「わかる」ことと、「できる」こと
20年後の未来のために、青山プレップスクールです。
今更ながらですが、
「わかる」ことと、「できる」ことは、違いますよね。
□ この人が本当にわかっているのか?
□ そもそも、私がそのことを、本当にわかっているのか?
「わかっている」と言えば、わかっていることになるのかもしれませんしが、
それでは、自白による証拠しかないということになります。
他に証拠はないのか?
物証はないか?
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ところで、そもそも、『わかる』ということは、必要なのでしょうか?
『わかっ』てようが、わかっていなかろうが、
良いものが『でき』れば、それで良い。
レストランを例に挙げれば、
料理人が、料理の奥義について、歴史について、未来について、
『わかっている』 ことを、ぼくたちは求めているでしょうか?
そんなことないでしょ、とぼくは思います。
うまけりゃ良い
日常のほとんどは、その論理で埋め尽くされていると思います。
この、『日常のほとんど』は、
というところが、大事なポイントだと思いますが、それはいったん置いておいて。
ということで、ぼくたちのほとんどは、
ほとんどの場合において、
『できる』ことを求めているわけです。 おそらく
◆ 如何に効率よく、『できる』か?
◆ 如何にミスなく、『できる』か?
◆ 如何に安く、『できる』か?
それを求めた結果、
◆ 街は、直線だらけになり、
◆ 仕事多くは、機械化、コンピュータ化されることになり、
◆ 生活は、安全、清潔、快適、便利になり、
◆ 勉強は、パターン暗記
になりました。
そして、人は、どんどんと、『機械化』、『コンピュータ化』 されて行き、
(それら総合して、ぼくは、『ムシ化』と呼んでいます。
一寸の虫にも、五分の魂。
きっと、ムシの逆襲なんでしょうね(笑))
一日の大半を、人生の大半を、
機械のように、機能することを求められて、
◆ 生きがいを感じられない
◆ 将来に希望を感じられない
などと言い、
無理やりに、『生きがい』なり、『夢』を作りだそうとしているように、
ぼくには見えます。
だけど、頑張っても、機械には勝てません。
なぜなら、機械は『わかっ』てないから。
わかろうなんて、これっぽっちも思っていないから。
『こう来たら、こう処理するだけ』
『こう聞かれたら、こう解答する』
その圧倒的な効率には、舌を巻きます。
だから、どんどん人間も機械のようになればいい、
そのような人間を育てていけば、世の中もっと良くなる、
と、誰かが考えたのでしょうか?
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今更ながらですが、
「わかる」ことと、「できる」ことは、違いますよね。
□ この人が本当にわかっているのか?
□ そもそも、私がそのことを、本当にわかっているのか?
「わかっている」と言えば、わかっていることになるのかもしれませんしが、
それでは、自白による証拠しかないということになります。
他に証拠はないのか?
ソクラテスは、対話によって、それを確認しようとしました。
しかし、結果は、誰も何もわかっちゃいないということが明らかになっただけで、
彼は恨みを買い、老人であるにもかかわらず、投獄され、死刑に処された。(ということになっていますよね)
物証はないか?
そこで発明されたのが、「テスト」です。
このテストが『でき』れば、
あなたは、おそらく 『わかっている』 と見做して(推定して)よいでしょう、と。
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ところで、そもそも、『わかる』ということは、必要なのでしょうか?
『わかっ』てようが、わかっていなかろうが、
良いものが『でき』れば、それで良い。
レストランを例に挙げれば、
料理人が、料理の奥義について、歴史について、未来について、
『わかっている』 ことを、ぼくたちは求めているでしょうか?
そんなことないでしょ、とぼくは思います。
うまけりゃ良い
日常のほとんどは、その論理で埋め尽くされていると思います。
この、『日常のほとんど』は、
というところが、大事なポイントだと思いますが、それはいったん置いておいて。
ということで、ぼくたちのほとんどは、
ほとんどの場合において、
『できる』ことを求めているわけです。 おそらく
◆ 如何に効率よく、『できる』か?
◆ 如何にミスなく、『できる』か?
◆ 如何に安く、『できる』か?
それを求めた結果、
◆ 街は、直線だらけになり、
◆ 仕事多くは、機械化、コンピュータ化されることになり、
◆ 生活は、安全、清潔、快適、便利になり、
◆ 勉強は、パターン暗記
になりました。
そして、人は、どんどんと、『機械化』、『コンピュータ化』 されて行き、
(それら総合して、ぼくは、『ムシ化』と呼んでいます。
一寸の虫にも、五分の魂。
きっと、ムシの逆襲なんでしょうね(笑))
一日の大半を、人生の大半を、
機械のように、機能することを求められて、
◆ 生きがいを感じられない
◆ 将来に希望を感じられない
などと言い、
無理やりに、『生きがい』なり、『夢』を作りだそうとしているように、
ぼくには見えます。
だけど、頑張っても、機械には勝てません。
なぜなら、機械は『わかっ』てないから。
わかろうなんて、これっぽっちも思っていないから。
『こう来たら、こう処理するだけ』
『こう聞かれたら、こう解答する』
『こう言われたら、こう回答する』
その圧倒的な効率には、舌を巻きます。
だから、どんどん人間も機械のようになればいい、
そのような人間を育てていけば、世の中もっと良くなる、
と、誰かが考えたのでしょうか?
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しかし、それが効率よく機能するためには、『前提』があります。
それは、
『明日も今日と同じ、来年も今と同じ、10年後もそう、100年後も変わらない』
そして、それはほとんどの場合において、真実です。
昨日と今日が、劇的に違うということは、そうそう起こるものではありません。
だから機械は、その前提に乗っかって、最適化されています。
しかし、一方で機械的な判断は、
ある閾値を超えた時に、
『想定外』の暴走を始める。
まったく機能しないどころか、最悪の事態を招くことすらある。
それは、歴史を見れば、明らかなことでしょう。
人が、『できる』ことのみを重視して、
機械化するほどに、
安心、安全、快適だけを追求すればするほど、
そのリスクは高まる。
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危機的状況になった時、
将来が予測不可能になった時、
ただ、手をこまねいて、世を憐れんで、それも一つの生き方でしょう。
しかし一方では、
やっと、自分の人間としての部分を発揮する機会が訪れた!
と見ることもできるわけです。
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知りたい、わかりたい
という欲求は、人間としての本能だと思います。
そして、『わかる』なんて、そう簡単にできることではない。
だからこそ、
無限の資源が目の前に転がっていて、
一生かけても、その一部を消化できるかどうか、
清々しい気持ちで、
安心して、全力で、向かっていけるはずです。
( 決して他人のものを奪ったり、食いつくしてなくなっちゃったり、しないわけですから )
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学校や企業が、
『できる』ことを重視してしまうのは、
構造上、やむを得ない面がありますし、
そういう評価の仕方も、また必要だと思います。
しかし、だからこそ、
ぼくは違った視点から、評価してあげたいと思いますし、
(たまたま、ちょっと)
『でき』たからって、『わかって』る、なんて勘違いするなよ!
とも。(笑)
もちろん、未曾有の出来事なんて、起こらないに越したことはないと、
人並みかそれ以上に思っていますよ。
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