【英語は単なる道具】 じゃなくて、思考の新しいインフラです。
20年後の未来のために、青山プレップスクールです。 英語は単なる道具だから、、、、 という言い方を、よく耳にするなと、思っています。 たとえば、、、 英語は道具:銅メダル英語を目指せ:日経ビジネスオンライン ざっくりいってしまうと、 ★ 道具なんだから、難しく考えずに、 ちゃちゃっとマスター出来ますよ! ★ 単なる道具に過ぎなくて、 大事なのは中身ですよ! そういう趣旨であると、解釈しています。 なるほど、と思える面もたくさんあります。 しかし、結論から言うと、 まったくそうではない面もあるのではないかと ぼくは思うのです。 新しい、まったく違う言語体系を学ぶということは、 新しい思考法を学ぶことであり、 極論すれば、新しい人格を身につけることなのではないか。 それは、単なる道具という存在を超えて、 思考のインフラを開拓する、ということなのではないか。 そういう意味では、まったく異なる言語体系を学べる環境にある ぼくたち日本人は、なんてラッキー!! ◎ 日本人でも、性格(ものを考える時の、思考習慣)によって、 英語の得手不得手が決まるのではないか。 だから、 英語そのものの学習の前に、 英語的思考習慣の練習を徹底的にしたらいいんじゃないか。 *英語教材に関わっていらっしゃる方、一度ご検討ください(笑)。 ============ 英語も、数学も、理科も、社会も、現代文も、古典も、 時には、家庭科や音楽も教えてるから(笑)、 わかることがあるんですね。 (*そもそも、生徒さんたちはそれだけやらなければならないのに、 一般に、先生たちは自分の好きなことだけやっていて、 ぼくには、ずるいと感じます) ★ 古典を教えた後に、英語を教える ★ 英語を教えた後に、古典を教える ★ 小論文の指導をしている そんな時に、思うんですね。 ● 英語は、相手に伝えたいこと(主張)がある人たちの言葉 ● 日本語は、特に相手に伝えたいこと(主張)がない人たちの言葉 ============ 古典といえば、...