世界を見るか、目の前を見るか

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

20年後の未来?そんなこと知らねーよ、今が楽しいから十分さ!
その考えも、理解できるし、ぼく自身そうだったし、

逆に、スケジュール帳をびっしり埋めることを目的としているような友人を
小馬鹿にしてたりもしました。


でも、大切なのは、20年後であること。

明日、来週、来月、、、の未来なんて、ほんとにそれこそどうでもいい。


だけど、漠然としてでもいいから、今と遠い未来が結びついていること、
いろんな物事を、
※ 楽しい課題
※ 解決できる課題
として、前向きに取り組む姿勢は、やっぱり大切だなと思います。


ぼく自身は、割と何でも試してみる方だったと思いますので、
言われたことは、やってみる、
その中で、自分の心がどう感じるのか、じっくり観察していたような状況でした。




さて、タイトルから話がそれたので、戻さなければ。


今、ものを教わる、教える、といった概念が、
大きく揺らぎ始めている時代だと、ぼくは思っています。

今までは、偉い先生がいて、その先生の言うことを聞いているのが勉強だった。

教える方は、すべてを知っていて、
教えられる方は、先生(先に生まれた)に従っていればよい。

ところが、現代では、
誰も未来のことなど正確にはわかっていません。

すべてが相対化されてしまった現代において、
何を学んで、何を伝えるか。


パラダイムが変わってしまっていると、ぼく自身は考えています。
(学校などは、まだまだ旧態依然としていますが)


そうした中で、さらに先を見出そうと思ったら。。。

今ならば、【海外の先進事例に学ぶ】

という方向が、依然としてあり、またそれは日本人の得意なところではあると思います。



しかし、そこで敢えてぼくは、

【目の前の生徒さんの心の中】にもっと注力していきたいな。



人の心の中に入るのは、かなり危険を伴います。

こっちがおかしくなりそうになることはしばしば。(一部おかしくなっている。。。)


そうであったとしても、ぼくにとっての『答え』は、

やはり目の前の生徒さんの中にあると思うのです。



そのために、どういう道具を使うか、どういう教え方をするか?

そんなことは、後から付いてくるもので、

ぼくにとっては、どうでもいい、(本質的ではない)



より難しい課題に取り組みたい


というところが、本性なのでしょうね。



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