勉強は、記憶ではない、総合的なエクササイズで、引き締まった頭脳を。

すべては、20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


体育の日にちなんで。


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体の、肥満や痩せ過ぎ、不健康は、比較的目で見える場合が多いので、
気付きやすいですが、

頭の、それは、なかなか気が付きにくい。


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勉強する意味って、
頭を鍛えることだと、ぼくは思っています。
(結果として、学校の成績が上がったり、試験に合格したりはあるとしても)

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ところが、促成栽培的に、

「とにかく覚え込ませる」

という方法も存在し、(特に試験となれば、対策などはいくらでもできるもの)

いつしか、それが『勉強』だと思ってしまっている子どもたちがたくさんいます。


▼ (即座に) 『わからない』
▼ 『まだ習ってない』
▼ 『やり方を忘れた』


こういう発言が出てきたら、赤信号です。

知らないからできない→知っていればできる→全部知らなきゃならない→とてつもない勉強量になる

小学生のころは成績が良かったのに、
中学、高校となるにつれ、成績が下がってしまう子も、
こういう傾向があります。


知らないけど考える→考えればわかる→覚えなくてもいい→覚えない→考えざるを得ない→考える→考える力が養われていく


目の前の『結果』(それにどれほどの意味があるのか?)だけに
注目してしまうと、本当に大切なものを失ってしまうことがあるのは、
何も勉強に限らないと思います。


もちろん、『覚える』ということも、頭の大切な機能であり、
鍛える必要はあります。

でも、それがすべてではないはず、
むしろ『覚える』ということに関しては、コンピュータにはかなわない、
ということは、人口に膾炙されたことであって、今更ぼくが言うまでのこともないですが。


わからない→考える→考えたらわかった→わかってしまえば、何と当たり前のことか!


という経験をできるだけたくさん積んで欲しいのです。



だから、机に座って、紙と鉛筆を持ってやるだけが、勉強ではありません。

いつも、いろんなことに、頭を働かせること、

その練習をしておくことが、本当は大切で、

そういう習慣が身についている子は、

自然と、学校の勉強や受験勉強くらいは、そんなに頑張らなくてもできてしまいます。



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