2018年9月14日金曜日

あの人たちって、どう考えても羽生えてるよね。そして美しい声で歌う。

学名: novumpteryx(ノウムプテリクス)

あの人たちって、どう考えても羽生えてるよね。

発想が自由で柔らかい。
従来の枠組みにとらわれていないっていうか。
そして、どこへでも行けて、何やらせてもできちゃう。

どう考えても、私たちと同じ人間だと思えない。

そりゃ、それなりの苦労もあるんだろうけど、
いつもにこやか朗らかで、ストレスなんてあるのかしら?

そして、聞いた?
とても美しい声で歌うの。
言葉の一つ一つに癒やされるの。


人類のあらゆる叡智と失敗から学んで、
人類から一歩抜け出た存在になってしまった彼らは、
novumpteryx(ノウムプテリクス:新しい羽)と呼ばれるようになりました。

中には、元気がいいのとか、引っ込み思案なのとか、
おっちょこちょいなのとか、それぞれ個性はあるようですが。


そして何故だかみんな、ヤックルを持っている。


2018年6月29日金曜日

(生きた教材から学ぶ:サッカーW杯編)決断の素晴らしさと、素晴らしさゆえの危惧

ぼくは今、子どもたちの指導・監督・コーチング・各種アドバイスをする立場なので、思うところありまして。

昨日の夜のサッカーW杯、
セネガルvsコロンビア
日本vsポーランド

終電で帰って、後半15分くらいから、
つまり日本とポーランドがお互いボール回しをしているところをテレビ観戦しました。
(選手起用や試合経過は、帰りの道すがらチェックしていました)

◎ 快哉事
△ 危惧
☆ 希望

◎ 快哉事
   なんといっても、批判を恐れず、リスクを取って勝負に出た。
   選手がそれを理解し、納得し、行動した。

   批判を恐れてリスクを取らないことが、むしろ最近の流行ですから、
   これを拍手喝采です!!

△ 危惧
   一方では、結果が良すぎた。
   監督の指示に従って、一致団結して行動することを是とする論調が強まるでしょう。
   ただでさえ、「同調日本」

   選手一人一人が、自分で考えることを放棄し、
   監督の指示に従うこと、みんなに合わせることを絶対視してしまうと
   結果として、批判を恐れて、リスクを取らない人が増えてしまうでしょう。

☆ 希望
   監督と選手は対等。
   むしろ現場を肌で感じている選手のその場の判断こそが重要だと
   ぼくは思います。

   もちろん、単に反発や思いつき、自分勝手な行動は称賛されませんが、
   そのレベルではどうせ高いところまではいけない。

   さらなる高みを目指すなら、選手は選手で勝負して、
   監督やコーチも真剣勝負して、
   お互いとことんまで考えて話し合って納得すること。


「同じ日本人としてうれしい、誇りに思う」
という立場でもなく、

自分は涼しい部屋でビールを飲みながら、
「もっとやらんかい!盛り上がらんからつまらん!」
という立場でもなく、

確率を計算して、
「ルールの範囲内で勝つために合理的判断をすべき!」
という立場でもなく、

簡単な答えなんて見つからないから、
だからこそ一生懸命勉強して、自分で考えて、人と話し合って、
なんとか少しでも良い方向をもがいてあがいて試行する立場として。


うちの子どもたちには、
もちろんぼくは一生懸命考えているけれど、
だけど、それを軽々と越えていってほしいよ。


ところで、
セネガルのシセ監督のファンになりました。

2018年6月25日月曜日

大垣(仮称)、ぱんがないって!!

悲報!












大垣(仮称)、ぱんがないって!
  「大迫、半端ないって」のイントネーションか、
  「桐島、部活やめるってよ」のリズムで。

パンがないならどうするか?
悲嘆に暮れるのか、誰かのせいにしてグチグチ言い続けるのか。

パンがないなら、ケーキを作れ!
知恵を絞って、汗水垂らして、
もっと良いものを、これまでにないものを、自分の力で作ろう!

何か道があるはず!
何か方法があるはず!
どうにか出来るはず!


後から振り返れば、あれが朗報だったと気づくはず。


信じているし、諦めないから、
一緒にがんばろう!!


2018年6月22日金曜日

どうしてぼくが、サッカーの予想を(得点から展開まで)バシッと当てられたのか(勉強にも通じる)

⇒ 小学生の落書きです。結構うまい。

蹴球世界杯。
盛り上がってますね! (ほんとかな)

見ている生徒さんが結構いるので、話題にも載せています。

先日のコロンビア戦、
ぼくの戦前の予想はこうでした。

【2-1で日本が勝つ】
  なんかふらっと日本が1点取って、
  後半中頃に同点に追いつかれるけれど、
  また後半最後の方で、ふらっと1点取って勝つ

かなり近かったと思いませんか?
子どもたちを前に、鼻高々です(笑)!


そして、試合後、
どうして当てられたのか、種明かしをしています。
これって、勉強においても大事なことだと思うので。

観点は2つあります。
1.まじめな観点
   端的に言えば、日本が弱すぎたから。

   戦前、あれだけ弱いと、相手も舐めるでしょう。
   舐めるというか、当然、勝ち進む前提で考えるでしょうから、
   初戦にピークを持ってくるはずがない。

   ところが、スポーツ、試合、勝負、特に団体競技は何が起こるかわからない。
   ふわっと隙を突いて、日本がたまたま1点取れば、展開が変わってきます。

   なかなか追いつけないと、徐々に焦りも出てくるでしょう。
   ムラの多いタイプは特に、良いときは良いけれど、悪いときは冷静さを失う。

   実力的に考えて、いつかは同点に追いつかれる。
   すると、相手は落ち着きを取り戻し、一気呵成に攻めてくる。
   そこにまた、隙が生まれる。

   ぽろっともう1点、日本が取っちゃうこともあるんじゃないの?


2.不まじめな観点
   予想としての面白みと、仮説思考。

   実力的に考えて、0-2で負けるでしょ、と予想しても、
   おもしろくもなんともない。
   スポーツに興味がある人ならたいていそのくらいの予想だろうし、
   あとは、「日本がんばれ」の人が希望的観測と神風的なことを言うだけ。

   日本が勝つかもしれない、という1つの仮説を立て、
   そこに論理を付与していくとどうなるか。

   みんなが言いそうなことなら、言う必要は無いわけです。
   みんなが言わないようなこと、見落としているようなことがないかな?
   そういうことであれば、言う意味がある。

   そして、もし当たろうものなら、鼻高々なわけです(笑)。

まあ、たまたまです!


ここから学んで欲しいこと。
□ 勝負は、やってみなければわからない
□ 弱いからこその勝機もある(隙を突く)
□ みんなと同じことを声高に言う必要は無い(特にネット社会において)
□ 人と違った観点を持って、自分で考えよう

☆ 未来のことを考えるのって、楽しいよね!!


ちなみに、第2戦の話に当然なってしまうのですが、
もう予想としての面白みはないかなと思っています。
どちらも本気の勝負になるだけ。
つまり、実力通りの結果が妥当かな(1-3くらい)と話しています。


2018年6月8日金曜日

子どもの「むん!」っていう表情、わかりますか?

言葉でどう表現したものか。

子どもの「むん!」っていう表情、
わかりますか?

目が見開いて、鼻の穴がちょっと開いている。

「よし、やったるで!」

そんな心境じゃないかと思うのです。

この表情が出ると、ぼくは心の中でガッツポーズをしています!



2018年6月4日月曜日

エビデンスだかカニデンスだか知らんけど、楽しないようにした方が良いと思う件

これまでにないくらい急速に社会が複雑化している現代、リスク管理、コンプライアンスの重要性が増し、
また限られた予算を効率よく使うために、エビデンスを提示することを求められることも増えていると思います。

一部の声の大きい人のごり押しがまかり通った時代よりも、一歩前進とぼくは思います。

しかし一方では、特に個人の立場、特に若い人の立場に立った時に、果たしてそこで止まってよいのだろうかとも。(つまり、そこで止まってはいけないのではないかと)


歴史を振り返れば、前例主義・硬直した組織が敗れ去り、多くの人々を不幸にした「エビデンス」は、枚挙に暇がないほどでしょう。
それ以上に、個人にとってみれば1回限りの人生。18歳の夏は一度しかありません。

どこかの誰かが、「うまくいった」とされる事例は、
もちろん参考になる部分はあるにしても、「エビデンス」があるから大丈夫!
とはならないはず。
実際には、いろいろな要素が複雑に絡み合い、ちょっとした偶然、
些細なボタンの掛け違い未来を大きく変えてしまうことだってあるでしょう。
たまたま現時点で「うまくいっている」ように見える事柄に、
どの程度の信頼を置いていいものでしょうか。


そんな楽をしようとせずに、
いつもこの瞬間瞬間で能力の限界まで考えて挑戦し、修正し、とにかく歩き続ける。
他人の「成功」をなぞるだけの人生って何なんでしょう。
仮に「成功」することはあっても、幸せになるとは思えない。


似たような意味で、東京中心の発想を、若い世代から変えていったほうが良いと思っています。
東京でやっていることをまねしたって(簡単に儲けられるかもしれないけれど)
どんどん人が東京に集まるだけではないかと。
東京にはないもの、歴史や文化、自然も大切ですし、
東京を飛ばして一気に世界とつながっていくことも大切だと思います。
むしろ東京の人があこがれて、集まってくるような「前例のない」試みをすべきではないかと思います。

前例のないことについて、「エビデンス」を出すことが難しいです。
しかし、所詮「エビデンス」なんて失敗したときの言い訳材料に過ぎないのではないでしょうか。
そこに、時間と労力を費やすくらいなら、「懸命」に考え行動したほうが
将来の可能性は広がると思います。


『目が前向きについているのはなぜだと思う?
  前へ前へと進むためだ!』
(のび太の先生(名前わからん))

しずちゃんには伝わらなかったけど。

2018年5月24日木曜日

言葉を文字通りにしか解釈しない大問題


日大アメフト部の問題、国会でのうんざりするようなさまざまな問題、さまざまな企業のさまざまな不正。

「あり得ない!」と専門家が言えば言うほど、むなしく聞こえてしまいます。

* 藤井君や大谷君に対する「ありえない」は、
   楽しいニュースです!

各種問題がこの先ずっと、子どもたちの世代まで続くのかと思うとぞっとします。

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そもそもこれらの問題の本質は何なのか?

ニュースなどを見聞きしていると、話がねじ曲がっていると感じるのはぼくだけでしょうか。

★★
言った/言わない、指示があった/なかった、合った/合ってない、証拠がある/ないといった話は部分的な話に過ぎないと思うのです。
★★

「相手をぶっつぶしてこい!」と言葉では確かにあったのだとぼくも思います。しかし、あくまでルールの中での話であるのは当然とコーチは思っていたのでしょう。元々、強い言葉、日常ではあり得ない表現を使う文化的背景があったであろうことは、激しいスポーツの世界ではありそうなことだと思います。ボクサーがコーチから、「相手をボコボコにしてこい」と言われることはあるでしょう。だからといって、そのボクサーがボクシングの範囲を超えて相手をボコボコにするでしょうか。

もっと言えば、悪口として「死ね」などと言う人はたくさんいるでしょうし、聞いたことがある人も多いでしょう。だからといって、本当にその人が誰かの死を望んでいるか?「君の代わりに殺してきてあげたよ」といったら感謝されるでしょうか。


注) 日常から、特殊な言葉、「誤解を招く」恐れがある言葉は使わない方が良い。
注) 実際にそのようなことが起きてしまったのであれば、
注) 即座に止めに入ってその場で謝罪すべきであるという件は、
注) それはそれで狂ってるなと思いますが、今は置いておきます。
注) (もし、本当に「ありえない」なら、試合を中断・中止しなかった相手側や審判も同罪でしょう)

逆に国会では、特に言葉としては言っていなくても、状況の中で「わかるでしょ」ということが横行し、都合が悪くなれば、「そんなことは言っていない」で罪を問われることはありません。やくざ映画の親分が、直接は何も言わないことと同じです。
いわゆるご飯論法(「今朝、ご飯を食べましたか?」「いいえ、ご飯は食べていません」(パンを食べた))。「○○罪という罪はない」という発言は、その典型かと思います。
こんな屁理屈のやりとりに毎日何億円も掛けるならば、もっと他にお金の使い道があるのではないでしょうか。

言葉を直接文字通りにしか理解できない、または、わざとしようとしない。
『言われたことをやっていれば怒られない』ということなのでしょうか。
もしそうだとすれば、そういう文化はどこで育まれているのでしょうか。


言葉や文書、論理に対する過信、
人間に対する過信、(人間ってバカだよ。もちろんぼくも)
逆に言えば、総合的な判断の欠如が、共有できる常識がないこと、
そして過去の「事実」に焦点が当たりすぎて、未来に対して建設的な議論を積み上げられないことが、
今ぼくたちが当事者として、議論すべきことなのではないでしょうか。


一部の言葉だけを取り上げても、全体の状況はわからない。
インターネットの普及とともに、文字だけの情報が一人歩きする状況です。
しかし子どもたちは、『点を取る』、『試験に受かる』ための勉強しか教わっていませんし、余計なことも含めていろんな話をする年長者もそばに居ない状況が多いと思います。

ぼくの友人で、小学校でバスケットボールを教える手伝いをしている人がいるのですが、
しばらく前に言っていました。何度注意してもふざけている子がいたので、「真剣に練習しないなら帰れ!」と言ったらそのまま帰ってしまった。家に帰ってお母さんから「何で帰ってきたの?」と聞かれるとその子は「帰れと言われたから」と。不思議に思ったお母さんが問い合わせて、状況がわかったそうですが、言葉を文字通りにしか解釈できない問題は、今も身の回りにたくさんあるのではないかと思います。

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ちなみにですが、ぼくは違う文脈(英語の時制の話)の中で、言葉や文字と、
伝えたい事ってずれる場合があるよね、って話はよくしています。
それは、『過去形』の話。

過去形って、どういうことを言うときに使う表現?
「過去のことを言いたいとき」
とほとんどの子は伝えます。

もちろんそういう面はあるのですが、もっと隠された意味があるんじゃないかな?
たとえば、、、
「あなたは、むかし、かわいかった」
と言われたら、それってどういう意味だろう・・・

言葉と意味がずれることがあることをよく知って、
上手に使い分けることが、まだまだAIにはできないだろう、
人間にこそできることではないでしょうか。

国語は、特に丁寧に、超スローリーディングが良いなと思っています。

そして全体を通して、
普通に話をすること、きちんとコミュニケーションを取ることが何より大切だと思っています。(立場関係なく)

* 「わかった?」と聞くと、たいていみんな「わかった」と答えるけれど、
* 本当にわかってるの? いい加減な答えをしないでね。

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今、人類は1つの大きな分岐点に立っているのではないでしょうか。
人類の体や脳は、こんなに大きくて複雑な社会を生きていくようにはできていないはずです。せいぜいが数十人から数百人単位で狩猟採集しているのが、自然状態の人類の姿でしょう。認識力や言語の限界に近づいているように思えるのです。

そこでこれからの展開を考えると。

A: 押しの強い、声の大きい人の意見を通すために、その他の人はじっと我慢をする(現状)

B: 少人数のグループに分断して、慎ましく暮らす(かつて自然主義者や共産主義者が目指した世界)

C: 複雑な状況を、総合的に判断し、未来に向けて建設的な議論ができるよう、人類が進化する。言葉に代わるコミュニケーションの方法を発明しても良いかもしれません。


ぼくは、Cを目指しています。
微力ながら、人類のお役に立てたらと。

繰り返しになりますが、人間ってまだまだバカだなと思います。
ぼく自身に対しても、もちろんそう思います。
でも、だからこそ、少しでもましな方向へと努力し続けるものではないでしょうか。



***

一応断っておくと、ぼく個人としては、
ただ偉そうにしているだけのおっさんとか、
たまたま成功して天狗になっている人、
その周りに群がっておこぼれを頂戴しようとしている人、
上意下達の硬直した組織、
有無を言わせぬスパルタ式?の教育
など、虫唾が走るほど嫌いです。

ただ、個人の好き嫌いのことと、
未来志向で議論を構築することは、分ける必要があると思っています。

2018年5月18日金曜日

読んで良かった、大変だ。『収容所のプルースト』

最近読んで、人に(子どもたちも含めて)薦めまくっている本です。


『収容所のプルースト』(ジョゼフ・チャプスキ)




読みどころは2つあります。

1.極寒の収容所。文字通り一寸先は闇の中で、捕虜たちの取った行動は?

   ポーランド人画家であったチャプスキは、1939年、
   ドイツとソ連による相次ぐポーランド侵攻によって、捕虜となる。
   収容されたのは、ソ連領。破壊された教会跡が収容所となり、
   零下40度の極寒の地で、昼間は強制労働、夜は南京虫だらけの毛布。

   肉体と精神の極限、絶望の中、
   捕虜たちは、人間性を保つ最後の方法として、
   何の道具も要しない、記憶だけを頼りにある知的作業に取りかかった。
   毎回、誰かが自分が一番よく知っていることを他のみんなの前で講義をする。
   軍事、政治、文学・・・
   目の前の現実とはあまりにかけ離れたテーマについて、耳を傾ける。

   著者は、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』
   (A la recherche du temps perdu)の連続講義を行う。

   本書は、その連続講義の再現したものです。

2.『失われた時を求めて』の解説本である

   さっそく、原書を買ってみました。
   ただ、ぼくが読むと200年くらい掛かりそうだな。。。
   ということで。
   



   英語版も買ってみました。
   
   



   ついでに、日本語版も。
   
   

ぼくとしては、岩波版の方が読みやすいです。


興味を持ってくれた中学生、高校生がいるので、
一緒に少しずつ読んでいこうと思います。






2018年5月15日火曜日

めだかの学校で国語・算数・理科・社会・英語


人間到る処青山あり
人間至る処碧山あり

生きる場所、死ぬ場所、学ぶ場所は至る処にありますよね。
それを感じてもらうために、1Fの水槽を見ながら授業なんてことも、時々やっています。

学びって、国語・算数・理科・社会と分かれているものではなくて、
いつでも、何からでも、自分次第でいくらでも広げられるものですよ。


一番大事なことは、「知ってる」って思わないこと。
「知ってる」と思うことで、好奇心の扉を閉じてしまわないこと。
主にメダカを飼っている水槽ですが、少なくない子どもたちはちらっと見ただけで、
「ああ、メダカね。知ってる」といってその後じっくり見ることをしないのです。
それはとても、もったいないこと。

その時その時のその子の反応で、話題は変わりますが、たとえばこんな話になったりします。

□ 名前の話:
   メダカって、なんでメダカって言うんだろうね。
   スジシマドジョウって何でしょう? ドジョウ? どんなドジョウでしょう。
   ここに、日本語の論理の構造が見えてきます。

   また、名前がわかることで「知ってる」と思った子がいるように、
   名前を知ることってとても大切です。
   どれかのメダカに、名前をつけてごらん。その瞬間から、そのメダカが
   今までとは違って見えるよ。
   君の名は、ってもの、そういうことかもね。

□ 一匹をずっと追いかけて見続けること:
   今から1分間、一匹だけをずっと見てみよう。
   やってみればわかりますが、なかなか集中力が必要です。
   気を抜くと、目が無意識にすっと動いてしまうことに気がつくと思います。
   たとえば、計算問題をやっているとき、
   やはり自然に目が違うところを見ていることがあるよ。
   そういうときに、計算間違いや、写し間違いが起こりやすいよ。
   意図的に時々目を離した方が、結果としては追い続けやすいかもね。

□ なりきること:
   どれか一匹を追い続けたら、今度はそのメダカがどんな世界を見ているのか、
   想像してみよう。
   そのメダカになったつもりで世界を見ると、いったいどんな世界が見えるかな?
   これで作文書けそうだね。

□ 貝の速度、水草の速度:
   コケを取ってもらうために、貝やエビも飼っています。
   貝くらいがちょうど良い。
   ゆっくり動いているけれど、気がついたら結構動いているね。
   この貝のスピードを、どのように計ったら良いかな。

□ 分類・整理してみよう:
   メダカだけでなく、ドジョウやカマツカ(鯉の仲間)、ミナミヌマエビ、
   青いエビ、いろいろな貝、たくさんの水草があります。
   それらを、分類・整理してみよう。

□ 水質など:
   これは、やり始めると結構、ヌマ。
   簡単なところでは、pHを測ってみたり、アンモニアや亜硝酸塩、硝酸塩の濃度を測ってみたり。
   そこから、生物の分解のサイクルについての話になっていきます。
   目に見えない、たくさんたくさんのバクテリアが、良い働きをしてくれているよ。

□ 光合成:
   CO2をボンベで添加しています。
   どうして? から光合成の話、緑色の話などなど。

□ 卵~大人、いろんなメダカ:
   オスメスの識別って、教科書で習うよりよほど難しいよね。
   卵、稚魚、1年生くらい、2年生くらい、いろいろなメダカがいるね。
   赤いの、青いの、白いの、黒いの、いろいろいるね。

□ 何やってるんだろうね:
   メダカたちって、何をやっているんだろうね。
   ざっと見たところは、えさを食べて、フンをして、ジャレたりケンカしたり、
   人間も偉そうにしているけれど、ほとんど一緒だよね。

□ 数えられる?:
   ところでここに居るメダカって、数えられるかな?
   もちろん、がんばれば(または別の場所に移すなどすれば)数えられるけど、
   ぱっと見、数えるの大変そうで、数える気にならないね。
   英語で出てくる【数えられない名詞】ってこういうことじゃない。
   別に数えようと思えばできるかもしれないけれど、通常数えようとは思わない。

進化とか生態系とかの話だったら、(ぼくも好きなので)
もっとお話しできるけれど、
身近なものをよく見て、学校で習ったこと、人に聞いたこと、本で読んだこと、テレビで見たことなど、、、いろんなことと結びつけて考えてみると、おもしろい世界がどんどん広がっていきますよ。


新・碧山Fプレップスクールでした。

2018年5月2日水曜日

そろそろAIの助けとか、借りられるんだろうか

AI化というと、現状大きく2つの流れがあると思うのですが、ぼくが可能性があるなと思い興味を持っているのは、『人がより良く生きていくために、細かいレベルでアシストしてくれる機能』。(もう1つの流れは、『人間みたいなものを作ろう』)

【1.大きな目標: 「興味を持つ」、「わかる」が『わかる』】
【2.その応用分野】
【3.小さな目標: 狭い意味での「学習」の効果を飛躍的に上げる】
【4.その具体例】
【5.危険な目標: 膨大な「無意識領域」を活用可能にする】


【1.大きな目標: 「興味を持つ」、「わかる」が『わかる』】

ぼくがずっと興味を持っていること。
それは、人が「何かに対して興味を持った瞬間」、「理解した瞬間」、「できなかったことができるようになる瞬間」について、もっと科学的に調べられることがあるだろう、ということ。 
今は、一対一で話をして、相手の反応を見ながら経験的に判断しているのですが、科学的に、生体レベルで(つまり無意識レベルで)起こっている反応を調べると、もっと具体的なことがわかって、場合によっては利用もできるのではないかということ。 

○ 人が何かに、「何それ!」と興味を持った瞬間

脳の中ではどんなことが起こり、それが生体レベルにどのような反応として表れるのか。ある程度リラックスした状態の中で、それまでのその人の『常識』からちょっと外れたことがあると、脳は勝手に興味を示し、瞳孔が開いたり、心拍数が上がったり、発汗量が上がったりしているのではないでしょうか。 それをもっと科学的に調べてみたい。

○ 人が何かを理解した瞬間

授業で生徒に、「わかった?」と聞いても、あまり意味がないと思っています。生徒たちは、学校生活などを通して、「あなたの発している言語を聞いています」ということを、「わかった」と答えている場合が少なくないように感じます。ぼく自身の経験ですが、「わかった!」となった瞬間は、
A.今までよく知っていたことを使って、言い換えができるようになった。つまりこういうことか。
B.それまで全然違うことを考えてしまっていたことがわかった。なんだそんなことか。
C.それまで関連がないと思っていたことに意外な関連が見いだせて、頭の中でイメージが自在に動かせるようになる。たのしいなあ。
また、理解は段階的に進むように感じています。
第0段階: まったく頭に入らない
第1段階: 言われていることはわかる(ような気がする)
第2段階: まだもやもやしている部分はあるけれど、ある程度再現できる
第3段階: 上記のA~Cのいずれかの状態になる
0⇒1は、学習者の集中力に大きく依存する
1⇒2は、説明者の巧拙と、学習者の繰り返しの量と質に依存する
2⇒3は、ある程度、インターバルを置いていると、あるとき突然に!

○ できなかったことができるようになる瞬間

弱点を繰り返す、少しずつ違った言われ方をされながら対応していく。これらは、比較的簡単にシステム化できるのではないかと思います。あんまり『瞬間』って感じではないかもしれません。

【2.その応用分野】

子どもの「教育」はもちろんですが、企業や組織体内でのコミュニケーションの効率化、採用、社員教育、評価。宣伝広告、新商品などのテストマーケティング、UI/UXの評価。いろいろなところで行われている各種「アンケート」の代替。細かいところでは、飲食店でお客さんの反応を見て、次に何をオススメするか。
「興味を持ってもらいたい」、「わかってもらいたい」、「わかっているのかどうか、知りたい」といったニーズは、人間活動のあらゆるシーンに存在します。もっといえば、結局人間のやっている事はそれに尽きるのではないでしょうか。

【3.小さな目標: 狭い意味での「学習」の効果を飛躍的に上げる】

「学習」において一番難しいのは、(とぼくが思っているのは)、『その子』の『今』を知ること。その術は相当限られている(経験など属人的なものになっている)こと。『その子』が『今』、本当は何を見ているのか、何を考えているのか、わかったのか、わからないのか。
うちはまだ、一対一で、また何年も継続的に見られるので、それなりにできることもありますが、学校などの集団授業で、また、科目ごと/学年ごとに先生が替わっていく場合に、『その子』の『今』を把握することは、ほとんど不可能ではないでしょうか。
そろそろ一人一人の学習サポータとして、コンピュータを活用できる時期にさしかかりつつあるのではないかなと期待しています。

【4.その具体例】

国語: そもそも読んでる?読めている子(単純に言えばテストで正解できる子)と、そうでない子では、目の動きにどのような違いがあるか。目の動かし方をガイドする。論理展開を色分けする。キーワードをハイライトするなど、読める子が自然にできていることを補助してあげることで、「読む」という行為の「型」をつけていく。 
算数: 条件文の整理、必要な数字・単位の見落としがないか。まだ使われていない条件がないか。Aという情報とBという情報からわかることは何か?今、正順で考えているのか逆順で考えているのか。 
学習全体:過去にどんな問題で間違えたか。どこに弱点がありそうか。それは今はできるのか。

【5.危険な目標: 膨大な「無意識領域」を活用可能にする】

話はとても飛躍します。
水槽でメダカを飼っています。
メダカを飼う環境を整えるのが大変です。
はじめに水質調査。pHや硝酸塩、亜硝酸塩、アンモニアの濃度、水の硬度などを調べます。理想の水質に近づけるため、バクテリアが安定して活動できる環境に整える必要があります。そして水草を育てます。水草は硝酸塩や二酸化炭素を吸収し、酸素を供給し、またメダカのおやつになってくれます。
一度環境ができれば、ある程度は定期的なメンテナンスで平衡状態が保たれるのですが、そのバランスが一旦崩れると環境は一気に悪化します。
人体内部、脳内で起こっていることも、生物的な反応であると考えれば似ているところが多いはずです。
たとえば、「方程式」を理解するために、どれだけの脳細胞が関連しお互い助け合っているのか。うまくいっているときは特に問題がないけれど、一旦環境が悪くなると回復するのはとても難しい。。。 
そして、さらに未来に話が飛躍します。
今の子どもたちが大人になる頃。『単に生きること』以上の生きる意味を感じられる【元ネタ】を若いうちから仕込んでおいた方が良いと思うのです。
より便利に快適に、苦痛からは解放される。一方ではより複雑で変化の激しい社会のなかで、たくさんの判断を同時並行的に進めなければならない。
わかりやすい【必要】とか【おもしろい】、【儲かる】だけではない、より抽象的な思考力を養い、自分の脳をより上手に使い、またある程度コントロールできることが理想ではないかと思います。
脳の興味の範囲、可動領域を広げ、活用法を獲得していく補助ツールとして、AIを活用することはできないかな、というのは、一歩間違えると危険な領域に入りそうな考えではあると思いますが。

** 無難なところでは、 
** 現代教養として、

** 現代数学、最先端の科学/技術、現代の思想、文学、芸術など
** 幅広く、学ぶことだと思います。
** 敢えて「現代」とつけたのは、いわゆる「教養」というと、
** 古い物事をどれだけ知っているか、みたいな話が多すぎるので。。。


2018年4月19日木曜日

生きてれば大変なこともあるかもしれないけれど、なんとか力強く生きていって欲しい。そのための、盾と剣と仲間と仰ぎ見る星と。

20年後の未来のための、他にないけど当たり前の学びの方法と見方を提供する 新・碧山Fプレップスクールです。

11年が経とうとしています。
何の経験も算段も後ろ盾もないところからのスタートでした。諸先輩方に相談しても、「何それ?」、「人来るの?」、「お金の匂いがしない」など。金融機関や経営コンサルタントからも「あり得ないでしょ」と。

まあ、自分の生活のことや、お金のことなど考えずに、残り人生でぼくが未来の社会のために何ができるか、と考えて始めたことなので、前述のご指摘はごもっともです。

『生きてれば大変なこともあるかもしれないけれど、何とか力強く生きていって欲しい』

そういう人たちが、新しい世の中を作っていってくれたらと、今でもほとんどそれだけを思っています。

一般に「教育」というと、聞こえが良いのか、簡単そうに思えるのか、やってみようとしたり、実際に始めたりした人は知人の中にもいますが、結局始められなかったり、始めたけれどすぐにやめてしまったり。そんな中で、ぼくは大変ラッキーだったのだなと思います。

『生きてれば大変なこともあるかもしれないけれど、何とか力強く生きていって欲しい』

そのために今、何が必要なのか。(もしくは、何は実は不要なのか)
これだけ多様な社会の中で、画一的に指し示すことなどできないと、少なくともぼくにはできないと思っています。だから、一人一人に、そっと手渡すように。そしてそのためにぼく自身が毎日悩みながら準備をし、授業をし、その結果を振り返り、まとめをしています。


ところで、ではいったいぼくは子どもたちに何を手渡しているんだろう。
現時点のぼくが意識しているのは、【盾】【剣】【仲間】【仰ぎ見る星】です。

□ 盾
   「攻撃は最大の防御」なんて言ったりもしますが、
   ぼくは、しっかり守ることは基本であると考えています。
   今の時代、これからの子どもたちにとって、何が盾となるのでしょうか。
   ・ 正しく読んで聞いて、
   ・ 論理的に考え、自分の意見を述べる
   ・ 未だに「学歴」というものも通用する場面もある
   (これはでも、まあ簡単な部類)

□ 剣
   でも、盾だけではダメなんですね。足りないんですね。
   強みを活かす、長所を伸ばす、誰もやったことがないことにチャレンジする。
   それは「学校の勉強」の範囲内でも良いし、そうでなくてもいいのですが、
   一人一人の長所と可能性を見いだして伸ばしていくことは、
   本当に難しいことだと日々痛感しています。

□ 仲間
   それでも、まだ弱いんです。
   人は一人では生きていけない。仲間がいた方が良い。
   ただし、今までの仲間の作り方は「同類」を集めることであったと思うのです。
   ぼくが心がけているのは、「異類」の組み合わせを考えること。
   そして子どもたち自身に考えてもらえるようになること。
   「友達」じゃなくて良いんです。(それは個々人が勝手にやれば良い)
   友達じゃないんだけど、仲間なんだよ。
   年齢、性別、住んでいる場所、文化、価値観・・・が異なる人たちと集まる機会については、まだまだできていないところがあるので、これからの重点課題です。

□ 仰ぎ見る星
   そして、それでもまだ十分ではないと考えています。
   これだけだと、思い上がった人間を増やすだけになってしまいかねません。
   自分の限界の、さらに先に、もっともっと世界が広がっていること。
   宇宙の神秘、大自然の偉大さ、思考の限界までたどり着こうとした過去の偉人たち、、、
   それらを通じて、広い視野と高い志を持った、
   ぼくから見ると、異次元に優秀な人たちとなって未来を切り開いていって欲しい。
   これはぼくの願いです。


この春も、数名の子どもたちが巣立っていきました。

期待していますよ!



2018年3月24日土曜日

だけど、美しさは・・・

20年後の未来のために、
学校の勉強だって役に立つよ。
新・碧山Fプレップスクールです。

時々、少しずつ、一緒に図鑑を観る時間を作っています。

遊んでいるのか。
まあ、そうなのですが。



理屈は、教えられる、
たのしさは、熱量で伝えられる、
だけど、美しさは、教えられない。

感じるもの、知っているもの、思い出すものなのではないでしょうか。


本物には及ばずながら、
美しい風景、美しい生き物、美しい宇宙などをたくさん観て、
それもよく観て、よくよく観て、
「なんでこうなった?」
「こんなデザイン、人間では思いつかないよね」



 図鑑を一緒に観るとき、ぼくが注意しているのは、
▲ パラパラと眺めるのはもったいない。
よくよく観てみよう。

▲ 名前を覚えたり、説明を読んで満足。
たしかに名前の重要さは、いつも言っていることなのですが、そんなもので「わかった」と思わないでね。


そして将来、思い出してね。

自然の美しさ、地球の美しさ、宇宙の美しさを。
その感性が、威力を発揮するときがいつかきっと。




**
とはいえ、教室が本などであふれかえっていて、
整頓されているとは言えない状態なのは、、、
まあ、反面教師として。
**


2018年2月21日水曜日

相対性理論から始めよう

20年後の未来のための学び方改革。新・碧山Fプレップスクールです。


これから先、何十年の未来を生きていく子どもたちが今、身につけるべき教養はなんでしょうか。

人工知能やロボットといったテクノロジーと共存していく未来において、その基礎となっている科学や数学を教養として学ぶ。それが、超・碧山Fプレップスクールの新・教養講座。


一部のおじさま方には、非常に評判悪いです(笑)。
1.難しそう
2.やりたくない
3.やる必要がない、やる意味がない
わかりやすいもの(占いとかえせ科学とか、自分が慣れ親しんだ「常識」とか)に引きこもりたいのです。
まあ、それは仕方がない。どうぞ。


一方では、大学生でも、ぼくよりも年上の方でも、「子どもだけにやらせておくのはもったいない」と前のめりの方もいらっしゃいます。
オープンマインドで、現場主義、独創的なアイディアにこだわっている方にその傾向が強いと思います。
今の子どもたちも、そんなおとなに成長していってほしいものです。


近代の行き詰まりを感じた先人たちの切り開いた世界。特に、数学や物理学は、世界の最高の頭脳が、国を超え、文化の壁を越えて、「真実」なるものに迫ろうと、時に協力し、時に罵り合い、一歩一歩積み重ねてきたもの。数々の難題、行き詰まりを、独創的なアイディアで切り開いてきました。

後代から見れば、「なんだそんなこと当たり前じゃないか」と。俺でもわかると。いやー、そこに感動できない人が、独創的なことができるとは思えない(笑)。


「ラプラスの悪魔」に代表される決定論的な虚無感、
個人よりも法人やシステム、金銭が優先され、「上」が決めた通りにしか動けない、「上」が決めれば何でもやる無責任感、
消費行動で経済に貢献し、ネットでの承認、批判の大合唱で同調を強める全体主義的社会から
一歩自立して、
□ 人類が達成してきたことの偉大さに心から感動し
□ 自然の不思議さに畏怖の念を抱き、
□ 知ることのできる限界に迫り、
□ パラダイムを変えることで広がる爽快感を味わう


少々が内引用になりますが、湯川秀樹の言葉です。
ふりかえってみると、1934年の秋に核力の理論の帰結としての中間子の存在に思い至った当時の私の心は不思議なほど自信に満ちていた。今日では物理学の理論というものは仮説の上に成り立つというポアンカレ流の考え方が常識となっている。私もその通りであると思う。しかし、だからといって、自明の真理から出発せよというデカルトの主張が無意味になったとは思わない。持続的に、そしてやや異常なまでに、一つの問題に思考力を集中させている課程の中で思いあたったことの一つが、自明であるように見えだす。だから、そこに自信が湧いてくる。それをさらに推進させようとする意欲も出てくる。それは客観的には、それからの結論と経験的事実との対比によって、はじめて正否が判定されるべき仮説である。しかし、当人にとっては、少なくとも初期のある期間は、それは「それ以外の可能性が考えられないところの真実」である。そういう両面性の一方だけしか認めない人とは創造性、特に理論物理学における発見とは何かについて、所詮ともに語ることはできない。


2018年1月11日木曜日

零年は準備の年(新・超・挑・親・深・汎・G+裏)

20年後の未来のための学び方改革。新・碧山Fプレップスクールです。

今年は、なんとか零年ですね。

去年、丸10年を経た青山プレップスクール(旧称)も来年は干支が一回りすることになります。あと10年続けられたら(つまり命が持てば)幸せだなと思います。

零からのスタートで、ただひたすら脇目も振らず、
目の前の生徒さんの10年後、20年後のために全力でやってきました。気がつけば卒業生も増えて、また大きくなって、時々食事をしたり、お酒を飲んだりします。<ひいき目かもしれませんが>みんな本当に優秀だなと思います。みんなのことを誇りに思いつつ、さらなる成長を期待しつつ、ぼくも一緒に成長していけたらと思います。

そして迎えたなんとか零年。

これまでの40,000時間で得られたものを次代に引き継げるよう形にしていこうと思tっています。

□ 10年後の未来のための生きている個別指導:
   【わたしの、新・碧山Fプレップスクール】
   一人一人は違った人間です。育った環境、子どもの頃に好きだったこと、
   現在の課題、理解しやすい糸口・・・まだまだAIには追いつかれないと思います。

□ 稼ぐ男、できる女になるための:
   【ぼくの裏メニュー】

□ 進化した新しい人類のための新しい常識:
   【進化した人類の、超・碧山Fプレップスクール】
   複雑で変化が激しい、不確定、不安定な時代を力強く生き抜くために、
   アインシュタイン以降の、物理学・数学・生物学・歴史・哲学・芸術を
   学びます。学校では大学でそれぞれ専門に進まない限りは学べません。
   しかしこれからの未来を想像し、選択し、創造するために、
   テクノロジーを抜きにできるでしょうか。テクノロジーの本質を理解せずに、
   未来への希望を持とうとしたら、相当範囲が限定されないでしょうか。
   テクノロジーそのものは、次々と新しく入れ替わります。
   だからこそ、その本質(科学・思想)を押えておくことが大切であると考えます。
   普遍性と時代性。新しい時代には、新しい教養が必要です。

□ 「わかる」をわかる
   【マニアのための、深・碧山Fプレップスクール】
   人間のあらゆる活動(経済活動、社会活動などなど)は、
   最終的には、「人間」を理解することです。
   AIとぼくたちと、どちらが上手にできるでしょう(笑)。

□ 学びのネットワーク
   【みんなの、汎・碧山Fプレップスクール】
   人間が完全に仲間だと認識できる組織のサイズは、大きくありません。
   お互いに仲間だと認識し合って学び合える小さなネットワークを世界中に。


□ 【いい大人の、挑・碧山Fプレップスクール】
□ 【我が子のための、親・碧山Fプレップスクール】
□ 【海外留学のための、G・碧山Fプレップスクール】


零年には、これらを準備して新しい時代に備えたいと思っております。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。


新・碧山Fプレップスクール
井上 泰輔

あの人たちって、どう考えても羽生えてるよね。そして美しい声で歌う。

学名: novumpteryx(ノウムプテリクス) あの人たちって、どう考えても羽生えてるよね。 発想が自由で柔らかい。 従来の枠組みにとらわれていないっていうか。 そして、どこへでも行けて、何やらせてもできちゃう。 どう考えても、私たちと同じ人間だと思えない。 ...