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死ななきゃ自由になれない?学問の自由はどこへ行った?『落語・掛け算』(計算の順序)

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20年後の未来へGO! シン・アオヤマFプレップスクールです。 ネットで時々話題になる、掛け算の順序問題。 2x3、3x2どっちが正しいの? 「腑に落ちた」という人がいたので読んでみた記事 『落語・掛け算』 https://kakuyomu.jp/works/1177354054881150910/episodes/1177354054881151009?utm_content=buffer63322&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer すみません! 私にはちっともわかりませんでした。 読解力、やばいかも。 落ちは、「死後に自由(4x5=20)」ということなのですが、 結局、何が言いたいのでしょう。 落ちだから、あまり気にしなくていいのでしょうか? 本当につたない(つまり理解している手ごたえがない) ぼくの解釈ですが、 □ 規則に従わないと、社会が混乱するでしょ □ 規則は国または偉い人が決めたもの □ 守らないと笑われる 一方では、 □ 規則にがんじがらめなのもおかしい ↑ おかしいから、みんなのやる通りにしておけということなのか? いえ、この記事については、ぼくは本当にわかっていなくて、 わかっていないことをさらすのは恥ずかしいのですが、 本気で、誰か教えてほしいです・・・ ======================== 掛け算の順序については、ぼくは、以下のような観点で、 子どもたちに、またときに大人たちにも説明しています。 1.世界をどう見ているか(見る順序、考える順序) 2.論理性またはそれなりの合理性 3.歴史の重み 以下、順に。 1.世界をどう見ているか(見る順序、考える順序)    A: 『2つのものが3セットある』 と見ているか       (記事の例では、ウサギには耳が2つある。そのウサギが3羽いる)    B: 『3セットあるよ。1セットには2つずつ、付いているよ』       (英語で言えば、3 sets of 2)    <別の場面ですが...

純・学問のすゝめ (人生をかけてもいいと思えるものに出会う努力)

20年後の未来へGO! シン・アオヤマFプレップスクールです。 純・学問のすゝめ 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言えり。 されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤上下の差別なく、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。 されども今、広くこの人間世界を見渡すに、、、 どうなってるんですか! □ 学校がランク付けされ □ 受かるための勉強をし □ 受かれば官軍 □ 就職は、みんなに「すごい!」と言われそうなところ □ 入れば官軍 □ 官軍内にも序列があって一番下からやり直し □ 少し給料が高いため □ 序列意識が抜けないため □ やっている意味も、成長も、将来も、心からの満足もないままに □ むしろ非効率、理不尽、不道徳と、表面上の華やかさ、目の前を通り過ぎるお金 □ ただただ働かされる、辞められない □ 長時間も大変だけど、限られた人生 □ 短時間ならいいのですか? □ 時間や制度で白黒つければ、はい、おしまい どこで歯車が狂ったか? 責任の一端は福澤先生、あなたにもあります。 国の独立は個の独立から。個の独立のために経済的自立も大切な要素。 だけど、経済の自立のために、個としての精神としての自立が妨げられてしまっては。 どこで歯車がくるったか? □ とりあえず、今は勉強して少しでも学校へ行きなさい □ とりあえず、合格したから今は遊ぼう □ とりあえず、就活のために志望動機考えよう □ とりあえず、言われた仕事はやらないと とりあえず、とりあえず。。。 今の日本の子どもたち。 いろいろ不足はあるにせよ、 世界的にも、歴史的にも、こんなに恵まれた子どもたちは、そうはいない。 □ 家族のために勉強を諦めて働かなければならないわけではない □ 愛する人のために国を守る戦争に行かなければならないわけではない □ 1つの組織に生涯を捧げなければならないわけではない 何もしなくても死なないから、じゃあ何もしない? 自分で考えるのが面倒だから、誰かの考えたルールに従う? 「自分が本当に、一生を捧げてもいいものに出会う努力をしよう」 すぐに見つからなくていい、ずっと見つから...

名門

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20年後の未来へGO! シン・アオヤマFプレップスクールです。 いわゆる名門校。 生徒さんたちの持ってくる、 宿題、学校の教材、テストなどを見て、    また、授業の話などを聞いているだけですが、 おもしろい授業をしているな、 先生もプライドを持ってやっているな と感じることが多いです。 ただ、 これから受験しようとする子(在学中の子も)。 「そこに入りさえすればいい」 とは思わない方が。。。と思います。先のことを考えて。 先日、とある大手塾の説明会に行ってきたというお母さまからのお話で、受験まで残り数か月、 【学校への憧れ、どうしても入りたいんだ!】 という気持ちが大切ですよ、と言われたそうでして。。。 どんな名門であれ、元をたどれば、海のものとも山のものとも知れなかったはず。 それを築いてきた先人がいたということ。 ぼくたちが普通に見ているのは、その「陰」に過ぎない。ぼくがよく言うところの、『イチローじゃなくて、鈴木一郎を』。その方が勉強になると思うのです。 これから入る人も今いる人も、 その環境で思いっきり、いろいろなことを学んで、 ゆくゆくは新しい伝統を作る、自分でブランドを作る、 そんな気持ちを持っていてほしいなと思います。 人口のほとんどが成長を実感できた 【上りエスカレータ】の時代ではありません。 伝統・ブランドにしがみつくような気持ちは、 少ない方がいい。 (特に周りのオトナが自分たちの経験から、 それを植え付けないほうがいい)

流水算の解き方を教えることが、「先生」の仕事ですか?

20年後の未来へGO! シン・アオヤマFプレップスクールです。 どうも、「教育関連です!」、「先生やってます!」 という人と なかなか話が合わなくて、、、へこみます。 流水算の解き方を教えることが、「先生」の仕事ですか? 結論から言えば、そんなものは余技に過ぎない。 その子の成長を待つための、場つなぎ・時間稼ぎに過ぎない。 目の前のテストで60点70点を取らせるために、 そして自分も60点70点の仕事をすればいい、 とすることで満足としないのであれば。 伊藤利助。 貧しい生まれながら、たまたま松下村塾に出入りすることになり、 松陰先生からは、 「才劣り、学幼し。しかし、性質は素直で華美になびかず、僕すこぶる之を愛す」と評され、 俊英の俊から「俊輔」と名を与えられ、 「俊輔、周旋(政治)の才あり」と才能を認められた。 桂小五郎から同志と呼ばれ、功山寺決起が道を開き、 海外留学・洋行で視野を広げ、、、 後に、大日本国憲法の制定、初代内閣総理大臣・・・そう、伊藤博文。 松陰先生に、本当に人を見抜く眼があったのか、 それとも、嘘から出た誠であったのか。。。 おそらくは両方、ではなかったかと、私は思います。 松陰先生の足元にも及ばぬ非才の身としても、 満点を100点なんて誰が決めた? 60点取れば合格、なんてものに貴重な10代の時間を使いたいか? 満点は1000点でも、10000点でも、 いやいや、60点でも。それは自分で設定すればいいもの。 他人が決めることではない。 合格確率がどのくらいだから、、、と、ビッグデータを分析しても、 1回限りの、やり直しのきかない、 その子の人生にとっては大した意味はないもの。 たとえ今、勝てなかったとしても、自分が成長し、機が熟した時に、また勝負したらいい。 そんなことよりも、 自分が何者であり、今がどういう時代であり、世界はどうなっているのか。 どこに活路を見出すか、いつ何で勝負するか、 気づかせてあげるのが、(正確には、勝手に気づいてもらうのが) やすらかに、ひろやかに、たすける(泰輔) と名付けられた私の(職業はなんであれ)仕事だと思っています。 「艱難をともにすべく、富貴をともにすべからず」 と言ったの...

「わかりやすさ」至上主義の恐怖

30歳前後に、その子がどんなおとなになっているか。 仕事ができて、毎日が充実し、周りと良好な関係を築き、 経済的・精神的・時間的にも少し余裕があって、判断力がある。 それぞれのタイプはあるでしょうが、だいたいそんなおとなだったらいいな、 そのために、今から準備できることは何? ぜひ今からやっておくべきことは何? そんなことを、一人ひとりに合わせて、日々考えています。 前置きがだんだん長くなっている、新・青山Fプレップスクールです。 そんなはずはないと思うのですが、 こんなぼくでも、「説明がわかりやすい」と子どもたちから言われることがあります。 じゃあ、普段いったいどんな授業を聞いているのか、、、非常に不安になります。 それはそれとして、ぼくが前から言っている 「わかりやすさ」を重視しすぎることは、ちょっと危ないことだよ、 ということについては、少しずつ理解される場面も増えてきました。 ここ最近の話題としては、 いわゆるトランプ現象、舛添要一都知事の問題、イギリスのEU離脱など。 わかりやすい説明に、思った以上に多くの人が飛びついてしまう。 そして、その結果、思ってもみなかったことが起こる。 結果として、誰の得にもならないことになったりしてないだろうか。。。 もちろん、政治家や官僚、社会的責任の大きい大企業、学者。。。 といった、これまで権威とされてきた人々の中で、 【依らしむべし、知らしむべからず】 とばかりに、またはわかりにくい表現が権威の象徴であるように使われてきた歴史はあるのでしょう。 それは、改めるべき。 情報を出す側は、できるだけわかりやすく出す必要はあります。 一方、ぼくたち一般庶民は、、、 わかりやすい方がもちろんありがたくはありますが、 たとえわかりづらい表現であったとしても、理解できる能力が必要だと思うのです。 または、自分が理解できるための適切な質問をする能力。 対話しながら授業を進めていること、 「先生」がわかりやすく説明する、というスタイルではなくて、 一緒にテキストを読んで、一緒に理解を進めていくというスタイル。 それは、10年後、20年後に活きてくると思います。

新・青山Fプレップスクールとは何か、そして何であるべきか。

新・青山Fプレップスクールは、 既存の教育機関を羨望する必要のない教育システムを持っています。 他塾・学校のものまねをして作った塾ではありません。 むしろ、他塾のほうが手本にしたいと思う塾であるべきだと考えています。 少数の「教育者」、「先生」によって支配されるのではなく、 教わる側の多数が参加するぼくたちの塾は、 時に民主的システムであると言われます。 このシステムでは、すべての生徒、先生は平等な権利を持ちます。 将来、公的な生活に奉仕することによって得られる名誉も、 その日との努力と業績に応じて与えられるものであり、 生まれや育ちによって与えられるものではありません。 貧しくとも、将来公共に利する行為を為そうとする者は、 その貧しさによって学習の機械から外されることはありません。 ぼくたちは将来、公的な生活に限らず、私的な日常生活でも、 完璧な自由を享受して生きていきます。 新・青山Fプレップスクールの卒業生の享受する自由は、 怠惰や嫉妬が渦巻くことさえ自由というほど、その完成度は高いものです。 それでいながら、日々の労苦を忘れさせてくれる手段でもある、 教養と娯楽を満喫し、また各種イベントも催されます。 ぼくたちの競争相手(?)は、 ごく若い時期から子どもたちに厳しい「教育」を施し、 それによって機械のような気質の持主の育成を目指しているが、 ぼくたちの塾では、、 それらの塾ほど厳格な「教育」を子どもたちに対して与えることはしていません。 それでいながら、卒業後は、彼らより劣る結果を示したことはありません。 ぼくたちは、試練に対するにも、彼らのように非人間的な厳しい訓練の末の 予定された結果として対するものではありません。 ぼくたちの一人一人がもつ能力を基とした、決断力で対します。 ぼくたちが発揮する勇気は、 「教育」に縛られた法によって定められたから生まれるのではなく、 一人一人が日々の生活を送る上で持っている、各自の行動原則から生まれます。 ぼくたちは、美を愛します。だが、節度を持って。 ぼくたちは、知を尊びます。しかし、溺れることなしに。 ぼくたちは、富を追及します。だがこれも、可能性を保持するためであって、 愚かにも自慢するためではありません。 新・青山Fプレップスク...

学校は方針を変えてはいけない、生徒は学校を選べなくてはいけない