(FOI-File2) 中学生と、Justice!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

【以前の記事はこちら(あらすじなど)】

(FOI) 「正義」について(Michael Sandel 「Justice」)
(FOI-File1) 中学生と、Justice!


さて、実際にやってみてどうだったか?

★1-1: 直進して5人を轢くか、曲がって1人だけ犠牲になってもらうか?

Y君: 「うーん、でも曲がります」
B君: 「うー、曲がります」

ぼく: 「何故?」

B君: 「5人を殺しちゃうなら、仕方がないかな~」
Y君: 「5人殺しちゃまずいから」

ぼく: 「ハーバードの学生とあんまり変わらないね!」


★1-2: 隣の太った人を、押す?

Y君: 「うーん、押します」
B君: 「うーん、押すかな~、でもやっぱり押せません」

ぼく: 「なんで?押すといったY君は、さっきと同じ理由かな?
押さないといったB君は、さっきと話しが違うんじゃない?」

Y君: 「そうです。5人殺しちゃうくらいなら、、、あ~でも~、、、
やっぱり押せません。殺人になっちゃいますよね」

ぼく: 「そうかもしれないね。でも、5人助かるんだよ」

Y君: 「うーん、それでもやっぱり、自分の手で押すってのは~」

B君: 「僕もそれは殺人になっちゃうからダメだと思う」

ぼく: 「5人の命を救えるとしても?」

Y君: 「でもその5人は、僕が殺すわけじゃないから」

ぼく: 「じゃあ、自分がやるんじゃなければ、何人死んでもいいってこと?」

Y君: 「そうかもしれません」


★2-1: 重篤な1人を救うか、比較的軽症の5人を救うか

B君: 「5人を助けます」Y君: 「5人を助けます」

ぼく: 「何故?」

B君: 「その1人は、どうせかなり死んでしまっているから、5人救った方が良い」
Y君: 「医者としては、より多くの命を救うべき」

ぼく: 「重篤な1人は、どう見ても辛そうで、うめいていて、、、見捨てるの?」

Y君: 「仕方ないと思います」
B君: 「できるだけ見ないようにして」


★2-2: 健康な1人を犠牲にする?

B君: 「それはしない」 Y君: 「それは無理」


ぼく: 「何故?」

B君: 「その人は、関係ないから」
Y君: 「だって普通そうでしょう」

ぼく: 「だって5人救えるんだよ」

Y君: 「それでもダメ」
B君: 「それでもしない」


★ 結局ね

ぼく: 「これは、何か意地悪なクイズを出して、性格判断しようっていうわけじゃないのね。
自分が、『何となくこう思おう、感じる』と思うことにも、
必ずその【根拠】があって、【価値観】があって、【正義】がある。
そのことを、考えるための練習であって、
そして、これから大人になって行くにあたって、
【自分は何を信じるか】、【他人が信じるものを、自分も想像できるか】
そんなことが、とても大切になってくるのね。
国語とか、社会とか、そういう授業は、
本当は、こういうことを考えるための時間であり、
こういうことを考えるための材料を探しているんだよ」


★ 結論

ぼくの誘導がいまいちだったのか、たまたまか、そういう傾向があるのか、
少し「ゲームっぽく」、「クイズっぽく」捉えてしまったかな?

1-2の質問で、始めは2人とも「押す」と答えたのが、特徴的でした。




ポチっとお願いします。

blogramランキング参加中!

^^

このブログの人気の投稿

640時間の夏休みチャレンジ:日常の中の無限の学び

『いちばんすきな花』が好きすぎて・・・カルタ作って正月遊ぼう

はじめにの読書会(154)『パズルで解く 世界の言語』