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生き物を飼い始めた、もうひとつの理由

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 小さな生き物たちをたくさん飼っています。 詳細は、こちら。   ただの物好きだろうと、(まあそうなのですが(笑))、 でも、実はもうひとつ意味合いがあります。 全国各地から、少量多品種、さまざまな生き物がいますが、 できるだけ、普通の東京の環境で育てています。 東京の空気で、 東京の土で、 東京の水で、、、 小さな生き物たちは、環境の影響を受けやすく、 またライフサイクルが早いです。 何か人間にとって良くないことが起こる前には、 小さな生き物たちに異変が現れるのではないかと思うのです。 政府の情報も当てになりませんし、 ブログで危機ばかり煽る人の話も、相当眉唾です。 ぼくは何事も、この眼で見て、感じて、考えたいと思うのです。

どんどん増える『生きもの』たち。。。

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 青山プレップスクールでは、 たくさんの『生きもの』を飼っています。 とはいえ、あくまで世話できる範囲に限られますが。 植物:    とまと、きゅうり、朝顔、夕顔、スイトピー、    桔梗、なでしこ、    謎の落葉広葉樹、謎の常緑広葉樹。。。 昆虫:    カブトムシ、クワガタムシ(各種)、鈴虫 水槽:    メダカ、タナゴ、ドジョウ、ハゼ、    沼エビ    タニシ、川ニナ、、、、    そのために、ミジンコや水草たち。。。 一部例外は含まれますが、全体のコンセプトとしては、 『日本国産の小さな、そしておとなしい、生きものたち』 多品種少量 のはずなのですが。。。。彼ら、増えるんですね。。。。 ======================= 理科のテストなどで、生きものの名前を覚えさせられることがるのですが、 これが嫌いで、理科が嫌いという子の多いこと多いこと。 だから、生きものたちを、身近に感じて欲しい。 特に、都会のど真ん中にすんでいる子どもたちですから、 本当に、犬や猫くらいしか、身近な生き物がいなかったりします。 ======================= まあ、それとは別に、 結局ぼくが、好きなんでしょうね。 でないと、この忙しいのに世話なんてできません。 前職でも、仕事で遅くなることは、日常でしたが、 たとえば、アメリカに出張している時、 夜中の2,3時(もっと遅く)に、帰宅の途につくわけです。    (なにせ、アメリカ(西海岸)で仕事があり、日本での仕事もあり、     オーストラリアともメールのやり取りをし、イギリスとも電話会議をしなければ。。。     大英帝国恐るべし) そんな時に、会社のビルの周りに、 ウサギとか、鹿とか、出て来てくれるんですね。 それで、どれだけ癒されたことか。 子どもの頃から、たくさんの生きものを飼ってきましたが、 そしてほとんどみんな死んでしまいましたが、 そういうたくさんの生きものたちに、ぼくは教えられ、支えられ、励まされて ここまで来たんだなと思って。 でも、うちでも、一番増えて

(GMAT)数学が楽しくなってきました。

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20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 GMAT MATHを勉強していて、 □ 算数・数学は昔から嫌いだった □ 小学生の頃は得意だったけど、高校の頃にはもう捨てた □ 高校の頃も好きだったけど、GMATやってみて全然できなかった いろいろな方から、 『数学が、だんだん楽しくなってきた』 とのお話をいただきます。 ぼくは、特にみなさまに、『楽しんでもらおう!』と思って、 無理やり盛り上げたり、面白い小話を挟んだり、 などということは、していません。 ですので、純粋に、数学の世界観に触れていただいて、 そのような感想を持たれたのだと思い、 とても、とても、うれしいのです。 なんかよくわからんけど、公式使えばできた! これでは、おとなの納得する楽しさは、生まれないと思うのです。 その世界観に触れて、そこに美しさなり、巧妙さなり、ずる賢さなりを感じるから、 おもしろい。 ぼくが、今の仕事を始めたのは、 前の仕事をしている時に、 便利なものを提供することは、結局人間をバカにしているのではないか? □ 誰が使っても、絶対に間違いがないように □ わかりやすく、わかりやすく 設計し、作るわけです。 でも、ある時から、それが少し変だなと感じ始めました。 そうやって便利なものを提供されると。。。 ▼ 意味など考えなくなる ▼ システムにただ動かされ、遊ばされる人間ばかりをつくってしまう ▼ もっとこうしろ、と自分の都合、その場の感覚だけで、文句ばかり言う だから、『人間を賢くする仕事がしたい』と思い、 今の仕事を始めたわけです。 それはまあ、 ちっとも賢さのないぼくが、 少しでも賢くなりたいなあ、という欲求から生まれたのかもしれません。