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4月, 2021の投稿を表示しています

死ねという人には近づかない方がいい

人の状況を理解しようともせずに、 ただ一方的に自分の主張だけを押しつけて、 少しでも自分の思い通りにならないと罵詈雑言を浴びせる。 もちろん、人それぞれ苦労はあるとしても 他者に対する敬意がない人とは たとえどんなに偉そうな人であっても近づかない方がいい。 そんな人が身内だったら大変ですが、 なるべく波風立てずに距離をとる。 なるべくなるべく関わらない。

「教える塾」「教え育てる塾」

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 「教え育てる塾」を試みに始めています。 == 世の中には「教えない塾」というのがあるそうで、 他人のことはどうでもよいのですが、 それが本質ではないだろうと、思っています。 少なくとも、アルバイトの子たちは勘違いしてしまうと思います。 == まあ良いとして、 「教え育てる塾」というのは、 教え方、育て方を教える塾という意味です。 対象は、子どもたちです。 大事なことをすべて、学校で教わるとは限らない。 お金のこと、法律のこと、性のこと、どうやって私が社会で生きるということ、などなど、などなど。 その中の一つに、子育てもあると思います。 ほとんどの人は、子育てについて素人でしょう。 そして、教えるということについても。 子どものうちから、人に教えること、人を育てることについて、 理論を学び、実践を経験しておくことが必要ではないでしょうか。 セミプロレベルになれるよう、プロフェッショナルと話ができるよう、そして変なのに騙されないように。 写真は、世田谷の松陰神社です。

数の感覚(その3: 1億のデザイン)

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子どもだけでなく、大人たちも、もちろん私自身も、 本当に数の感覚を持っているのでしょうか。 今、書棚を整理しています。 遅々として進みませんが、最終的に蔵書は8千冊を超えそうです。 8千冊ってイメージできるでしょうか? 1年で200冊読むとして、40年かかります。 大きめの本棚にぎっしり詰めても、数百冊しか入りません。 段ボールに詰めると何箱になるんでしょう。 === 今、学生や子どもたちにお願いして一緒に考えていることがあります。 『1億をデザインしてみよう!』 というものです。 日本の人口は1億2千万人ほど。まあざっくり1億。 この島国に約1億人が住んでいることを、わたしたちは本当に感覚として理解しているでしょうか。さまざまな社会問題、政治の問題、この国の未来をどのように考えたらよいのか。それがなかなかうまくいかないのは、わたしたちが1億人のことをありありと想像できないからではないでしょうか。結局、身のまわりの人たちが、「みんな」だと思っているのは、小学生と一緒です。 === たとえば、、、直径1cmの球を用意して、 1億個直線で並べると。。。1億cm=100万m=1000km 東京からだと、直線距離で鹿児島や根室あたり。 そこまでずっと、1cmの球が並んでいる。 ちっとも直感的ではありません。 では、平面で並べると、 1億cm^2 は、1万cmx1万cm=100mx100m=10000平米=1ha(ヘクタール) 野球場のグランドいっぱいに、1cmの球がびっしり並んでいる。 一応見渡せるけれど、見渡した時には1つ1つは見えない。 では、立方体を作ると、 1億cm^3 は、500cm立方くらい=5m立方くらい(それより少し小さくて良い) 20畳ほどの部屋いっぱいに、1cmの球がびっしり詰まっている。 どれもピンとこないなーと思っています。 もっと良いアイディアはないでしょうか!! === 「日本は」「日本の未来は」「日本人は」などの主語で 何かを語る人がいますが、 ここに今現在、または過去や未来にリアルに生きている ひとりひとりのことを想像して語っているのかな? 自分の空想の中の「日本」(その空想は自分の身近な数百の事例からできている) でもって全体を語ろうとしているんじゃないかな? === うちに通っている子たちのなかにはは将来、 社会で重要な役割を担うことにな

数の感覚、数の概念(その2:対策のあれこれ)

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うちの子は、数の感覚がないんじゃないか、 そんなご相談を受けての話。 人間が自然状態としての数は、(一目で識別できる、直感的という意味) 1,2,3,たくさん (すごい人で、7,8) それ以上は、抽象概念として、人工的に獲得するもので、 かなり高度で難しいことなのではないでしょうか。 ではどうすればよいのか。 (地味すぎる話で「映え」ません。  Aができたら、Bができ、そしたらCができ、  みるみる・・・みたいな話にはなりません。  ならないところが、生物であり、そこが肝だと思っています) □ 数えること たくさんのものをまずか数えてみよう。 ぼくがやっている中で一番みんなが興味を持ってくれるのは、 「お金」(なんとなく涙)なので、 100円玉をたくさん用意しています。 (interest の意味を知って高校時代に愕然としました。それは別の話) 1000枚ほどあります。 これを好きに数えてもらっています。 みんないろいろな数え方をしていて、見ていて楽しいです。 □ 束にする、かたまりにする まあこんなのも、小学校1年の算数の教科書に書いてあるのです。ただみんなやってないだけ。 □ 測る、計る、図る、諮る、謀る 定規でもいいし、巻き尺でもいい、長さを測ろう。 体重計でもキッチンスケールでもいいです。重さも計ろう。 計量カップ、バケツなんでもいいです。量も計ろう。 ストップウォッチ、時計、なんでもいいです。時間を計ろう。 □ カウントダウン 数え上げるのに慣れたら、カウントダウン。 100から1ずつ。 慣れたら、200から、5ずつ。 慣れたら、350から、7ずつ(ぴったり0になるかな?) □ 好きなことのなかの数字 スポーツが好きだったら、練習中いつも数えていると思います。 絵を描くのが好きなら、細かいところを書き込む前に、大きなレイアウトを決めるところからやってみましょう。 本が好きだったら、今日何ページ読んだかな。何冊読んだかな。 積み上げると何cmになるかな。 お金が好きだったら、投資ゲームみたいなものでもよい。 ゲームのなかには数字がたくさん出てきていて、 だけどインフレしているものが多いから、具体的な感覚には結びつきにくいんだよな―――。 □ スパルタ(量をこなす) こんなオールドスタイルな勉強も、時には取り入れる価値はあります。 どのくらいの量だったら、どの

数の感覚、数字の概念

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 数の感覚、数の概念(その1) 新しい子どもたちとの出会いもいただいて、新学期も始まり、 春ですね。 算数苦手、数学嫌い、という子に対して親御さんから 「数の感覚がわかってないんじゃないか」という ご相談を受けることがしばしばあります。 数の感覚 これについては、常々考えていることがあります。 数の感覚って何でしょうね。 そもそも、では大人たちは数の感覚を持っているのでしょうか。 ぼくは、数の感覚を持っているのだろうか。 結論からいえば、人間の脳が感覚として自然に認識できる数は、 1,2,3,たくさん ではないかと考えています。 それ以上の数は既に、抽象概念、人工物だろうと。 いやいや、4,5もわかるよ。 10だって、1,234,567,890だってわかるよ。 うん、それもわかるのです。 だけど、本当に感覚としてわかっているのかな? たとえば机の上に、17個の豆が乱雑に転がっているとして、 一目見て、直観的に、17個だとわかるでしょうか。 (2個や3個なら、できると思います) 子どもたちにクイズを出します。 「1億の次は?」 多くの子は、「2億!」って答えます。 うん、それが自然だと思います。 (1億を束として考えている、ということですよね) 感覚として数を理解するのってかなり難しい。 考えるきっかけになったのは、漢字です。 一、二、三、、、、ここまではとても直感的です。 四、これは、、、ギリギリ 五、これは既にかなり難しい、まあ何とか 六、これってもう、○○○○○○ではないだろう。 七、四より簡単に見える 八、もっと簡単になった 九、五より多いと思えない。 十、以下同様・・・ 漢字がそうなだけなんじゃない? 写真を添付しましたが、やはり4くらいからすでに難しくなりそうです。 「手で数えるよ!」という子はかしこいですね。 手だと、5までは直感的にわかりますね。 ぼくは小学生の頃、授業中にひまで「1億まで数えよう!」と 思ったことがありました。ところが、授業が終わるころでも数百レベル。 次の授業もしっかり使って数えましたが、まだ数百レベル。 え、これっていつまでやらなきゃならないの? 計算しました。(我ながらかしこいな) 1秒に1つ数えるとして、(実際にはノートに書いていたので、大きな数を1秒で書くこと自体無理) 100000000秒÷60⇒1666666分(切り捨て

あべこべの日

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今年もこの日がやってまいりました。 USO800 反転デー 今日の授業は嘘だらけ。 頭使い過ぎで、夜には朦朧となっているでしょう。 元写真はこれ。