉なのかもしれませんね。 人が生きている限り、常に新しい局面に遭遇し、新しい情報が入ってきて、「今この場で」何かの判断をしなければならないことがあります。そんなときに、「考える力があるといいよね」と感じ続けてきたのでしょう。 また近年では、受験産業の思惑もあるでしょうね…(本題からズレるので掘り下げません) しかし私には疑問があります。 「考える力」と特に言い始めてから(受験戦争後)、人々の考える力は向上したのでしょうか? さまざまな教材や教育方法は、人々の考える力を向上させてきたのでしょうか? ノーベル賞受賞者などの知の巨人とでもいう人々が、いまだに「好奇心」や「幼少期の素朴な体験」、「自分でやって自分で失敗すること」など、素朴な誰にでもできることを言い続けているのは、なぜなのでしょうか? 私は、今の仕事を始めて18年余り、 「考える」の現場に居続けています。 「考える」とは、いかなる頭(や心)のはたらきなのか。 「考えてない」とは、どのような状態なのか。 「考えない状態」から、「考えられるようになる」には、どのような推移を辿るのか。 その変化を促進させるような、「手法」はあるのか。 ・・・ あるテーマについて(たとえば、分数の割り算) いろいろな説明がありえます。 ある子に対しては、Aという説明の仕方をして、様子を見ながらアレンジする。 同じことを別の子に対しては、Bという説明の仕方にする。そして反応を観察する。 「わかりましたか?」 なんてこちらから聞くと、決まって 「わかりました!」と、判で押したように返ってきます。 その子は、本当に「わかって」いるのでしょうか? ◻︎ 「わかりました!」と答える儀式だと思っている ◻︎ 「わかりました!」と言わないと、怒られたり、面倒なことになると思っている ◻︎ 「あとで覚えればいい」と思っていることを、「わかった」だと思っている そんなケースが多々あります。 私はいつも接しているので、一人一人がどのくらいの理解力を持っていて(だいたいですが)、どういう反応をしがちかも把握しているので、 どんな説明を、何回くらいすると、徐々に「わかって」いくのか、見当はつきます。 しかし、そ...