自分の人生に対するビジョン(受け身的勉強の弊害)希望なき競争

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

ながらく、更新をしておりませんでした。
夏休み終盤戦。
朝から晩まで授業が埋まり続けていて、更新できませんでした。
最後まで気を抜かずに!


さて、
毎日、毎日、いろんなことが起こるわけで (もちろん、良い意味で!)、
書きたいことはたくさんあるのですが。





5年以上前ですが、『希望格差社会』という本が、かなり売れましたね。

ぼくはもちろん、本屋ではよく見かけたのですが、
買いませんでしたし、読んでいません。

しかし、このタイトルは、強烈に印象に残っています。
なぜなら、『希望』という言葉が、ぼくは昔から気に入っていたから。

『夢』とか言うと、ウソ臭いじゃないですか。
甘ったるすぎるというか、七色に輝きすぎというか。

その点、『希望』という言葉からぼくが想像するのは、
夜空に光る青白い星たちだったり、
地平線から上る太陽の気配だったり。

遠くにかすかに光る輝き。
まだ、それは足下を確実にするほどではなくとも、
進むべき方向だけは示してくれるもの。

それが、ぼくにとっての『希望』です。

その『希望』に個人差があるのは当然のことですが、
『格差』があるとは。。。

若者でも、『希望』を持てない人がいて、
しかもそういう人たちが増えているのか。

それから5年以上が経って、
今この仕事をしていて、
あまり言いたくはないですが、『希望』を持つことの方が難しい時代なのかな。
小中高校生もそうですが、
目標を達成したはずの東大生ですら。


ぼくもその都度都度で、「夢は?」などと聞かれたものですが、
はっきりとはわからなくて、困った経験ばかりあります。
むしろ、「夢を持て!」「夢に向かって進め!」なんて言われると、
ちょっと引いてしまうところがあります。

また、地味で保守的な性格なのか、
金持ちになりたい!会社で出世したい!有名になりたい!
俺の未来はバラ色に輝いている!
なんてことも、思ったことも、たぶんほとんどないはず。


ぼくが就職したのは、バブルがはじけた直後。
ただ、そんな頃からずっと
政治不信だ、環境問題だ、日本経済はこれから大変だ、
年金はどうする、消費税はどうする、エネルギーはどうなる、、、
何にも変わってないよ〜。

そんなことだから、みんなが
『とりあえず、できるだけいい大学に行って、
とりあえず、給料高い会社に入って、
とりあえず、適当にごまかしてウソでもついて、
とりあえず、お金のため、営利だから』
と思ってしまうのは、仕方ないけど、人としてちょっとかわいそうだ。


いくら、歴史の勉強をしても、経済の勉強をしても、
自分の人生とつながっていない。
批判対象としてしか、世界を見ることができない。
他人の受け売り、一般論的な言葉しか持っていない。
『今』が永遠に続けばいい(無常観がない?)。
『答え』があって、それに合わせればいいと思っている。
自分の個性を強調しすぎるか、潰してるか。
(だって、他人の戦略や成功事例を真似してるだけだから。自分で考えようとしないから)
そしてそれが当たり前で普通のことだと思っている。


『夢』なんて大それたもの、みんなが持たなくても良いんだけど、

心の中心の奥深くに、
時々「こっちだよ」って教えてくれる、
『希望』の種は、本当は持っているよね。



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^^

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