ぼくが、本当にまずいな~と思うこと

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


学びて思わざれば則ち罔し (まなびておもわざれば、すなわちくらし)


そして、うち(青山プレップスクール)は、だからこそ存在し、
オアシスであり続けたいな。



ぼくは、【勉強とは自分をつくるもの】だと思っています。


テストの点や、入試、資格試験も、その一過程としては存在するけれども
一生を掛けて、自分の可能性を探り続けていく、
はたして、死ぬまでに、『自分』というものは、完成するのだろうか??  (しないんでしょうが)
そのための伴侶として、勉強と付き合っています。


入学試験にしても、就職や転職、
そして(自分のイメージする会社がないので仕方なく)起業した時も、

いつも、0に戻って、新しい自由を得て、
新しい可能性を開けるんだ、とさわやかな気持ちになっていました。


そこから先が、【バラ色一色】だとも思っていませんし、
人生の答えなんか、見つかるとも思っていませんし、
だからと言って、投げやりにもなりませんし、
元来がのんびりしているので、のんびり長い目で構えています。

金持ちになるためでも、楽するためでも、
極端に言えば幸せになるためでもなく、
ただ、ぼくはぼくの人生を生きるためだけに。

もし、もう一度人生が始まるとしても、結局同じ人生を歩くんじゃないかな~。

そんなほそ道を歩くときには、『勉強』が相棒です。



□ 人と会って話を聞くのも勉強だし、
□ 何か新しいことをやって、失敗するのも勉強だし、
□ 世の中の矛盾を見てしまって、心に何か感じることも勉強だし
□ 友達とバカなことやって遊ぶのも勉強だし
□ 本を読んで、何か感じることも、もちろん勉強だし


親の影響、出会った先生、友達、起きた事件、、、
読んだ本、楽しい経験、苦しい経験、うまく行ったこと、失敗したこと、、、

そして、友達との約束。
なぜ、19くらいで友達とそんな約束をしてしまったのだろう、

もう、ぼくが死んだ時に、「やれるだけは、やったよ!」って言えるだけなのですが。


だから、もし仮に(あり得ませんが!(笑))、
もう何もしなくても暮らしていける状態になったとしても、
死ぬまで勉強はし続けるんでしょうね。


ところが、子どもたち(に限らず)を見ていると




◆ テストで良い点を取ると、推薦がもらえるから

◆ あの学校に入れば、良い人生を送れる可能性が上がるから
(さすがに、絶対とまでは思っていないようですが)

◆ あの学校に入っておけば、後で楽できるから

◆ この資格をとれば、昇進できるから

すごく、即物的なんですね。

だから、すぐに答えが欲しい。結果が欲しい。



だから、たとえば志望校に入学してしまうと、

【俺はもう、何事か成し遂げた】

みたいになっちゃう。

おい!、そこからスタートだろう!! 何のために入ったんだよ!

(結婚なんかも、どうしてゴールだって言っちゃうんでしょうね。
そこからが苦難?(笑)のスタートなのに)



これは、子どもたちに責任があるわけではなく、

社会全体が、そういう雰囲気を作り出してしまっている

彼らはただ単に、影響を受けてしまっているだけだと思います。



勉強との付き合い方がそんなだと、

面白さなんて生まれてきませんし、

【目的】が達成されてしまえば、勉強なんてしないですよね。



そして、自分にとって都合の良い狭い範囲で、
ぶよぶよ太った自我を満足させるために
自己を正当化し、他者を攻撃し、(そういう道具や知恵がまたたくさんあるんですね)


物事にはいろんな面があって、いろんな次元があって、
確かにそういう面はあるけれども、他の見方もあるかもしれないよ!

というところに、なかなか想像力が働かせられない。



せっかく勉強しているのに、そこで何も感じていない。

心が自由に動かないですね。

もったいないなあ。



だって、『目的』のために勉強してるんだから、

何かを『感じてる』余裕なんてないですよね。

白か黒か、です。



そうすると、とても極端なんですね。

A: とくかく、どんどん【目標】を作って、それを実現するために、常にせわしない

B: どうせ世の中そんなもん、と冷めきった目でしか何も認識できず、
斜に構えて、とにかく他者を否定してれば、賢そうに見えるよね。

両極端ですね。


大学生の時、確かにぼくも、
自分らしさ度は、100だと思っていました。
でも、今から思うと、今は10000くらい。
そのくらい、まだまだ変わるところはいろいろとあって、
ただ、心だけは開いていたかなとは思うんだけどなあ。



まあ普通の人間が今の状況を見ていると、

心が凝り固まって、目が閉じていて、
極端化が進む状況というのは、ちょっと怖い。

極端な時代に、ど真ん中を歩こうというのは、
意外に勇気がいるものです。


そして、、、

将来日本はまた、戦争とかやっちゃうんじゃないか。


とか。。。


戦争は、一部の人にしかプラスにはならなくて、
多くの普通の人にとっては、大迷惑な話だから。


学び

今の花は、もちろん美しいけれど、時分の花なんじゃないかな。

これから、「まことの花」を咲かせて欲しいな。

オープンで、フラットで、リベラルな、
オアシスのような場所でありたいなと思います。

Open, Flat, Liberal Oasis (O.F.L.O.  お風呂?)






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