(学びの五輪書)何故、数学を学ぶか
20年後の未来のために、青山プレップスクールです。
よほど特殊な人でない限り、
大人になって、(算数はともかく)、数学を使う人は、かなり限られます。
だから、数学は不要か?
たとえば、野球部の練習メニューの中には、たいてい、
腕立て伏せとか、背筋トレーニングとかが、含まれています。
しかし、試合で腕立て伏せをすることがあるかというと、
そんなことはありません。
背筋トレーニングを、ひとつの競技として、
背筋力を競っているわけでもありません。
じゃあ、腕立て伏せは不要かといわれると。。。
代替手段があれば、必須ではないでしょう。
背筋トレーニングが好きだから、野球部に入る子もいないでしょう。
ただ、背筋を強化することが、野球にとって必要だからやるのです。
=======================================================
ただ、現実には、
実際の試合よりも、腕立て伏せが好きな人が、
腕立て伏せという競技を作って、腕立て伏せを教えている。
=======================================================
たとえそうであったとしても、
良い師にめぐり合うということは、人生の財産ですから、
その内容は何でもよいと思います。
腕立て伏せのことを、こんなにも愛している人がいるんだ
そこから、学べることは、豊かなものであるはず。
そういう意味では、
ただなんとなく、
自分もやってきたし、上からもやれと言われているから、
毎年同じことをしているだけの先生は、、、
=======================================================
大変長い前置きになっていますが、
MBAという資格(?学歴)があります。
Master of Business Administration
経営管理学修士
その資格を得るために、ハーバードやMITといった
アメリカの有名大学の大学院に留学される方のサポートもさせていただいています。
大学院に入るには、他いろいろありますが、
GMATという試験を受けて、それなりの点数を取る必要があります。
その試験に、数学(日本で言えば、小学校高学年~高校1年くらいの範囲)が
含まれています。
なぜ、アメリカの大学院に入るのに、
(基礎的な)数学の試験をするのか?
=======================================================
仕事、経営、管理、には、
数学的思考が必要になるからです。
逆に言えば、その基礎がないことには、
ビジネスという世界では、難しい。。。
仕事って、学生さんが思っているよりは、もう少しシビアなもので、
上司だろうが、年上だろうが、親会社の人だろうが、年下だろうが、下請会社の人だろうが、
出来ない人とは、あまり一緒にやりたくない。
自分の貴重な時間と、将来のキャリア、人生のある割合を掛けてやるわけですから、
当然です。
戦国時代であれば、
軍団の中に、一人弱いやつがいると、みんな足を引っ張られるわけです。
その結果、無駄死ににすることも、十分にあるわけです。
できれば、そいつとは、同じチームになりたくない。
現代ならば、さすがに仕事で死ぬことは、それほどありませんから、
若ければ、成長分を期待され、
かつての私の部下なども、まあ本当にのびのびと。。。
コミュニケーションさえ取れていれば、
上手くいかない時の対処と、上手くいかなかった時の責任だけ取ればいいだけですから。
その、コミュニケーションの根幹になっているのが、『数学的思考』です。
=======================================================
特に若いうちは、『数学的思考』が必要なのです。
なぜなら、若いうちは、大抵の場合、【若造】として、仕事に混ぜてもらう形になるからです。
その【若造】が、「おれの勘では、これはこうだと思う」といっても、相手にされないですよね。
「わたしは、なんとなく、こうだと思います」と言われても、はい、そうですか。
経験や動かせる資金力、動かせるネットワークで勝負したところで、
若造は、太刀打ちできないわけです。
じゃあ、上から言われたことだけをしていればいいか?
大抵の場合、上司も本当のことは何もわかっていないのです。
むしろ、自分の方がわかっている場合もある。
そういう時に、順序立てて、論理的に話を進められれば、
たとえ、上司の意図に沿わぬことであったとしても、
事実と論理がきちんとしていれば、OKと言わざるを得ないのです。
そうやって経験を積んでいけば、
そのうちに、経験による知識もついて来て、
「なんとなく、こっちの方がいいと思う」
といっても、「あの人が言うならば」と思ってもらえるわけです。
=======================================================
ぼくは今、
普通とは逆のプロセスで、
仕事の現場から、数学の問題に戻ってきたのですが、
そこで感じることは。
仕事で使う頭の使い方と、数学で使う頭の使い方は、
一緒だということ。
だから別に、数学に限った、難問・珍問の類ができたらいいとは、
そんなには思いません。
それよりは、頭の使い方、どの部分が鍛えられているか
(かなり幹の部分)
ということを意識して欲しい。
数学の問題の解き方も、
ぼくなりにまとめてみると、5種類でした。
(それを、多いと見るか、少ないと見るか)
そのきっかけで、『五輪書』を読んでみたら、
なんと符合することが多いことか。。。
ということで、『五輪書』を、これから読んでいって、
それが、現代の現実社会に、どのように用いることができるのか、
そういうシリーズを始めます。
ポチっとお願いします。
blogramランキング参加中!
^^
よほど特殊な人でない限り、
大人になって、(算数はともかく)、数学を使う人は、かなり限られます。
だから、数学は不要か?
たとえば、野球部の練習メニューの中には、たいてい、
腕立て伏せとか、背筋トレーニングとかが、含まれています。
しかし、試合で腕立て伏せをすることがあるかというと、
そんなことはありません。
背筋トレーニングを、ひとつの競技として、
背筋力を競っているわけでもありません。
じゃあ、腕立て伏せは不要かといわれると。。。
代替手段があれば、必須ではないでしょう。
背筋トレーニングが好きだから、野球部に入る子もいないでしょう。
ただ、背筋を強化することが、野球にとって必要だからやるのです。
=======================================================
ただ、現実には、
実際の試合よりも、腕立て伏せが好きな人が、
腕立て伏せという競技を作って、腕立て伏せを教えている。
=======================================================
たとえそうであったとしても、
良い師にめぐり合うということは、人生の財産ですから、
その内容は何でもよいと思います。
腕立て伏せのことを、こんなにも愛している人がいるんだ
そこから、学べることは、豊かなものであるはず。
そういう意味では、
ただなんとなく、
自分もやってきたし、上からもやれと言われているから、
毎年同じことをしているだけの先生は、、、
=======================================================
大変長い前置きになっていますが、
MBAという資格(?学歴)があります。
Master of Business Administration
経営管理学修士
その資格を得るために、ハーバードやMITといった
アメリカの有名大学の大学院に留学される方のサポートもさせていただいています。
大学院に入るには、他いろいろありますが、
GMATという試験を受けて、それなりの点数を取る必要があります。
その試験に、数学(日本で言えば、小学校高学年~高校1年くらいの範囲)が
含まれています。
なぜ、アメリカの大学院に入るのに、
(基礎的な)数学の試験をするのか?
=======================================================
仕事、経営、管理、には、
数学的思考が必要になるからです。
逆に言えば、その基礎がないことには、
ビジネスという世界では、難しい。。。
仕事って、学生さんが思っているよりは、もう少しシビアなもので、
上司だろうが、年上だろうが、親会社の人だろうが、年下だろうが、下請会社の人だろうが、
出来ない人とは、あまり一緒にやりたくない。
自分の貴重な時間と、将来のキャリア、人生のある割合を掛けてやるわけですから、
当然です。
戦国時代であれば、
軍団の中に、一人弱いやつがいると、みんな足を引っ張られるわけです。
その結果、無駄死ににすることも、十分にあるわけです。
できれば、そいつとは、同じチームになりたくない。
現代ならば、さすがに仕事で死ぬことは、それほどありませんから、
若ければ、成長分を期待され、
かつての私の部下なども、まあ本当にのびのびと。。。
コミュニケーションさえ取れていれば、
上手くいかない時の対処と、上手くいかなかった時の責任だけ取ればいいだけですから。
その、コミュニケーションの根幹になっているのが、『数学的思考』です。
=======================================================
特に若いうちは、『数学的思考』が必要なのです。
なぜなら、若いうちは、大抵の場合、【若造】として、仕事に混ぜてもらう形になるからです。
その【若造】が、「おれの勘では、これはこうだと思う」といっても、相手にされないですよね。
「わたしは、なんとなく、こうだと思います」と言われても、はい、そうですか。
経験や動かせる資金力、動かせるネットワークで勝負したところで、
若造は、太刀打ちできないわけです。
じゃあ、上から言われたことだけをしていればいいか?
大抵の場合、上司も本当のことは何もわかっていないのです。
むしろ、自分の方がわかっている場合もある。
そういう時に、順序立てて、論理的に話を進められれば、
たとえ、上司の意図に沿わぬことであったとしても、
事実と論理がきちんとしていれば、OKと言わざるを得ないのです。
そうやって経験を積んでいけば、
そのうちに、経験による知識もついて来て、
「なんとなく、こっちの方がいいと思う」
といっても、「あの人が言うならば」と思ってもらえるわけです。
=======================================================
ぼくは今、
普通とは逆のプロセスで、
仕事の現場から、数学の問題に戻ってきたのですが、
そこで感じることは。
仕事で使う頭の使い方と、数学で使う頭の使い方は、
一緒だということ。
だから別に、数学に限った、難問・珍問の類ができたらいいとは、
そんなには思いません。
それよりは、頭の使い方、どの部分が鍛えられているか
(かなり幹の部分)
ということを意識して欲しい。
数学の問題の解き方も、
ぼくなりにまとめてみると、5種類でした。
(それを、多いと見るか、少ないと見るか)
そのきっかけで、『五輪書』を読んでみたら、
なんと符合することが多いことか。。。
ということで、『五輪書』を、これから読んでいって、
それが、現代の現実社会に、どのように用いることができるのか、
そういうシリーズを始めます。
ポチっとお願いします。
blogramランキング参加中!
^^