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AI時代を先取りして中高生が学んでいること

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今、子どもたちはAIをどのように使っているのか? 聞いていると、圧倒的に多いのが □ ちょっとした調べごと □ 宿題(調べ学習やレポート)のサポート という2つです。そして、これがあまりにもずさんであるために、 AIの使用そのものを禁止している学校(または先生)も、聞いている感じでは、少なくないようです。 「AIを触らせない」派のもう一つの根拠は、 「人間にしかできないことをするようにしよう」 ただ、私はこの考え方は非常に危ういと思っています。 「これはAIには無理だよね」とAIから逃げ回るようなことをしなければなりません。 そうこうしているうちに、 「あれも、これも、それも、みんなAIでできちゃうね」 「 という未来が訪れる。 現時点のAIにできないことこそ、世界中の研究者やビジネスマンが必死になってなんとかしようとしているところです。 ーーー 私のスタンスは、 「AIを使いながら、使い方の勘所を掴んでいこう」 「未来を想像して、だったらもっと何ができるようになるだろうか、を考えよう」 というものです。 絵画、文章、イラスト、音楽、動画、写真。。。 新しいものがどんどん出てきます。おもしろそうだから触ってみる。そしてびっくりする。 びっくりして終わっていたり、ただ楽をして終わっていてはもったいない。 今のところ、私が子どもたちが使うのに一番適しているなと思っているのが、 □ 勉強のマネジメント です。 人間の脳の着点は、とにかく「量」に弱い。 量が増えるだけで、もう不可能に感じてしまうことも少なくありません。 しかし、AIは「量に強い」。 むしろたくさんのものを集めて、 そこから「普通」のものを導き出すことに長けている。 (だから、レポートとかに使うのは、「おもしろくないもの」を大量生産するだけでよくない) AIのサポートを受けながら「マネジメントができる子」が どんどん育っていってくれることが、私の理想です。 子どもたちが、新しい社会の中で、新しい価値観をもって 周囲から大切にされ、周囲を大切にし、 楽しく暮らしていってくれることが、 (期限付きのサポートしかできない)私の願いです。

表層と深層と、どちらも学ぶから、みんなおもしろくなる

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  大谷翔平選手の曼荼羅チャートから考える、勉強で本当に身につけたい力 大谷翔平選手が高校時代に作成した「曼荼羅チャート(目標達成シート)」は、よく知られています。 中心に置いた目標は「ドラ1 8球団」。その実現に必要な要素として、周囲に8つの項目を配置し、さらにそれぞれを具体的な行動へと展開していくものです。 このチャートは、とてもよくできていると思います。 目標の立て方が明確で、それを具体的な行動に落とし込んでいることも素晴らしいのですが、私が特に注目しているのは、 最初の8項目の選び方 です。 専門的なことが4つ、一般的なことが4つ 大谷選手が挙げた8項目を、私なりに分けてみると、次のようになります。 投手としての専門的な項目 スピード160km/h コントロール キレ 変化球 もっと一般的な項目 体づくり メンタル 人間性 運 ちょうど4対4です。 もちろん「体づくり」はスポーツに直接関係しますし、「運」はほかの項目とは少し性格が違うかもしれません。この分類は、あくまで私なりのものです。 それでも、ここに大きな意味があると思っています。 普通、野球で大きな目標を立て、そのために必要な要素を8つ挙げようとすれば、どうしても野球の技術に関することが中心になるのではないでしょうか。 しかし、大谷選手のチャートでは、投手としての技術に関することは半分だけです。 残り半分には、野球以外の分野でも大切になることが並んでいます。 このバランスのよさ、視野の広さが、とても印象的です。 しかも、それらを補足事項として付け加えているのではありません。専門的な項目と同じ位置に、同じ重みで並べています。 私は、ここが特に参考になると思っています。 勉強でも、同じようなことを考えています 実は、私が日頃の個別指導で心がけていることも、これに似ています。 塾ですから、当然、学校の勉強や受験に必要な知識・技能を教えます。 一つひとつの問題について、なぜその答えになるのかを考え、単元の内容を理解し、科目全体のつながりを整理する。そうしたことは丁寧に指導しています。 しかし、私が意識していることのうち、それは半分ほどです。 残りの半分では、個々の問題や単元、科目の学習を通じて、もっと広い場面で役立つ力を養うことを目指しています。 大きく分けると、次の4つです。 1.基本的な頭の動かし...

割り算が苦手(割り算ができていないわけではないこともある)

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かなり以前の話になりますが。  「あまりのある割り算でつまづいているようで」 そんな事前情報をいただいて、一緒に考えていきました。 割り算は難しいですね。 ーーーー これまでの経験でも、いろいろなパターンがありました。さっと思いつくところでは、 □ そもそも、違うことを考えている(集中できていない) □ 一定時間以上、1つのことを考え続けるのが苦手(前の話を忘れてしまう) □ そもそも何をやっているのか、わかっていない(割るって何?) □ 掛け算だと思っている(答えを求めるときに、掛け算をしているから) □ 「2あまる」ことを、「あまり2」という □ 九九がうろ覚え(うろ覚えくらいなら、書きながら確認したほうがいいのですが、暗記主体で指導されている) □ 引き算(あまりを求める)が苦手 □ 筆算を教わると、手順を忘れてる(手順を覚えるより、意味がわかったほうが早い場合も少なくないのに) ーーー どうする?どうする? 基本的には、「徹底的に具体的にする」のがよいと感じています。 〇 トランプを配ったり 〇 ブロックを並べたり 横で「計算」も見せながら(足し算のパターン、掛け算のパターン)。 言葉と概念が、はっきりと結びつくことを徹底するのが、結果的には近道です。 (のちのちはもっと抽象的にできるように引き離しますが) ーーー 「困ったら具体的に考える」 という学びは、国語でも、また「勉強」以外においても 大切な学びにつながっていくと思います。

成功体験という罠(不可能を可能にしようじゃないか)

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  みんながやっていることは、みんなに任せよう。 私たちは、不可能を可能にすることに全力を注いでいます。 「先入観は可能を不可能にする」 「私はこうやって上手くいったのだから、私の言うことを聞きなさい」 「これで素晴らしい成果を上げたから、全員にこの方法を適用します」 「うちの学校は最高です」 こんなことが今でもよく語られます。 それを一つ一つ検証することはしませんが、仮にある人にとって、あるタイミングで、何かがとてもうまくいったとしても、 それは再現性があるのでしょうか。 ーーー 私は、一人一人を観察するところから始めます。 今のこの子が、どういう状態なのか。何を考え、何を考えていないのか。 学校ではどんなことがあったのか、家ではどうか。 今までどんな経験をしてきたのか。何を正解だと思い、失敗だと思っているのか。 ここで学んだことと、外で言われることのギャップをどのように埋めているのか。 ーーー 勉強を教えているというと、勉強に詳しいのだと思われます。 全学年、社会人、全教科(小学一年生の漢字や足し算から、MBA等大学院入試の範囲まで)を扱っているというと、とんでもなく頭がいいのかと勘違いされます。 そんなことはありません。 成果を出せるのは、私が世界について詳しいからではなく、 一人一人が世界をどのように捉えているか。 それと、出題者や著者の見ている世界とのギャップを埋めているからです。 ーーー 塾が儲かればいいのではない、学校の知名度が上がればいいのではない、「国力」が上がればいいのではない。 そんな人の集団に名前をつけただけのもののための方策を考えるよりも、 一人一人の目から世界がどう見えているのか。 みんなと合意したほうがいいところと、自分らしさとして大事にした方がいいところ。 私がいなくなった後々までも、幸せに生きていってくれるための最小限の関与。 あくまでほんの小さな存在であることを考えながら、 誰もやったことのない、できるかどうかもわからない、 だけど、自分にできる限りのことを誰よりもやっています。

細かすぎる・地味すぎることは大変だけど、不可能を可能にする(魔法以外で)

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 「基礎が大事」とはよく言われることです。 ただ、そこで言われている「基礎」とは何を指しているのでしょうか。 ーーー 私自身、中学校くらいまでは基礎なんてまったくバカにしていました。 正確に言うと、バカにするという意識もないほど、態度としてバカにしていたと、今振り返ればわかります。 (そして同じような子は、今もたくさんいます) 高校生になって、いよいよ学校の授業で話されていることが、バラバラに感じて、その時その時はたとえ少しわかったつもりになっていても、問題を解けと言われると解けない。何をどうしていいのか、まったくのノーアイデア。 さて困ったなと(さすがのバカの私も気がついて)友だちに教えてもらいました。 「何をどう勉強したらいいの?」 その時教えてもらったのは、 「教科書の例題を毎日1、2問解いたらいいよ」 友だちに言われたことはすぐに信じるタイプなので、まあやってみた・・・というところから、私の勉強に対する考え方などが変わりはじめました。そしていつも思っていたことは、「基礎って何だろう?」 たまたま最初のきっかけは、教科書の例題を解くことでしたが、 ただ簡単な問題を解くことでもなさそうだ、と思うようになり、 難しい応用問題を解いているときに、基礎が固められているように感じたり、 一度「わかった!」と思ったことが、その後何度も「上書き」されたり、 友だちがいろいろとおもしろい考え方をしていることに気づくようになり、 そうなってくると、別に問題を解かなくても、 「一つのアイデアが、どれだけの応用範囲を持っているのか」 なんてことを考えていると、ごく少ないアイデアでいろいろなことができるようになり、 これがもしかしたら「基礎」と呼ばれるものなのかな。 それから少しずつ、いろいろなことができるようになってきて、 大学進学後も、仕事をするようになってからも、 ずっと新しいことを勉強していますが、 「最初が一番難しい」 といつも感じます。 すみません。私自身のことはあくまで一つの例に過ぎず、 大事なことではありません。 今の仕事をするようになって、いろいろな子を直に観察できるようになって、 改めて「基礎」について考えることが多くなっています。 □ いわゆる「基本問題」を解くことは、基礎を固めるのだろうか。 □ 英語の基礎って、単語なのだろうか。 □ そもそも「基礎」...

【極論】集中して、頭が働いていれば、それでいい (ただし、過集中だけは気にしてね)

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【極論】集中して、頭が働いていれば、それでいい (ただし、過集中だけは気にしてね) 机に何時間座っているとか、 問題を何回解くかとか、 「体験格差」とか、 よりも、もっと大切なこと。 「今、頭が働いているか」 一人一人を比べてみれば、それぞれの個性はあるのですが、 いつもその子を観ていれば、 その子が、集中している時の様子や、いろいろと自分で考えている時の様子は、 割とパターン化できると思います。 大雑把には、 □ 目は、「決まった」ように、瞬きは減りますし、 □ あれがダメならこれ、と次々に切り替えていますし、 □ ぶつぶつ話しながら考える子も多いです。 □ たいてい、指先を動かしているでしょう。 □ 少しの雑音は気にしません。 ーーーー 私がいつも工夫しているのは、 どうやったら、その子が、その集中状態に入っていけるのか。 そして、ある程度大きな子であれば、自分でその状態に入っていく練習をすることです。 一人一人に、それぞれの成長のタイミングがあり、 年齢に関係なく、自分がハマれることがあるものです。 ぐっと集中している対象が、 その子にとっての、成長の部位であり、タイミングなのだろうと思います。 ーーー ほとんどの子は、数学者や文学者になるわけではありません。 学校の勉強を通じて、もっと抽象的で汎用的なことを身につけていて、 社会に出てから役に立つのは、そんな能力です。 (* 学校の勉強を通じても、たくさんのことを学ぶことができます。私がやっているのは、学校の勉強を使って、一人一人の能力を伸ばすこと。ついでに、狭い意味の「学力」もつけば、周囲からも評価されやすく、「おいしい」です) ーーー 逆に言えば、 どんな素晴らしい教材を使おうが、 どんな素晴らしい体験をしようが、 心が疲れきっていたり、 またははしゃぎ過ぎている状態では、 得られる果実は、多くはない。 そこがまた、おもしろいところです。 ーーー また同時に、 集中しすぎないことも大切です。 そのあとで、疲れて、 他のことができなくなってしまいます。 適度な集中と、休息を交互に行うことで、 学習効率は、今までの常識とは別次元に高められます。 人間の脳や、 もっと広く言えば生き物って、 とても不思議で、驚異的で、 興味が尽きないものですね。  

チキチキ夏祭りを完走しました。子どもたちの成長と笑顔に感謝です。

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 「チキチキ勉強し放題、夏祭り」 400時間を超えるのは、だんだん体力的に厳しいですが (去年は入院していたので開催できなかった) 子どもたちの笑顔に癒され、成長に勇気づけられ、 なんとか完走しましたー。 って、そんなきれいな話では済まない大変さはあるのですが それもこれも、未来の平和で暮らしやすい世界のためと思うと、 この仕事ができて本当にラッキーで幸せだと思います。