何のために勉強するの?

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

『何のために勉強するの?』


この、根本的な問いが、しばしば話題になることがあります。

□ 何でこんな勉強しなきゃいけないのか、意味がわからない。

□ 百人一首覚えて何になるの?

□ 三角関数できなきゃ生きていけないの?


ぼくの答えは、NOであり、YESでもある。


『何のために勉強するの?』  に対する問いの回答としては(答えじゃないです)、


『「自分らしく」生きる自由を得るため』


そもそもこの問いは、『何のために生きてるの?何のために生まれてきたの?』

という問いにつながります。


そして、それを問い続けて行くことが、1つの『生きていく意味』だと思います。



高杉晋作は、「男子たるものの死」について、吉田松陰に手紙を送りました。

獄中にあった吉田松陰は、その返信として、

『死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし

生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし』

と答えたそうです。(なんとまあ、恐ろしい!)


この言葉を知ったのは、ぼくが高校生の頃だったと思います。

日本史を選択していなかったぼくが、どうやって知ったのかは覚えていませんが、

本を読んだか、テレビを見たのでしょう。



その時の衝撃というか、虚しさは、

忘れることができません。



もちろん、死んで不朽の見込みなど、当時も(そして今でも)あろうはずがありません。

かといって、生きて大業の見込みがあるわけでもありません。


ぼくは一体どうしたらいいの?


月並みではありますが、生死などは考えずに、

その時が来るまで、「自分らしく」生き切ることしかないのだろうなと。



ところが、ここでさらに問題が!


「自分らしく」って一体何でしょう?


□ おなか減ったから、食べる

□ 眠いから、寝る

□ 怒られるから、勉強する (怒られはしませんでしたが。やりもしませんでしたが)

□ 給料もらえるから、働く (当時は給料もちろんもらっていませんが)


そんな反射的な生き方が、「自分らしい」とは、ぼくは思えなかった。

”素敵”という言葉に出会ったのは、その頃です。(それは以前に書きました







それから、大学に入って、社会人になって、世界を見たり、世間を感じて、

いろいろなことを経験し、たくさんの恥ずかしい思いもし、大変な迷惑もかけて、

何となく「自分らしさ」というものが、地に足がついてきたのは、30代になってからでしょうか。


そのさまざまな局面において、自分を支えてきたものは、

『自分で確かめる、そこから学ぶ』ということ。


各局面において、当然ながら物理的な制限、経済的な制約、相手はどう思うのか?

などの制限を受けますが、「自分はどう考える」ということに関しては、

完全に自由があるわけです。

(それは、30歳頃に司法試験の勉強をしていたときに、改めて感動しました)



今ぼくは、「自分が本当に正しいと思える」(少なくとも今のところ)ことを実行でき、

有り難いご評価、ご支援をたくさんいただいています。

そして、これからやりたいことの、深度や精度広がり、実現可能性が徐々に増して

来ている実感らしきものもあります。



そうなれたのは、曲がりなりにも、さまざまな事柄について、

相当曲がりなりにも、やってきたこと、そこから学んだことのお陰であり、



そうなれたきっかけは、

□ 抽象的なものに対して、「美しい」と思える洗脳?を受けたことと

□ 自分の頭や心の性質について

学校の勉強を通じて多少知っていたからかなと思います。



学校の勉強が、「目的」ではなく「手段」ですよ、とよく申し上げるのは

その辺りの考えであり、

□ 広げる練習

□ 深める練習

□ つなげる練習

だと思っています。


答えなんかはありませんが、「自分らしく」を模索する、

その時に、何らか自由を持っている

そんな風に未来を切り開いていってほしいと思います。



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