数の感覚(その3: 1億のデザイン)
子どもだけでなく、大人たちも、もちろん私自身も、
本当に数の感覚を持っているのでしょうか。
今、書棚を整理しています。
遅々として進みませんが、最終的に蔵書は8千冊を超えそうです。
8千冊ってイメージできるでしょうか?
1年で200冊読むとして、40年かかります。
大きめの本棚にぎっしり詰めても、数百冊しか入りません。
段ボールに詰めると何箱になるんでしょう。
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今、学生や子どもたちにお願いして一緒に考えていることがあります。
『1億をデザインしてみよう!』
というものです。
日本の人口は1億2千万人ほど。まあざっくり1億。
この島国に約1億人が住んでいることを、わたしたちは本当に感覚として理解しているでしょうか。さまざまな社会問題、政治の問題、この国の未来をどのように考えたらよいのか。それがなかなかうまくいかないのは、わたしたちが1億人のことをありありと想像できないからではないでしょうか。結局、身のまわりの人たちが、「みんな」だと思っているのは、小学生と一緒です。
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たとえば、、、直径1cmの球を用意して、
1億個直線で並べると。。。1億cm=100万m=1000km
東京からだと、直線距離で鹿児島や根室あたり。
そこまでずっと、1cmの球が並んでいる。
ちっとも直感的ではありません。
では、平面で並べると、
1億cm^2 は、1万cmx1万cm=100mx100m=10000平米=1ha(ヘクタール)
野球場のグランドいっぱいに、1cmの球がびっしり並んでいる。
一応見渡せるけれど、見渡した時には1つ1つは見えない。
では、立方体を作ると、
1億cm^3 は、500cm立方くらい=5m立方くらい(それより少し小さくて良い)20畳ほどの部屋いっぱいに、1cmの球がびっしり詰まっている。
どれもピンとこないなーと思っています。
もっと良いアイディアはないでしょうか!!
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「日本は」「日本の未来は」「日本人は」などの主語で
何かを語る人がいますが、
ここに今現在、または過去や未来にリアルに生きている
ひとりひとりのことを想像して語っているのかな?
自分の空想の中の「日本」(その空想は自分の身近な数百の事例からできている)
でもって全体を語ろうとしているんじゃないかな?
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うちに通っている子たちのなかにはは将来、
社会で重要な役割を担うことになる人が、結構な割合で混じっているのだろうと思います。
だからこそ、自分の責任の重さを実感としてつかんでいてほしいなと思っているのです。