頑張らなくていい、逃げていい、共感: でもじゃあどうするの?「勉強」はもっと開かれるべき
「頑張れ」という言葉が人を傷つけること、「逃げることは決して悪いことじゃない」。
共感しますし、子どもたちから多く支持されていることも納得です。
今の子どもたちは、生まれたときからインターネットがある世界。心無く飛び交う、温度を持たない、それでいて強い言葉を浴びて育っています。
そして小学校も半ばごろから、「受験」や「就職」といった「現実」(という名の情報)を突きつけられ「頑張る」ことを奨励されます。
最初から「頑張らされている」子も少なくないですし、
はじめは楽しかった「頑張る」が、だんだん周囲からの「圧」になって、引くに引けなくなっている子もいます。
さらに「頑張った」先が、「安堵」でしかない。終わってホッとする。
「無事合格しました」この言葉を何度聞いたことでしょう。「無事」のために頑張っていたの?頑張らせていたの?
(そこまでの意味はなく仰っていることはわかっていますが、ちょっと気になる)
共感しつつ一方では、
「頑張らなかったらどうなるの?」「逃げ場所がないよ」「逃げ方がわからないよ」が現実。どうする?
□ 親の理解と経済力があった
□ 他に特技や個性を認めてくれる場所があった
□ 距離をとりやすい環境にあった
そんな幸運に恵まれていない子たちはどうしたらよいのでしょう。「親ガチャ」という言葉が生まれるのもわかります。ここからは私の考えですが、
そんな子たちのためにこそ「勉強」はあるし、開かれていなければならない。
親が用意してくれた完璧な環境の中で、自分の好きなものに囲まれ、部屋の中でインターネットからの情報を浴びる。
イヤな情報もあるけれど、それはブロックすればよい。
それはちょっとバランス悪いのでは?
文学や歴史、現代社会の中には、さまざまな「絶望」と希望があります。
数学や理科の中は、人類の理性と熱意が詰まっています。
対話という自分一人に向けられた言葉を通して、自分の心の中の世界と、自分とは関係のない世界について
同時に考えることができます。
世のなかは矛盾だらけで、どうしようもなく混沌としていて、うまくいかないことも多いけど、
今あなたはここにいて、いろんなことを考えていて、一度しかない人生を生きている。
いいことも、悪いことも、辛いことも、苦しいことも、分かち合いながら変わっていけばいい。変わらないと思っても、変わっていくものだから。生き物として、ちょっと多めに信頼しています。
矛盾を抱え、多様な考えを持つから、他人にも優しくなれるよ。
受験前に言うことか?とも思いますが。。。