2011年9月16日金曜日

「わかる」ことと、「できる」こと

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


今更ながらですが、

「わかる」ことと、「できる」ことは、違いますよね。


□ この人が本当にわかっているのか?

□ そもそも、私がそのことを、本当にわかっているのか?


「わかっている」と言えば、わかっていることになるのかもしれませんしが、

それでは、自白による証拠しかないということになります。


他に証拠はないのか?

ソクラテスは、対話によって、それを確認しようとしました。
しかし、結果は、誰も何もわかっちゃいないということが明らかになっただけで、
彼は恨みを買い、老人であるにもかかわらず、投獄され、死刑に処された。(ということになっていますよね)

物証はないか?

そこで発明されたのが、「テスト」です。
このテストが『でき』れば、
あなたは、おそらく 『わかっている』 と見做して(推定して)よいでしょう、と。

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ところで、そもそも、『わかる』ということは、必要なのでしょうか?

   『わかっ』てようが、わかっていなかろうが、

   良いものが『でき』れば、それで良い。

   レストランを例に挙げれば、

   料理人が、料理の奥義について、歴史について、未来について、

   『わかっている』 ことを、ぼくたちは求めているでしょうか?


   そんなことないでしょ、とぼくは思います。

   うまけりゃ良い


   日常のほとんどは、その論理で埋め尽くされていると思います。


この、『日常のほとんど』は、

というところが、大事なポイントだと思いますが、それはいったん置いておいて。



ということで、ぼくたちのほとんどは、

ほとんどの場合において、

『できる』ことを求めているわけです。 おそらく


◆ 如何に効率よく、『できる』か?

◆ 如何にミスなく、『できる』か?

◆ 如何に安く、『できる』か?


それを求めた結果、

◆ 街は、直線だらけになり、

◆ 仕事多くは、機械化、コンピュータ化されることになり、

◆ 生活は、安全、清潔、快適、便利になり、

◆ 勉強は、パターン暗記

になりました。


そして、人は、どんどんと、『機械化』、『コンピュータ化』 されて行き、

(それら総合して、ぼくは、『ムシ化』と呼んでいます。
  一寸の虫にも、五分の魂。
 きっと、ムシの逆襲なんでしょうね(笑))


一日の大半を、人生の大半を、

機械のように、機能することを求められて、

◆ 生きがいを感じられない

◆ 将来に希望を感じられない

などと言い、

無理やりに、『生きがい』なり、『夢』を作りだそうとしているように、

ぼくには見えます。

だけど、頑張っても、機械には勝てません。

なぜなら、機械は『わかっ』てないから。

わかろうなんて、これっぽっちも思っていないから。

   『こう来たら、こう処理するだけ』


   『こう聞かれたら、こう解答する』

   『こう言われたら、こう回答する』


その圧倒的な効率には、舌を巻きます。

だから、どんどん人間も機械のようになればいい、

そのような人間を育てていけば、世の中もっと良くなる、

と、誰かが考えたのでしょうか?



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しかし、それが効率よく機能するためには、『前提』があります。

それは、

   『明日も今日と同じ、来年も今と同じ、10年後もそう、100年後も変わらない』

そして、それはほとんどの場合において、真実です。

昨日と今日が、劇的に違うということは、そうそう起こるものではありません。

だから機械は、その前提に乗っかって、最適化されています。


しかし、一方で機械的な判断は、

ある閾値を超えた時に、

『想定外』の暴走を始める。

まったく機能しないどころか、最悪の事態を招くことすらある。


それは、歴史を見れば、明らかなことでしょう。


人が、『できる』ことのみを重視して、

機械化するほどに、

安心、安全、快適だけを追求すればするほど、

そのリスクは高まる。


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危機的状況になった時、

将来が予測不可能になった時、


ただ、手をこまねいて、世を憐れんで、それも一つの生き方でしょう。


しかし一方では、

やっと、自分の人間としての部分を発揮する機会が訪れた!

と見ることもできるわけです。


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知りたい、わかりたい

という欲求は、人間としての本能だと思います。


そして、『わかる』なんて、そう簡単にできることではない。

だからこそ、

無限の資源が目の前に転がっていて、

一生かけても、その一部を消化できるかどうか、


清々しい気持ちで、

安心して、全力で、向かっていけるはずです。

( 決して他人のものを奪ったり、食いつくしてなくなっちゃったり、しないわけですから )


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学校や企業が、

『できる』ことを重視してしまうのは、

構造上、やむを得ない面がありますし、

そういう評価の仕方も、また必要だと思います。


しかし、だからこそ、

ぼくは違った視点から、評価してあげたいと思いますし、

(たまたま、ちょっと)

『でき』たからって、『わかって』る、なんて勘違いするなよ!

とも。(笑)


もちろん、未曾有の出来事なんて、起こらないに越したことはないと、

人並みかそれ以上に思っていますよ。



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