カリキュラムが先か、人間が先か
今年も青山プレップスクールでも、たくさんの花が咲きました。受験が目的ではないからこそ、受験くらいは軽々と(?)クリアしていく頼もしい子どもたちです。
さて、
異論のある方もたくさんいらっしゃると思いますが、ぼくは、人間は工業製品とは異なると考えています。「設計図」があって、「工程表」があって、決まった手順を踏めば、「納期」通りに「完成品」ができあがる。人間(生物)ってそんなものではないのではないか。だからこそ、天然知能はおもしろいし、まだまだ可能性があるのだと思っています。
もちろん、工業的手法が当てはまった時代もありましたし、今でも局所的には効果を発揮するでしょう。しかし、扱っているのは1人の人間です。生き物なのです。1人1人が美しく成長するために、さまざまな手入れが必要にはなりますが、西洋庭園のようにはじめから「設計図」があって、それに合わせていじくりまわしていいのでしょうか。
そもそも何のために学ぶのか?
好みの問題なので、意見の異なる方を否定はしませんが、
ぼくはそのように考えてこれまでたくさんの子どもたちと信頼関係を築いてきましたし、これからもその根底は変わらないと思います。
**追記
すこし言い方を変えると、机上の空論の見た目きれいな資料をつくったり、意味があるんだかないんだか、テストの結果をグラフにしたり、、、そういうことに労力を掛けずに、子どもたちの今に集中するから、短時間で結果を出せる。無駄なことをすればするほど、誰の得にもならない状況が生まれる。子どもたちも変な(意味不明な)プレッシャーや勝った負けた、頭が良い悪い、すごいすごくない、みたいなものから解放されて、自由に頭と心を働かせることが、特に今の子どもたちには必要なのではないかと思っています。