頭の柔らかさ

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


「頭の柔らかさ」って何でしょう?

よく、「若い人は頭が柔らかくていいね」
なんてことが言われます。

でも、実はぼく自身、そう思ったことはほとんどありません。

自分で言うのもなんですが、
ぼくは結構頭は柔らかいんじゃないかと思っています。
(自分でそう思っています)

中高生を見ていると、いろんな制約を自分で勝手に作って、
その中でしか考えることができず、苦しんでいるように見えることがあります。

もっと発想を自由にして、柔軟に考えればいいのに。。。

これは、東大生と話していても感じることです。
彼らの方が、もちろん中高生よりはずいぶんと柔軟だと思いますが、
変な話、まだまだ負ける気はしません(勝ち負けではそもそもないですが)。

一方では、いろんな経験を積んできた人、
たくさん仕事をして、生き生きしている人、
そんな人の発想には、「かなわないな」と思うことはしばしばです。
(もちろん、そうではない、「困ったおじさん」もたくさんいますが)

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だからぼくは、

「さまざまな脳経験は、頭を柔らかくする働きがある」

と思っています。
(あくまで、「働きがある」というだけで、保証しませんが)


青山プレップスクールにいらしていただいたことのある方はご存知だと思いますが、
たくさんの本がありあす。
それも、できるだけジャンルを特定せずに、
いろんなものが、雑然と山積みされています。

ぼくは何か新しい発想が欲しい時は、
過去の経験や、それら書籍の中から、「似たもの」(といっては語弊がありますが)
を探しています。
その「似たもの」とは、できるだけ直接関係のないものから探すようにしています。

そして、出てきた様々な要素を、
目的に応じて、再編集している

極端に言えば、
2つのことしか知らなければ、それらの組み合わせは1通りです。
(単体の知識と合わせても、3通り)

でも、
10個のことを知っていれば、
1個使う・・・・・10通り
2個使う・・・・・45通り
3個使う・・・・120通り
4個使う・・・・210通り
・・・
なんて単純な話ではありません。
組み合わせ方がまだまだ増えるので、
組み合わせの種類は莫大に膨らむ
というイメージです。

だから、知識を詰め込めばいい

とも思いません。


いつでもすぐにとり出せて、
自由に編集し直すことができる


そんな知識が必要なのだと思います。

知識を使う際に、多少の曲解は、あってもいいと思います。
(そのおかげで、いいアイディアが出るのであれば)

逆に、いくら正しい知識であっても、
使いこなせなければ意味がない。

むしろ、勘違いの仕方に、「個性」が現れるかもしれません。


もっと自由に、柔軟に、
それは、もしかしたら学校にはそぐわないかもしれないけれど、
でもだからこそ、せめて青山プレップスクールでは
伝えていきたいことです。



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