言葉の実弾
やらなければ、やられる。
そんな飲食店の話をさせてください。
2017年1月末日、
外苑前で45年間続けられてきた世界で一つだけのお店が、常連さんたちではちきれんばかり、賑やかに喧しく平常運転の中、幕を下ろしました。最後は感傷的な感じになるのかな?と思っていたのですが、みなさんそんな玉ではありませんでした。
ぼくは今の仕事を始めてから、特にこの3年ほど、3日を空けずと足を運んでおりました。
板さんのおいしい料理はもちろんですが、お店のマスターと常連さんたちが連日繰り広げる丁々発止、慣れないうちは喧嘩かと思うほどだったのですが、いつしかそれがクセになり。
元来口数の少ないぼくは、それでもなんとなく気に入っていただいて、言葉の実弾が飛び交う戦場ような場所で、なんとなく流れ弾を浴びておりました。
30年来、40年来の常連さんたちは、みなさんがそれぞれさまざまな業界の中で実績と肩書のある方々なのですが、お店の中では時間が逆戻りするようです。青年のように口角泡を飛ばして激論を交わし、冗談を言い、罵り合い、じゃれ合っている。また30年40年、人生をともに歩んだお店であったとも言えます。ここにいると、人生のさまざまな思い出が融け合って、1つの時間になっているようでした。時間感覚がおかしくなります。
ぼくの仕事は、子どもたちに言葉を伝えること。
しかし人生経験の少ないぼくには、「仕入れ」が必要です。
映画・音楽・絵画・芸術・芝居・建築・現代アート・デザイン・スポーツ・世界・仕事・経営・科学・オカルト・政治・教育・歴史・文学・恋愛・結婚・家族・・・人とその生き方
ぼくは夜ごと、人生の先輩方が身を切って発している言葉を「仕入れ」ては、
なんとか咀嚼できたエッセンスを
算数や国語、英語、理科、社会などの授業の中に、そっと忍ばせて子どもたちに伝えるのです。
子どもたちにとって「仕入れ」の場であったらいいなと。
45年という年月は、ぼくが生まれて生き来た年月でもあります。
そろそろぼくも、「仕入れ」ではなく、自らが「生産」するしかないのかな。
ちょっと不安です。
なんとなく続いてくれるんじゃないかと、まだ甘えています。