いやー、わからないね、これ、どうしよう?

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

5歳から50歳まで、いろんな科目を教えていて、
実際には、『わからないこと』や『知らないこと』ってしばしばあります。


でもそこで、大事なのは、

『そういう時こそ、腕の見せ所!』

ってこと。

そもそも、こちらがすべてを知っていて、
生徒さんが何も知らないで、
一方的に、「教えてやるから、話しを聞け!」
みたいなことは、
フェアじゃない、
とぼくは思っています。(感覚として)

そんな風に教えてもらっても、子ども目線で考えれば、

『先生だから、いろいろ知ってて当たり前だよね。(私とは違う)』

となるだけで、
そのうち、自分がわかるかどうかというだけの基準をもって

『あの先生は、教えるのが下手だ』


そんな風に思考が回って行くのは、よくあるパターンだと思っています。



ぼくに言わせれば、

はっきり言ってしまえば、

先生がどうであろうが、今やらなければならないのは自分であり、
先生がどうだから、、、ということは、下手な言い訳に過ぎない。



だから、ぼくが大切だと思うことは、

★ わからない、ということを共有してあげること
(誰でも始めは、わからないし、できない、
ぼくなんか、いまだに、わからないことも、できないことも、たくさんある!)

<いばるな!(笑)>

★ 「わからない」 時に、どんな技を使って、「なんとかわかる」に変えているのか?
「できない」ものを、どんな技を使って、「なんとかできる」状態に変えているのか?
その技こそが、肝心だと。

□ 問題をしつこく読み返す

□ 辞書、教科書、参考書を調べる

□ 昔の単元まで戻って、既存知識の確認をする

□ 例題、類題をやってみて、具体例からの理解を試みる

□ 別の教科や単元でやったことを援用してみる

□ インターネットで調べる

などなど

そして、それぞれの技を、どのように使っているか?、
どんな順番で使っているか?
それはなぜか?


そんな「技」を、本当は盗んで欲しいのです。
(たまに教えてしまいますが、本当は盗んで欲しい)


結局は社会に出れば、

知らないことだらけ、わからないことだらけ、できないことだらけ

なわけです。


そんな時どうするの?

「誰も上手に教えてくれなかったからできませんでした」

って通用しない世界です。

いえ、現実には通用する人もあるかもしれませんが、
うちを卒業する子には、そんなぬるいところじゃなくて、
責任があり、社会から必要とされる人になって欲しいので。



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