(国語) 物語に興味を持ってもらうため、お話を作ってみました
読みにくいので、こちらから、ダウンロードもできます。
最後にタネ明かしと、クイズがついています!
『裏話』
古い地図を見ると、
確かにそこには「益蟹尾」という村があった。サワガニが多く取れたそうだが、逆に言えば美しい川とサワガニ以外には、ほとんど何もない村だったという。今は満々と水を湛え、下流域に水利と安全をもたらす「床奈ダム」が、そこにはある。
そのダムの建設にあたっては、地域全体が割れた。ダム建設推進派と反対派とが、中央の政治的、経済的思惑をも含みつつ、激しく対立した。肉親同士が対立することも少なくなかったという。とても収拾がつかないと思われた諍いであったが、推進派の代表の一人、洞田桃の尽力により、ダムは建設にこぎつけることができた。
洞田桃は、これをきっかけに地元の人々からの尊敬を集め、その後県議会議員を経て、衆議院議員、国土交通省副大臣にまでのぼりつめた。一方では、彼女には黒い噂も常につきまとった。そのはじめは、ダム建設に関する巨額の裏金であったという。
テレビに映る彼女は、良くも悪くもエネルギッシュで歯切れよく、目立つ存在だったので、そういうことも少なからずあったろうと思われる。しかしぼくの知る彼女は、むしろ寡黙で陰鬱で、どこか投げやりな、どちらかと言えばぱっとしない中年女性だった。その、時折見せるぱっとしなささえ、彼女の支援者にとっては魅力の一つであったというから、世の中わからない。
彼女の一人息子であるぼくは、悲しいかな大した能力もない凡人だが、大学を卒業し、特に苦労もなく大手建設会社に入社し、なぜか人並み以上の昇進をした。ぼくは、総務部総務課総務係長として、上司に言われるまま無機質な日々を送っていた。同僚たちとの日々は、それなりに楽しくはあったが、生きがいなど感じたことはない。それを不満に感じたこともまた、ない。
母である洞田桃に関するさまざまな噂については、特に興味もなく、むしろ耳を塞ぐようにして過ごしてきた。母のことを忘れている時の方が幸せではあったが、母の影響なしに今の自分があるかといわれると、自信はない。
しかし、幸子との結婚を真剣に考えていた当時、
彼女が、「うちは清和源氏の流れをくむ、なんとかかんとかで・・・」という話しを持ちだした。それまでそんなことは意識したこともなかったので、結婚とはそういうことまで考えるものなのかと驚いた。どうせ古い話はわからないが、せめて自分の母親のいくつかの疑惑について、一応調べてみようかな、その程度の気持ちだった。
あの日記、見てもいいかな。
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