管理 vs 自由、あるいは、上意下達 vs デモクラシー

すべては20年後の未来のために。

昨晩の再情報化研究会でも話題になりましたが、
今さらぼくがどうこう言うまでもなく、
時代は、大きな転換期に差し掛かっています。

インターネットの普及が引き金となった
新しい情報員普羅の登場。
かつては、シルクロードが、インド航路が、大陸横断鉄道が、
日本で言えば、五街道や東海道新幹線、高速道路網ができた時、
新しい社会インフラが、それまでの人の考え方を変えてきました。
同じことが、以前よりもっと速いスピードで、この10年20年、
そして今後数十年の間に起こるでしょう。

大量生産、大量消費時代、物質主義の時代、
巨大なシステムを動かすため、またそれを管理するため、
より効率を上げるために、画一化が進みました。
今の教育も、その名残です。

今現在は、不景気でもあり、時代の揺り戻す力が盛り返しているようにも見えますが、
時代の大きな流れは、自由へ、デモクラシーへと向かっています。

ぼくはいわゆる、IT畑でずっと仕事をしてきたわけですが、
この時代の流れの中で、一番ひずみの大きい、
一番必要とされる仕事へと、大きく方向転換しました。
それが、今やっていること。


ぼくが勉強を教えているのは、
巨大なシステムの歯車として機能する人間を育てるためではありません。
また、その巨大なシステムを動かすために、
システムのために、人間を犠牲にするような人間を育てるためでもありません。

より自由な時代、よりデモクラシーな時代に、
ひとりの人間として、
自分の足で立って、
自分の頭で考え、
自分の手を動かす
そんな、自由人をひとりでも育てるためです。

自由であることは、良いことばかりではありません。
むしろ、はじめは悪いことの方が目に付くかもしれません。
しかし、
それでも時代は進む。

自由であるためには、まず強くなければなりません。
それは、権力を振りかざすという意味ではなく、
自分で立つための脚力
自分で考えるための頭脳
誰かと手をつなぐ、誰かに手を差し伸べるための開かれた手


簡単に答えを教えないのも、
問題よく読めといつも言うのも、
状況をちゃんとイメージしろと言うのも、
パターン暗記じゃ、しょうがないと言うのも、
弱いものいじめをするのはカッコ悪いと言うのも、
すべては自立した自由人を育てるためです。


腐りかけの巨木にもたれかかってどうする?
むしろかわいそうじゃないか。
腐るものは、自然と腐らせてあげて、
過去の遺物なんか捨ててしまって、
ひとりの人間として、
常に楽しみながら、学び続け、
雨が降ろうが、槍が降ろうが、
国が沈没しようが、
他人に怒らず、
自分の道を歩んでいける
そんな大人になっていって欲しいのです。


ぼくは、泰輔という名前をもらいました。
泰らかに、輔ける
それが、ぼくがこの世でやるべきことなんだろうなと思っています。


「デモクラシー」という言葉は、明治の始め、
「民主主義」という訳語ができるまでは、
「下克上」と訳されたそうです。


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