タケシの教育白書

教育について、今何かを変えなければと思っている人は多いと思います。
中にはかなり具体的なプランを持っていらっしゃる方も多数います。

ぼくは大上段に構えた「教育」について、確かに思うところがなくはないですが、
この手の議論が、議論になっていないと感じることがあります。

それは、システム全体としてどうあるべきかの議論は、当然あるとしても、
その子その子にとってどうあるべきか?というのはまったく違った問題ではないか?
それを混ぜて議論してはならないということです。

システム全体について考えている人は、多くの場合、当事者ではありません。
当事者にとっては、システム全体のことはともかく、一過性の「私の人生」、「子どもの人生」を何とかしたいと思っています。

元システム屋としては、やはりそこは気になります。

目の前で溺れている人には、そこに立ち入らないようにフェンスを設けるかどうかの議論よりも、
基礎から泳ぎを教えるよりも、まずは浮き輪を投げ込んであげなければならない。
まだ溺れていない人には、そこにフェンスを設けることは景観を害していると感じるし、
泳ぎの基礎も、そのうちできるようになればいいかとのんびりしている。
溺れて助かった人にとっては、「のどもと過ぎれば。。。」ということもある。
溺れて大切な人を失った人には、その場所は見るのもつらいけど、完全に見えなくされてしまうのも嫌。

たとえいくらシステムとして優れたものを作っても、現場で運用できなければ意味がない。
現場を離れた空理空論は、時には大きな害になることもあると思います。
そのためには、まず現場を知ること、一人一人の現状をしっかり把握することが大切だと思っています。


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