バカとハサミと、教科書とか、資料集とか、辞書とか、、、は使いよう

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


便利なもの、わかりやすいもの、きれいないもの、
清潔なもの、安全なもの、かわいいもの、、、
お金を出せば、それらが手に入る。

すべてが段取りされて、万全の準備がされて、
参加すれば、絶対楽しいイベントの数々。


子どものために。



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ほんとうにそうなのでしょうか?



ぼくは、これからの世の中、

『創意工夫』することが、何にも増して必要になってくると思うのです。


正解のない世の中で、

もちろん、「グーグルで検索して答えを探す」という行動に出る人が

圧倒的に多いでしょう。


自分と同じような悩みを抱えている人は、

必ずいます。


その悩みを共有したり、先達の智恵を拝借することは、

今まで同様重要であることに変わりはありません。


しかし、
だからこそ、
自分で創意工夫、試行錯誤してみて、本当の経験を得ること (お楽しみ体験じゃないよ!)

前人未到の地に、軽々と足を進めること

は、大切になってくると思うのです。




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今、子どもたちを見ていて、
(ぼくも、子どもの頃は、親世代から見てそうだったのだと思いますが)

与えられたものを、与えられた形でしか、使わない。

使えない。



学校から、教科書をもらって、資料集をもらって、

数々のプリントをもらって、、、


これらがまた、大変良くできているわけです。

でき過ぎている。

だから、工夫しようという気があまり起こらないのではないか。



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しかし、

よくできているとは言ったものの、

それは、モノとしての出来を言っていたのであって、

たとえば、そこに書かれている知識なり、考え方なり、技術なりを、

本当に自分のモノにするという目的においては

最適と言えるかというと、、、甚だ怪しい。



少なくとも、【自分の勉強】って感じはしないと思うんですよね。

だから、どこか他人事。



経済的な観点からすれば、

良いものを探してもらって、新しいものを買ってもらって、、、


しかし、ある能力を身につけるという観点からすれば、

あるものを、どうやって使うか?

そこに全力を注ぐ方が、きっと、その人のためにはると思うのです。



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だからぼくは、

学校の授業ノートや、教科書や、資料集などを広げて、

そこから、もう一度まとめを行う


□ どういう情報を

□ どのように整理していくのか


それを、『理解の文法』と名づけていますが、

そんなことを、毎日一生懸命、一緒に考えています。



『どこか知らないところに良いものがある』

と思うのも、良いと思います。

誰かが用意してくれるのを、ただ口を空けて待っているよりは。


だけど、

『どうせ、自分にとってベストなものなんてないんだから、、、それは自分がつくるもので、

自分しかつくれないもので。。。』

そういう思考をして欲しいな。




買ってきて、(今では買いに行く必要すらない)

箱を開けて、

ボタンをポンと押せば、すべてができる





そんな世の中と逆行する流れだとは思いますが。





最近のハサミは、とっても少ないし、

バカもいなくなっちゃって、、、

ことわざ自体も、不成立かもしれませんね(笑)。



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