「楽しい」だけで、終わらせたくない(ぼくの勉強観)

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

「あー、楽しかった」

楽しい授業、面白い授業、わかりやすい授業。。。
生徒さんたちの声を聞くと、学校の授業はよほど面白くないのかと
思ってしまうことも、しばしば。

たしかに、30人40人を一度に相手にしなければならない学校の先生は大変だと思いますが、であれば、どんどん変えればいいと、ぼくならば思います。
工夫することを止めてしまっては、プロとは呼べないと。(呼ばれたくもない人もたくさんいるのでしょう)
少なくとも、自分が親なら、自分が成長し続けていない先生に
自分の子どもを預けるのは、少し不満です。


話は戻って、
子どもたちは、良くも悪くも、本当に素直ですので、
楽しい授業をやろうと思えば、
わかりやすい授業をやろうと思えば、
実はそれほど、難しくはありません。

図や表をきれいにカラフルに工夫して、
実験を混ぜたり、最近なら、動画なんかも使って、
また、できるだけ体を動かさせて、大きな声を出させるようにして、
こちらもテンションを上げて、
褒めて褒めて、褒めまくる。
(変な例ですが、ナチスのやり方なんか、相当参考になるかと)

子どもたち(特に小学校低学年までくらいなら)は、大満足のはずです。


だけど、
「今日の授業は楽しかったな〜」
「あの塾はいつも楽しかったな〜」
ということと、
たとえば、その子が将来、自分の道を歩いていける、
もっと端的に言えば、「食っていける」ことは、
必ずしも関係がないのではないかと、
ぼくならば、考えてしまうのです。

もっと極端に言ってしまえば、
【楽しかった部分】しか覚えていないことの方が、むしろ多いのではないか。。。


ぼくが、集団授業をやらないのは、
アルバイトの学生にも、出来るだけ幅広い教養とコミュニケーション力を求めるのは、
そのあたりです。
(いえ、集団でやるから儲かるんだということは、
  ビジネス方面でアドバイスくださるの方々から
  いつも怒られることですが)


また、最近流行?の、【家庭学習の習慣付け】というやつにも、
同様の「その場凌ぎ感」を感じていて、

では、ぼくの結論は何かというと、(結論とまでは言い切れないのですが)
最後の最後のエッセンスは何かとなると、

◆ 【常に、結びつけを行う、思考習慣】
◆ 【思考を、クローズさせない】 ← 「わかりやすい」とはしばしば、思考をクローズさせてしまう
◆ 【頭だけで打算的に考えるだけでは、足りない】


子どもたち、一人ひとりに、こういった思考習慣を持ってもらうために、
一人ひとりの、「その時」を敏感に察知し、
◎ 思い出すきっかけ
◎ 考えるきっかけ
◎ やる気を出すきっかけ
を、どうやって、自分の中から掘り出していくか。

だから、必ず

【問いかけ】

の形を多用することになります。
「なんて書いてある?」
「何してくれって言われてる?」
「どう考える?」
「与えられている情報は何?」
「使える道具は何?」
「これと、これがわかったら、自動的にわかることは?」
「こういうしぐさをしたって、どういう気持ちなんだろうね?」
「他に今まで習った中で、似たものなかった?」
「どう考えた?」
「絶対にそうだと言い切れる?」
「どうやったら、確かめられる?」
・・・

それは、必ずしもその場としては、「楽しい」ものになるとは限りません。
「楽しさ」をある程度犠牲にしても、
ぼくがやらなければと思うことです。

そして、常に、試行錯誤し、自分自身が成長することが、
何より大切だと感じています。



だけど、一番一番大切なことは、
一人ひとりの生徒さんを、
ぼく自身が、【信頼】していること。


最後の最後は、それに尽きる。
それは、間違いの無いところだと思います。



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