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NovumpteryX は、森羅万象に「こいするなう□」

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いわゆる「勉強」って、ちょっと地味で真面目そうで、頭堅そうで、愛想は悪いし、そのくせ大人を味方につけてて、付き合いづらい奴かもしれません。 食べ物で言えば、ところてんとか、みょうがとか、ブルーチーズとか。 味気なかったり、逆に癖が強すぎたり・・・ つまり、最初っから「大好きだ!」とみんなが思うモノではないかもしれません。 ソフトクリームやチョコレート(ゲームやマンガ)のほうが、 普通はみんな飛びつくでしょう。 だけど、長く付き合えばいいところも見えてくる。 まずは、絶対に裏切らない。そしてだんだんとそれぞれの個性が魅力的に見えてきます。算数には算数の、社会には社会の、理科には理科の、英語には英語の魅力がある。 同時に、まだ自分が知らないこと・知らない人・知らない世界も、 きっと同じくらいに魅力的なんだろうという想像力が広がっていきます。 好きなことが1つしかないよりは、たくさんある方が 人生楽しめるかもしれません。 が、数の問題ではない。 ぼくが強調したいのは、マイナス面を避けること。 好きなことが1つしかなかった場合、 良い時は良いけれど、うまくいかなくなった時に、逃げ場がなくなる。 何かに固執した状態は、良い時はむしろ良いのだけれど、 少し環境が変わったときに、全く対応できなくなってしまう。 たくさんの好きなことがあって、 たくさんの好きな人がいて、 たくさんの好きな世界を持っていることは、 自分の中に矛盾を抱えつつも、いざという時のセイフティネットになってくれる。 大きなマイナスを作らず、たくさんの関係の中でバランスをとること。 それが、これからの時代を、より自分が自分らしく生きるために、必要になってくると思います。 だから、 NovumpteryX は、森羅万象に、 こいするなう□ (ついでに、コロナウイルスをバラバラに)

本当は難しい、本当に難しい、読み聞きそろばん+書き

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自分らしく生きていくための大切な準備を行う場所。 それが新・青山Fプレップスクールでございますよ。 小学生から社会人まで、コロナに負けず、むしろこれはよりよい未来への進化が加速する契機になるととらえ、まあでも固くならずに楽しみながら学んでいます。 準備。 プレップスクールという名前にしたのも、準備運動だととらえて欲しかったからです。 自分らしく生きるための準備? 何すればいいんでしょうね。 □ 基本ツール(読み聞きそろばん+書き)をより高い精度でマスターすること □ 自分を知ること □ 世界(宇宙)を知ること だと、ぼくはとらえています。 グローバル化、ネット社会、そして感染症との共存・・・不安定な世の中では、形骸化した「肩書」よりもむしろ「中身(=実力)」がものを言うのは歴史が示しています。その「中身」の基盤となるのが、【読み聞きそろばん+書き】です。 少し前に、新井紀子さんの著書 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』 でも話題になりましたが、小学生と接していても、それが大学生でも社会人でも、結局は、読めていないということが実際かなりあります。 読めていない、聞けていない。。。それでどうやって物事を学んでいくのでしょうか。にもかかわらず、結果を急ぐあまり、とにかく覚えさせる、オウムのように答えさせる、そんなことがずっとまかり通っていると思います。 (テストがその人の価値を、能力を決めると信じられていた時代は良かったのでしょう) 「最近の若者は・・・」ということでなく、ぼく自身も、今でさえも 本当に読めているのか?、ちゃんと聞いているか? と自分自身に問いかけない日はありません。結局、自分のレベルでしか読みができていないので、自分が読めていないことに気が付くことがまず難しいですし、ではどうすれば読めるようになるのかとなると、、、 しかしだからこそ、「1:1の対話」を大切にしています。それが最も基本であると思うからです。 次回は、インプット > アウトプットという事について書こうと思います。 今の世の中、インプット < アウトプットと言われすぎているように思って。

爆発的成長の環境整備:阻害要因を取り除く

こんな時代に天然知能の話かよ。 前回は、 成長を促進する人間関係 について書きましたが、 今回は、成長を妨げる阻害要因について。 条件をいくら整えても、爆発的成長が発動されないことがあります。 (どうしてなのだろう) 経験として感じることは、 人はアクセルよりもブレーキのほうがよく効くのではないか、ということです。 (嫌だ、嫌い、怖い、不安だ、疲れた・・・) といったマイナス要因があった場合、心にブレーキがかかってうまく動けなくなってしまう。ストッパーになってしまう。そのストッパーを外さないと、やる気スイッチもへったくれもない。 心のブレーキはどこから生まれるのか。 □ 身体的経験    たまたま少し体が小さかった、運動で初めに少し失敗した、    ケンカ(力勝負)で負けた、容姿などでからかわれた、体力的に限界・・・ □ 思考的経験    遊び(特に失敗)等の経験で「こうすればこうなるはず」という論理の構築が不足、    筋が通らないことがまかり通った、内容よりも感情が優先されすぎた、    過度に高度なことを無理やり納得させられた、能力に比して量が多い・・・ □ 感情的経験    うまくできなくて怒られた、好き・嫌い偏重思考、    嫌なことを強制されて結果も出なかった、気持ちをうまく伝えられなかった、    人間関係が複雑すぎた・・・ 誰しも大なり小なり経験があることだと思いますが、 その記憶をなるべく想起されないように、今やっていることから連想されないように。 そして、もし思い出してしまったら、 とりあえずできることはその記憶との関連を断つこと。 (過去の記憶の修復となると、もはやそれはぼくでは力不足だ) 難しいのは、 マイナス要因・阻害要因を本人が自覚していない場合もあるということ。長年、マイナス要因に囲まれた環境で過ごしてしまうと、心が縮こまったまま順応してしまうケースがあるように思います。 さらに難しいのは、 記憶に関することは、ON/OFFと明確なわけではなく、程度の問題、グラデーションであり、またその時のコンディション等にも大きく左右されるということ。 考え始めるととても手に追いえないように感じることではあるのですが、 少なくとも視点として、 「阻害要因」から考えてみる、ことは何かヒントになると思っています。

爆発的な成長を促すのは、教材でも教師でもなく、人間関係

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こんな時代に、天然知能に振り切っている青山プレップスクールです。 もうそこそこ長くこの仕事を続けてきて、経験的にわかっていること、それでもまだまだわからないこと、あります。 テストで点数が取れるようにすることは難しくない。入試だって、まあその延長です。 しかし、もっと本質的に、その子が爆発的な変化(本来の才能に気付くことだとぼくは思っていますが)が どのような時に起こるのか、狙ってそれは出せるものなのか、については正直まだまだ模索中です。 ヘレン・ケラーの【W/A/T/E/R】の瞬間。 同じインプットのはずなのに、世界が違って見える。 世界の意味がすべてつながっていると感じられる瞬間。 それを、爆発的成長と呼んでいます。 ぼく自身、何度かそのような経験があると(主観的に)感じていますし、 今も、「あれ、この子こんな子だったっけ?」と驚くことがあります。 みんな(来はじめの頃)、つまらなそうに勉強してるなーと思います。 それは大人も同様なのだろうと思います。 勉強や仕事は嫌なことで、遊びやダラダラすることは良いこと、 と刷り込まれているのだと思います。 ぼくは【全部一緒】ととらえています。ON/OFFと分けるのではなく、 すべての活動(何もしないことも含めて)は学びでもある。 生きていることそのものが学びであり、 学びは生きていることそのものではないかと。 だからもっとトータルで考えなければならない。 この問題の答えは「イ」ですよ。解きかたはこうですよ。 「これを維管束と呼びますよ」、「藤原不比等は中臣鎌足の子どもですよ」 という1つ1つの話は、そこだけ取り上げればそれだけの話で終わってしまう。 1つ1つの中に全体が含まれ、全体は1つ1つを含む。 ただ、人間がもっとも興味があることは、 やはり人間ではないかと思うのです。 喜びも悲しみも、悩みも苦しみも、ほとんどが人間関係の話。 (ITコンサルの仕事でも、法律事務所の仕事でもそのように感じました) であれば、人の成長という場面においても、人間関係は無視できない。 むしろ中心的な課題であるはずです。 人は一人で生きて成長するわけではありません。 多くの人に囲まれて生きて成長しています。 そのトータルなバランスがどうなっているのか、 崩れているところ、偏っているところ、欠けているところがないか。 1つのモデルを作りました。

親身という事

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昨日、目にした記事 『コロナ禍でオンライン授業が続いている大学 子を持つ親は「高すぎ」』 https://news.livedoor.com/article/detail/19092453/   <最後の部分の引用>  さらに、こう思いを吐露する。 「子供たちには、コロナのせいにするなよ。こっちは一生懸命お金を工面したんだぞ。育てたんだぞ。病むなよ。死ぬなよって伝えたいです」(Cさんの母)  今年大学に入学した子とも連絡を取り合っているので、日ごろから大学の不作為についてはぼくも残念に思っています。今楽な思いをしたとしても、結局は大学の価値を低めることになってしまうことを。 ちょうど『禅とオートバイ修理技術』を読んでいて、自分の中でつながったこと。 https://amzn.to/35mMVIL 【親身という事】について。 文字通り解釈すると、親の身になる、肉親のように、ということでしょうか。 さきほどの、Cさんの母の発言はまさに親の発言で、 ぼくもその気持ちはよくわかります。 一方では、Cさんの母の本音はそうであったとしても、 Cさんの母個人としての発言なのではないでしょうか。 (別に週刊誌の記事に出てくる個人を攻撃したいわけではありません。   今の大学1年生を支える一人の親の1つの類型として) ぼくは今年の学生たちには、いつも以下のように話しています。 「君たちは何一つ悪くない。   もちろんうまく適応できないことはあっただろうけど、   全部、コロナのせいにしていい。悪いのはコロナ。むしろラッキーだね。   今できること、今しかできないこと、チャンスは転がっているよ!」 coursera https://ja.coursera.org/ のようなサービスもあります。 学び方はもっと自由であるべきです。 それはぼくが青山プレップスクールを作った理念でもあります。 今回のコロナ騒動は、ぼくたちにそれを気づかせてくれた 人類が変わっていくターニングポイントだったと思います。 親身になる ひとりひとりと、個性を持った人間同士として 年齢や経験など関係なく、 そして狭い意味の「勉強」の範囲に縛られず、 一緒に話をしています。 それは、親身になっているかと言われると、 ぼくはそうは思っていません。 親とは別、肉親とは異なる、そういう関係を超えて、 もちろんぼく自身の利害

始まっています。はじめに読書会

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 「本が読めるってだけで、すごいアドバンテージなんですね」 先日、卒業生(今は社会人)が遊びに来てくれていろいろ話しているときに、ふと彼が漏らした言葉です。 誰もが知っているような会社に勤めていても、周囲には普段から本を読む人、そして直接、今目の前の関心事以外の情報に積極的にアクセスしようとする人は少ないそうです。 普段からなるべくいろいろな本を紹介しまくっています。あまり読まない子には、読みやすい本、興味のありそうな本。ある程度読める子には、少し背伸びした本。興味のスコープに入っていないであろう分野の本。これから未来を生きていくうえで、何かのヒントや助けになるであろう本。 マンガから新書、小説、専門書に至るまで、 教室は本であふれています。(実は困っている) 装丁が美しい本、ずっしりと重い本、こんなの誰が買うの?というような本(笑)。 いろんなことに興味を持って、本まで出してる人がこれだけいるんだよ。ぼくたちはまだ、世界の魅力をほとんど知らない。ぼくたちはこれから、できるだけたくさん、楽しいこと、おもしろいこと、自分がのめりこめるものを見つけていかなくてはならない。冒険の道しるべとなる相棒たちだよ。 ぼく自身も、以前の仕事で月に500時間以上働いていたようなときでも、 直接、「今」と関係ない本を読むようにしていました。 それは、「休む」よりも気持ちをリフレッシュさせてくれ、 現状を打開する新しいヒントをくれ、美しい世界に癒される時間だったと思います。 とはいえ、これだけ情報が氾濫し、また忙しい子どもたちが、すべてを読めるわけでもありません。 どうやったら、一冊でも多く、子供たちが手に取ってくれるか。考えた結果が、「はじめに読書会」です。 「はじめに読書会」は、「はじめに」を読む読書会です。 「はじめに」には、著者がどうしてその分野に興味を持ったのか、本を書くきっかけ、この本を通じて何を伝えたいのか・・・数ページの中に、その本の要旨、そして著者の思いがぎゅっと詰まっているといってもよいでしょう。 一緒に、「はじめに」を読みながら、 その時のメンバーによっては、脱線しておしゃべりしたり、 読解練習として使ったり、英語の勉強として使ったり・・・ あ、読んでみたいかも、と思えたら、その場でプレゼント。(ぼくとしては在庫が減る) なるべくみんなが、自分からは手を出さないよう

明けましておめでとうございます。より良い学習スタイルに向けて

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明けましておめでとうございます。NovumpteryX! より良い学びのスタイルを一緒に考えていきましょう。(新しいか古いかはどうでも良い) 学びは、もっと自由で開放的で、ワクワクするものになれるはずです。 もちろん、今時点で「より良い」と思ったものが、将来「最善ではなかった」、「むしろ弊害があった」となることだってあります。そんなのは当たり前で、そこからさらに学んでいけば良い。 この3ヶ月で、皆さんは少し強くなったと思います。 #17歳のアーカイブ #17k短歌会 #17k英語読書会 #17k読書会