学びは、一人ひとりの心の中で起こることで、学校や先生やコンテンツが主役なわけではないと思っています。

 

教育というと、学校や先生方を中心に語られることが多いですが、

「〇〇高校はいい学校だ」

「〇〇校長の取り組みが素晴らしい」

ちょっと気になっています。


これまでたくさんの子どもたちと多くの時間を過ごしてきて感じていることは、

どんなにすばらしい学校で、おもしろい授業や生徒同士の活動が促されているとしても、

【生徒全員にとって最適なわけではない】ということです。


◆ 一部の子にとっては最高だけど、乗り切れていない子もいる

生徒の積極的な参加を促すような試みをしている学校で起こりがち。 

先生や友だちとも有効な関係を築くことができ、この上ない経験をしている子がいる一方で、なんとなく乗り切れていない子も実際にはいます。

たとえば、1学年200人の学校で、目立って活躍している子が30人いたらすごい! メディアなどでも取り上げられて「いい学校」ということになるでしょう。

もちろん、そのこと自体はまったく否定しません。 

 しかし私が気にしているのは、すべての子に、さまざまな経験を一通りしてほしいということ。何が起こるかわからない未来に対して、いろんな準備をする大切な時期だと思います。


◆ 授業はおもしろいけれど、子どもがついてきていないケース

いわゆる「名門付属校」なんかで起こりがち。

 先生は、時代に合わせたおもしろい授業を企画していると私も思うのですが、子どもたちからすると「いい迷惑」と感じてしまっている悲しいケース。「今まで通りなら、先輩からの情報が活かせて、もっと楽にできるのに・・・」と

 

「大人たちが何をしたいか」ではなく、

また、「いい学校」に入れてもらうことが目的なわけでもなく、

いつでも、どこにいても、誰といても、

心が「学びの姿勢」になっていれば大丈夫!


普段、家や学校では出せないいろいろな自分を出してみて感触を確かめることも大事。

失敗したって大丈夫。むしろ、うまくいかなくて当たり前。

学びの姿勢は、

おごらず、誰に対しても、何に対しても、フラットに見るところから始まります。


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