ロールモデルがないと困ってしまう?

 ロールモデルがないと嘆く、ロールモデル

直接この方を知っているわけではないので、あくまでロールモデルとして。

いわゆる「勉強」界隈にもよくあてはまる事例。

教わったことを忠実にこなして、世間からわかりやすい

「成功」(有名な学校に合格など)したけれど、

レベルが上がって、かつわかやすい「すごさ」でなくなったときに、見失ってしまう。

ーー引用ーー

・人を育てたら?…やれる範囲ではやってるけど最近気が乗らなくなってきた。「水飲み場に連れてくることはできても水を飲むかどうかはそいつ次第」というのを痛感してる。

ーー引用ここまでーー

ぼくもそれは日々痛感しています。

だけど、そこで思考停止でいいのかな?と。

これって、「自分は水を飲むやつだったけど、他人は相当は限らない」ということになるかと思うが、

本当に「たまたま」または「自分が単に優れていたので」、

ということなのだろうか。

見えない働きかけが、プラスにせよマイナスにせよ

複雑に絡み合って、水を飲むようになったのではないだろうか。

と、どんどん深みにはまっていくと、

暇で死ぬのを待ってるだけ、みたいな生き方にはならないし、

たとえ自分だけでは解決できない(カタルシスが得られない)としても、思想が残っていけばいつか誰かが、切り開いてくれる。

ぼくの場合は、「天然知能」の分野で画期的なブレークスルーが今後起こるものと信じて

(ライト兄弟が飛べると信じたように)

あーでもない、こーでもないと、もがきつつも、

今自分がわかっていることを伝えることも、今後はやっていかないと。(終活)


そうした意味で、実現しそうもないことに、

そんなの無理だとそもそも取り組まないか、

だからこそ、ワクワクするのか。

そういった意味で、ぼくが思い出すのは、

高校生の頃だったか。。。清原選手が初詣か何かで、

新年の抱負として述べていたのが、「世界平和」と。

ホームラン王とかじゃないんだ!とびっくりしたものです。



文化の段階として、典型的には中学で習った三大和歌集のように(そのように学校で習うだけで実際にはさまざまな見方があるだろうが)

1.素朴でいろんなものがある段階(万葉集)

2.洗練され、収斂されていく段階(古今和歌集)

3.知識や技巧が積み重なり、一方で難解になる段階(新古今和歌集)

難しくなりすぎると、1に戻る。

困ったら「原点回帰」って、ノムさんも言ってました。

もう何の話だったのか。。。


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