(ぼくの履歴書001)ぼくの就職活動(前半)

どこから書き始めるか迷いましたが、特に根拠なく、就職活動からにしたいと思います。

特に根拠なくと書きましたが、多少なりとも根拠らしいものを考えると、

それ以前とそれ以降で、分けて考えていいかなと思ったからです。
・ それ以前は、おそらくほとんど何も考えずに、素直に純粋に生きていた
・ それ以降は、多少なりとも自分で考えて生きるようになった
(まあ、そんなに明確でもないですが)



さて、1993年の春の話になります。
当事は、バブルがはじけた後ではありましたが、まだ世の中全体としては、
浮かれた華やかな雰囲気があったと思います。
就職状況については、女子は求人率が1.0倍を切ったそうですが、
男子は1.0倍を超えていて、ぼくのいた大学では、特に大きな騒ぎにもなっていなかったように思います。

ぼくは、理工学部管理工学科に在籍し、
始まって2年目だった栗田治先生の研究室に在籍させてもらっていました。

その研究室は、OR(オペレーションズ・リサーチ)という手法を用い、
主に都市における問題をモデル化することにより、何らかの解決のアプローチを探る
という研究をしていました。
この話は、いずれ書くことになると思いますが、当時ぼくは、
「そんな計算で求められるような単純なことはやりたくない」
と思っていました。
(それが会社に入った後で、少し考えが変わるのですが、それもいずれ)

そんなぼくが、就職先として望んでいたのは、出版業界でした。
それはただ、「友人がそれを目指していたから」。
ただそれだけなのですが、ただそれだけで就職先を決められるぼくでもありました。
だから迷うこともありませんでした。

ただ、入社試験/面接の類は落ちまくりました。
そもそも不況を背景に、募集していない企業がたくさんあり、募集しているところは大手ばかりでした。
そしてぼくは、

「(日本も含めて)世界中の、いろんなところに住む、普通の人々の普通の暮らしが、とても魅力的で面白い、そんなことを伝える雑誌を作りたい」

そんなことを言っていました。
じゃあ、お前は何か知っているのか?いえ、知りません。でも絶対面白いはず。


そんな学生が通るはず無いですよね。
それはそれで、お互い良かったのではないかと思います。
(ただ、今書店に並んでいる雑誌で、そんなような雑誌はとても多いですよね。実力が無かっただけです)


そんなことをしている間に、友人はどんどん決まり始め、
ぼくだけ決まらずに(それはよいとしても)、
いつまでも、こんなことを続けているのはいやだと思うようになりました。

出版業界でなくてもいいから、何か面白そうな会社がないものか、
6月の終わりころ、そんなことを考えていました。



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