知的野生児
20年後の未来のために、青山プレップスクールです。
先の見えない世の中、
気持ち悪いニュースも多く、
いったい何を信じていいのやら。。。
答えは簡単。
基本的には人を信じるけれども、
自分で判断、行動し、その責任を持つ
ということだと思います。
ただ、そんな簡単にはいかないのが現実です。
現実には、追いたくもない責任を負わされたり、
現場が大変なのを見て見ぬふりしなければならなかったり、
大して必要もないけど、それがさも必要なように言わなければならなかったり。。。
大きな破たんでも迎えない限り、
現状の不安定さは、どんどん増していくでしょう。
それを、必死に食い止めようとすればするほど、
隠れたリスクは増大し。。。
こんな時代に、どこかに逃げ込んだり、
寄らば大樹、といった発想こそが、むしろとってもリスキー。
だけど、学校ではそんなことを教えてくれないから、
(学校はずっとピラミッド型の組織を脱せないでいるから)
どんどん時代と、人材のミスマッチの溝が深くなっているように感じて胸が痛みます。
---------------------------------------
そこで考えられるのは2通り
1. 時代に合った人材を育成する
2. 時代が一周するのを待つ
どっちもありだと思いますし、個人的には後者が好みです。
サークルだ、ボランティアだ、英会話だ、と忙しそうに頑張っている学生よりも、
ひたすら本を読んでいたり、数学を勉強していたり、
1つのことでいいので没頭してる学生の方が、将来性を感じます。
なぜ?
それは、そこにきっと手触り感があるだろうと思うからです。
外から知識として植え付けられたことなんて、簡単にはがれてしまいます。
手触り感をもって感じられたことならば、
たとえ、偉い人に否定されようが、
自分には何か感触があるはず。
偉い人だって、実はほとんど何もわかっていないのです。
時間と情熱を掛けたものでないと、手触り感はわからなく
人間には、時間的制約が付きまといます。
(だから、長くやっている人は、やはり単に偉いという以上に価値があると思います)
が、所詮それにしたところで、その人の感覚でしかない。
もう最後は自分の感覚でしかなく、そんなものも、時や状況とともに
どんどん移り変わってしまいます。
□ 誰かに聞けば、明快な回答が得られる
□ 東大に入れば、大会社に入れば、とりあえず安泰だ (ごく短期的に見ればあてはまるかも)
□ 自分は正しく、他人は間違っている
そもそもそんなものでは、ないのだろうと思います。
そんな当たり前のところから、地に足をしっかりつけて、
勉強していって欲しい。
---------------------------------------
ぼく自身は、もちろん学校には通っていましたが、
塾などでは勉強したことがありませんでした。
大人になってからも、すべて独学で乗り越えてきました。
唯一通った?のが、松岡正剛さんの編集学校でした。
良い面、悪い面、もちろんあるのですが、
不安定な時代には、例え何かに所属はしていても、
心は自立していた方が安全だと思うわけです。
その心が難しい。
自分では縛られていないつもりでも、
いつの間にか常識として染み付いてしまいます。
だから、多少乱暴でも、意識的に自立しておいた方がいいと思うんですね。
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先の見えない世の中、
気持ち悪いニュースも多く、
いったい何を信じていいのやら。。。
答えは簡単。
基本的には人を信じるけれども、
自分で判断、行動し、その責任を持つ
ということだと思います。
ただ、そんな簡単にはいかないのが現実です。
現実には、追いたくもない責任を負わされたり、
現場が大変なのを見て見ぬふりしなければならなかったり、
大して必要もないけど、それがさも必要なように言わなければならなかったり。。。
大きな破たんでも迎えない限り、
現状の不安定さは、どんどん増していくでしょう。
それを、必死に食い止めようとすればするほど、
隠れたリスクは増大し。。。
こんな時代に、どこかに逃げ込んだり、
寄らば大樹、といった発想こそが、むしろとってもリスキー。
だけど、学校ではそんなことを教えてくれないから、
(学校はずっとピラミッド型の組織を脱せないでいるから)
どんどん時代と、人材のミスマッチの溝が深くなっているように感じて胸が痛みます。
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そこで考えられるのは2通り
1. 時代に合った人材を育成する
2. 時代が一周するのを待つ
どっちもありだと思いますし、個人的には後者が好みです。
サークルだ、ボランティアだ、英会話だ、と忙しそうに頑張っている学生よりも、
ひたすら本を読んでいたり、数学を勉強していたり、
1つのことでいいので没頭してる学生の方が、将来性を感じます。
なぜ?
それは、そこにきっと手触り感があるだろうと思うからです。
外から知識として植え付けられたことなんて、簡単にはがれてしまいます。
手触り感をもって感じられたことならば、
たとえ、偉い人に否定されようが、
自分には何か感触があるはず。
偉い人だって、実はほとんど何もわかっていないのです。
時間と情熱を掛けたものでないと、手触り感はわからなく
人間には、時間的制約が付きまといます。
(だから、長くやっている人は、やはり単に偉いという以上に価値があると思います)
が、所詮それにしたところで、その人の感覚でしかない。
もう最後は自分の感覚でしかなく、そんなものも、時や状況とともに
どんどん移り変わってしまいます。
□ 誰かに聞けば、明快な回答が得られる
□ 東大に入れば、大会社に入れば、とりあえず安泰だ (ごく短期的に見ればあてはまるかも)
□ 自分は正しく、他人は間違っている
そもそもそんなものでは、ないのだろうと思います。
そんな当たり前のところから、地に足をしっかりつけて、
勉強していって欲しい。
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ぼく自身は、もちろん学校には通っていましたが、
塾などでは勉強したことがありませんでした。
大人になってからも、すべて独学で乗り越えてきました。
唯一通った?のが、松岡正剛さんの編集学校でした。
良い面、悪い面、もちろんあるのですが、
不安定な時代には、例え何かに所属はしていても、
心は自立していた方が安全だと思うわけです。
その心が難しい。
自分では縛られていないつもりでも、
いつの間にか常識として染み付いてしまいます。
だから、多少乱暴でも、意識的に自立しておいた方がいいと思うんですね。
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今の世の中、
大したお金を掛けなくても、
自分でその気になれば勉強できることなんていくらでもあります。
ぼくが、
□ 授業で安易に答えを教えないのも
□ いつも、「これって何だっけ?」、「なぜだっけ?」、「ほんとうに?」と聞くのも
□ 図を書いて説明するのも
□ 覚えるなというのも
□ 読んだら書いてあるでしょ、というのも
□ なるべく授業料は押さえているのも
□ パソコンや iPad を積極的に使っているのも
□ 教えるのがプロなわけではない東大生を先生にしているのも
□ 自習にはいつでも来ていいよとしているのも
□ 本棚の本は、(たくさんありすぎるけど)、どれでもどれだけでも借りていいよとしているのも
□ 小学生に、大学の勉強教えたり、
□ 高校生に小学校1年からの算数から振り返ったりするのも
□ 内外の大学や塾の授業を、一緒に見たりするのも
□ 知識よりも、対話を優先しているのも
すべてすべて、
○ 学ぶことって、自由なんだよ、
○ 学ぶことって、誰にでも与えられた権利なんだよ、
○ 学ぶことって、自分の世界を広げるから、楽しみでもあり、かつ投資でもあり
ということを、感じて欲しい。
一方で、
× 高いお金を払えば、良いものが得られる (お金を払わないと得られない)
× 必勝法をマスターすれば、完結
× あの学校に入らなければ、得られない
× 苦痛であり、だけど将来楽するために仕方なくやるもの
そんなものじゃないよ、と感じて欲しい。
目の前の、ちょっとしたものごとを凝視し、
そこから何かを発想し、創造し、
多くの人にとって、代えがたいひとりに、なって欲しい。
★ 何でも手に取ってみて、
★ 硬いものでも、バリバリ噛み砕き
★ 強靭な胃袋で、余すところなく消化する
そんな知的野生児と一緒に、ぼくもまた成長していきたいと思っています。
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