現場の感覚


「教育」を孤立させずに、社会の中に包含していくのが良いと思っています。「教育」は特別なものではないし、いずれ子どもたちが社会に入っていくときに、不整合が起こりにくいほうがいいと思うからです。

今年読んだなかで、もっとも印象に残っている教育関連の本3冊。

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』

『ルポ 誰が国語力を殺すのか』

『算数文章題が解けない子どもたち』


実際に子どもたちと接していて、「あるある」と思う点・参考になる点・びっくりすること、たくさんありました。具体的な事例やデータが示されていて、わかりやすいです。


一方では、極端な一部の例の話に捉えられたり、「できない子」が特別であるように見られないかと気になっています。

私の感覚にすぎませんが、子どもたちはみんなもっとふわっとしているし、繊細です。

□ できるときもあれば、できないときもある。

□ 今ここで分かったからといって、学校などで再現できるとは限らない。

□ 心がざわつくような出来事があると、もう勉強なんてうわの空。


特別な対応が必要な子たちも、少なくなくいることはわかります。

一方で、「普通」に見えても、じつは相当にデコボコしていて、不安定で、壊れやすくもある、という子たちは、その何十倍も、というかほとんどの子たちはそうなんじゃないかと思います。

そういう「普通」(←わたしがそう思っているわけではありません)の子たちが、

国語力がない側に行くのか、算数が解けない側にいくのか、

は、一部の教育専門家がカギを握っているわけではなく、社会全体のあり方が重要なのではないかと思っています。


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