バカとハサミと、教科書とか、資料集とか、辞書とか、、、は使いよう
20年後の未来のために、青山プレップスクールです。
便利なもの、わかりやすいもの、きれいないもの、
清潔なもの、安全なもの、かわいいもの、、、
お金を出せば、それらが手に入る。
すべてが段取りされて、万全の準備がされて、
参加すれば、絶対楽しいイベントの数々。
子どものために。
==========================
ほんとうにそうなのでしょうか?
ぼくは、これからの世の中、
『創意工夫』することが、何にも増して必要になってくると思うのです。
正解のない世の中で、
もちろん、「グーグルで検索して答えを探す」という行動に出る人が
圧倒的に多いでしょう。
自分と同じような悩みを抱えている人は、
必ずいます。
その悩みを共有したり、先達の智恵を拝借することは、
今まで同様重要であることに変わりはありません。
しかし、
だからこそ、
自分で創意工夫、試行錯誤してみて、本当の経験を得ること (お楽しみ体験じゃないよ!)
前人未到の地に、軽々と足を進めること
は、大切になってくると思うのです。
==========================
今、子どもたちを見ていて、
(ぼくも、子どもの頃は、親世代から見てそうだったのだと思いますが)
与えられたものを、与えられた形でしか、使わない。
使えない。
学校から、教科書をもらって、資料集をもらって、
数々のプリントをもらって、、、
これらがまた、大変良くできているわけです。
でき過ぎている。
だから、工夫しようという気があまり起こらないのではないか。
===========================
しかし、
よくできているとは言ったものの、
それは、モノとしての出来を言っていたのであって、
たとえば、そこに書かれている知識なり、考え方なり、技術なりを、
本当に自分のモノにするという目的においては
最適と言えるかというと、、、甚だ怪しい。
少なくとも、【自分の勉強】って感じはしないと思うんですよね。
だから、どこか他人事。
経済的な観点からすれば、
良いものを探してもらって、新しいものを買ってもらって、、、
しかし、ある能力を身につけるという観点からすれば、
あるものを、どうやって使うか?
そこに全力を注ぐ方が、きっと、その人のためにはると思うのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
だからぼくは、
学校の授業ノートや、教科書や、資料集などを広げて、
そこから、もう一度まとめを行う
□ どういう情報を
□ どのように整理していくのか
それを、『理解の文法』と名づけていますが、
そんなことを、毎日一生懸命、一緒に考えています。
『どこか知らないところに良いものがある』
と思うのも、良いと思います。
誰かが用意してくれるのを、ただ口を空けて待っているよりは。
だけど、
『どうせ、自分にとってベストなものなんてないんだから、、、それは自分がつくるもので、
自分しかつくれないもので。。。』
そういう思考をして欲しいな。
買ってきて、(今では買いに行く必要すらない)
箱を開けて、
ボタンをポンと押せば、すべてができる
そんな世の中と逆行する流れだとは思いますが。
最近のハサミは、とっても少ないし、
バカもいなくなっちゃって、、、
ことわざ自体も、不成立かもしれませんね(笑)。
便利なもの、わかりやすいもの、きれいないもの、
清潔なもの、安全なもの、かわいいもの、、、
お金を出せば、それらが手に入る。
すべてが段取りされて、万全の準備がされて、
参加すれば、絶対楽しいイベントの数々。
子どものために。
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ほんとうにそうなのでしょうか?
ぼくは、これからの世の中、
『創意工夫』することが、何にも増して必要になってくると思うのです。
正解のない世の中で、
もちろん、「グーグルで検索して答えを探す」という行動に出る人が
圧倒的に多いでしょう。
自分と同じような悩みを抱えている人は、
必ずいます。
その悩みを共有したり、先達の智恵を拝借することは、
今まで同様重要であることに変わりはありません。
しかし、
だからこそ、
自分で創意工夫、試行錯誤してみて、本当の経験を得ること (お楽しみ体験じゃないよ!)
前人未到の地に、軽々と足を進めること
は、大切になってくると思うのです。
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今、子どもたちを見ていて、
(ぼくも、子どもの頃は、親世代から見てそうだったのだと思いますが)
与えられたものを、与えられた形でしか、使わない。
使えない。
学校から、教科書をもらって、資料集をもらって、
数々のプリントをもらって、、、
これらがまた、大変良くできているわけです。
でき過ぎている。
だから、工夫しようという気があまり起こらないのではないか。
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しかし、
よくできているとは言ったものの、
それは、モノとしての出来を言っていたのであって、
たとえば、そこに書かれている知識なり、考え方なり、技術なりを、
本当に自分のモノにするという目的においては
最適と言えるかというと、、、甚だ怪しい。
少なくとも、【自分の勉強】って感じはしないと思うんですよね。
だから、どこか他人事。
経済的な観点からすれば、
良いものを探してもらって、新しいものを買ってもらって、、、
しかし、ある能力を身につけるという観点からすれば、
あるものを、どうやって使うか?
そこに全力を注ぐ方が、きっと、その人のためにはると思うのです。
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だからぼくは、
学校の授業ノートや、教科書や、資料集などを広げて、
そこから、もう一度まとめを行う
□ どういう情報を
□ どのように整理していくのか
それを、『理解の文法』と名づけていますが、
そんなことを、毎日一生懸命、一緒に考えています。
『どこか知らないところに良いものがある』
と思うのも、良いと思います。
誰かが用意してくれるのを、ただ口を空けて待っているよりは。
だけど、
『どうせ、自分にとってベストなものなんてないんだから、、、それは自分がつくるもので、
自分しかつくれないもので。。。』
そういう思考をして欲しいな。
買ってきて、(今では買いに行く必要すらない)
箱を開けて、
ボタンをポンと押せば、すべてができる
そんな世の中と逆行する流れだとは思いますが。
最近のハサミは、とっても少ないし、
バカもいなくなっちゃって、、、
ことわざ自体も、不成立かもしれませんね(笑)。