AIの時代に、子どもたちは何を学べばいいのか ——私がずっと考えていること
今から19年前、
青山プレップスクールを始めるまえから、私の頭の真ん中ににずっと居座っている問いがあります。
子どもたちひとりひとりが未来の社会で、何をして、何に悩んで、どのような幸せな人生を送っていくのだろう。
試験の点数や、志望校の合格。もちろん、それも大切です。目の前のハードルとして、切実な現実です。
実際にテストの点数が上がったり、難関校に合格したりということは珍しくはありませんが、私はあくまでも「受験マシーン」を製造しているわけではありません。
私が本当に気になっているのは、その先のことです。
10年後、20年後。いま小学生の子が、学校を卒業し社会にでて、自分の人生を歩み始める頃。そのときに役立つ力とは、いったい何なのか。
これは「答え」を書いた記事ではありません。私自身、まだ答えを持っていません。
ただ、なぜ私がこの問いを手放せずにいるのか。その思考のプロセスを、そのまま書いてみようと思います。読んでくださった方と、一緒に考えられたら嬉しいです。
足元の「前提」が、静かに変わっている
まず、社会の前提そのものが変わってきている、という事実は頭に入れておくべきです。
少子高齢化。インフラの老朽化。社会の複雑化。グローバル化。格差の広がり。環境問題。どれも、ニュースで何度も聞いた言葉だと思います。
ただ、私が引っかかっているのは、一つひとつの深刻さではありません。
これらが同時に、しかも絡み合いながら起きている、ということです。
たとえば出生数は、2024年についに年間70万人を下回りました。統計を取り始めて以来、初めてのことです(ちなみに、1973年は209万人でしたので、3分の1です)。
一方で、65歳以上の割合はおよそ29%。世界でもっとも高齢化が進んだ社会の一つになりました。1960年には現役世代約11人で1人の高齢者を支える社会でしたが、2025年現在では、2人で1人。2040年には、1.5人で1人を支える社会となります(人口に関する予測は、あまり外れることはありません)
さらに、高度成長期につくった道路や橋、水道が、いっせいに更新の時期を迎えています。
社会を支える仕事よりも、海外の「割のいい仕事」を選ぶように、仕事に対する考え方も変わってきました。
世界的な気候変動、環境問題、人権に関する問題、国際秩序の変化……
一つずつなら、なんとか手を打てるのかもしれません。
けれど、これだけのことが重なると、「どれか一つを解けば済む」という話ではなくなります。
子どもたちが大人になる社会は、私たちが育った社会とは、前提からして違うのだろうと思うのです。
(もちろん、良い変化もたくさん起こってきますので、問題だけに注目するのはバランスを欠きますが)
人の心のほうも、変わった
変わったのは、社会の仕組みだけではありません。人の価値観も、この数年で確かに動いたと感じています。
コロナ禍を経て、私たちは以前より、個人主義に、自己責任に、そして「コスパ」「タイパ」に敏感になりました。
動画は倍速で見て、結論だけを早く知りたい。無駄を省き、自分の時間を大切にする。
これは、悪いことではありません。むしろ、情報も選択肢も増えすぎた社会を生き延びるための、とても合理的な適応だと思います。若い世代を責めるような話ではまったくない。
ただ、一つだけ気になることがあります。
この価値観は、どうしても「未来」より「今」を、「全体」より「自分」を、優先しやすい。
そして教育というのは、成果が出るまでにとても時間のかかる営みです。
すぐには結果の見えないものに、時間とコストをかけ続ける。その姿勢と、いまの空気は、少しだけ相性が悪いのかもしれません。
AIが変えたのは、「仕事」ではなく「育ち方」かもしれない
そして、AIです。
「AIで仕事がなくなる」。そういう議論をよく目にします。
でも、正直に言うと、私が本当に気にしているのは、そこではありません。
私が気になっているのは、もっと地味で、もっと根っこの部分です。
AIによって、「人が育つ仕組み」そのものが変わりつつある。
これまで、新人はまず簡単な仕事から始めました。調べもの、資料の下書き、単純な作業。
決して華やかではないけれど、その「下積み」の中で、少しずつ勘所をつかんでいく。先輩は、その横で教える。教えることで、先輩自身もまた育つ。
そうやって、経験と信頼が次の世代へ受け継がれてきました。
ところが、まさにその「下積みの仕事」こそ、AIが最初に引き受けていく領域なのです。
頂上の仕事が消えることではないのかもしれません。
むしろ問題は、「はしごの一段目」が、そっと外されていくことなのではないか。
若い人が、判断力や信頼を育てるための入り口。それ自体が、静かに痩せていく。
これはまだ、断定できる話ではありません。「そう見え始めている」という、観察の段階です。
それでも、教育に関わる者として、私はこの変化から目を離せずにいます。
教育は、この変化を「前提」にできているだろうか
ここで、一つの問いが浮かびます。
学校は。企業は。政治は。
この変化を前提として、教育やキャリアのかたちを考えているだろうか。
私には、残念ながら、まだそうは見えません。いまだに20年前と、もっというなら私が子どもだった頃とほとんど変わりがないように見えます。
誰かが悪いと言いたいわけではありません。
変化があまりに速くて、仕組みのほうが追いつききれていない。
仕組みを変えるだけの「常識」、「共通認識」がまだできあがっていない。それだけのことだと思います。
だからこそ、まず問いを共有したい。
「良い学校 → 良い会社」の一本道を、疑ってみる
だから私は、キャリアの描き方そのものを、一度立ち止まって考え直してもいいのではないか、と思っています。
「良い学校に入り、良い会社に入る」。長いあいだ、それが最も確かな道でした。そして今でも、有力な道の一つであることは間違いありません。
ただ、その一本道が、これまでとまったく同じ強さで通用し続けるとは限らない。
これは「否定」ではなく、「もう少し分散して考えてみよう」という提案です。
私の頭の中では、これからの道は、だいたい三つに分かれます。
① AIには届きにくい専門性を極める道 研究、医療、職人的な技能。深く、余人をもって代えがたい領域です。
② 従来型の学歴・キャリアを歩む道 土台としての価値は、まだ失われていません。
③ AIを前提に、マネジメントを学ぶ道 まだ、あまり語られていない道です。
そして私は、この三つ目に、大きな可能性を感じています。
①や②が古い、という意味ではありません。どれも道であり、③だけがまだ十分に語られていない。そう思うのです。
なぜ、「マネジメント」なのか
マネジメント、と聞くと、多くの人は「管理職」を思い浮かべるかもしれません。もっと簡単に言うと、
「偉い人がやる、難しいこと」。
でも、私がここで言いたいのは、役職の話ではありません。
私にとってマネジメントとは、こういうことです。
限られた資源を使って、状況をより良くする力。
もっと私の言葉に引きつけて言えば、**「なんとかする力」**です。
思えば、AIが「答えの候補」を無限に、しかも一瞬で出せるようになったからこそ、この力の価値はむしろ上がっているように感じます。
候補が無限にあるということは、どれを選び、誰と組み、どう進め、その結果を誰が引き受けるのか。その判断こそが、人間に残された仕事になる、ということだからです。
AIは、記録し、整理し、比較し、分析する。 人は、判断し、信頼を築き、責任を引き受け、意思を決める。
これは奪い合いではなく、役割分担です。
AIを「敵」でも「魔法」でもなく、頼れるパートナーとして扱える人が、これから強いのだと思います。
そして「なんとかする力」は、AIが進むほど、むしろ人に強く求められる。
だとすれば、子どもたちがその力を早くから育てられるような教育を、私たちは用意できているだろうか。また、問いに戻ってきます。
それでも、断定はしない(想像だにしないことが、きっと起こるから)
ここまで書いてきて、あらためて自分に言い聞かせていることがあります。それは、断定しない、ということです。
「AIで下積みはなくなる」ではなく、「下積みの機会は、減るかもしれない」。
「学歴は意味がない」ではなく、「これまでと同じ意味を持ち続けるとは、限らない」。
「マネジメントが正解だ」ではなく、「一つの、有力な仮説ではないか」。
言い切ってしまえば、力強くは聞こえます。
でも、言い切ることで注目を浴びたり、「当たった/外れた」といいたいわけではありません。
なぜなら、そんなことよりも、もっと想像だにしないことが、次々に起こると確信しているからです。
その新しい世界に、子どもたちと一緒に、ワクワクしながら漕ぎ出していくことができたらと思っています。
一緒に、考えてくれませんか
長くなりましたが、最後に、この文章を貫いている一本の糸を、一文にまとめてみます。
社会も、価値観も、そして「人が育つ仕組み」まで変わった。それなのに、教育とキャリアの前提だけが、古いままでいいのだろうか。
私は、この問いへの答えを持っていません。
持っていないからこそ、多くの人と共有して、一緒に考えたいと思っています。
そしてこの問いこそが、実は、青山プレップスクールが始まったときから大切にしてきたこと、そのものです。
目の前の点数の向こう側で、子どもたちが「これからの社会を生きる力」を育てられる場所でありたい。その願いの、出発点にある問いなのです。
もしこの文章に、少しでも「わかる気がする」と思ってくださったなら。ぜひ、あなたの考えを、コメントで聞かせてください。
答えを出すためではなく、問いを一緒に育てるために。

