そろそろAIの助けとか、借りられるんだろうか

AI化というと、現状大きく2つの流れがあると思うのですが、ぼくが可能性があるなと思い興味を持っているのは、『人がより良く生きていくために、細かいレベルでアシストしてくれる機能』。(もう1つの流れは、『人間みたいなものを作ろう』)

【1.大きな目標: 「興味を持つ」、「わかる」が『わかる』】
【2.その応用分野】
【3.小さな目標: 狭い意味での「学習」の効果を飛躍的に上げる】
【4.その具体例】
【5.危険な目標: 膨大な「無意識領域」を活用可能にする】


【1.大きな目標: 「興味を持つ」、「わかる」が『わかる』】

ぼくがずっと興味を持っていること。
それは、人が「何かに対して興味を持った瞬間」、「理解した瞬間」、「できなかったことができるようになる瞬間」について、もっと科学的に調べられることがあるだろう、ということ。 
今は、一対一で話をして、相手の反応を見ながら経験的に判断しているのですが、科学的に、生体レベルで(つまり無意識レベルで)起こっている反応を調べると、もっと具体的なことがわかって、場合によっては利用もできるのではないかということ。 

○ 人が何かに、「何それ!」と興味を持った瞬間

脳の中ではどんなことが起こり、それが生体レベルにどのような反応として表れるのか。ある程度リラックスした状態の中で、それまでのその人の『常識』からちょっと外れたことがあると、脳は勝手に興味を示し、瞳孔が開いたり、心拍数が上がったり、発汗量が上がったりしているのではないでしょうか。 それをもっと科学的に調べてみたい。

○ 人が何かを理解した瞬間

授業で生徒に、「わかった?」と聞いても、あまり意味がないと思っています。生徒たちは、学校生活などを通して、「あなたの発している言語を聞いています」ということを、「わかった」と答えている場合が少なくないように感じます。ぼく自身の経験ですが、「わかった!」となった瞬間は、
A.今までよく知っていたことを使って、言い換えができるようになった。つまりこういうことか。
B.それまで全然違うことを考えてしまっていたことがわかった。なんだそんなことか。
C.それまで関連がないと思っていたことに意外な関連が見いだせて、頭の中でイメージが自在に動かせるようになる。たのしいなあ。
また、理解は段階的に進むように感じています。
第0段階: まったく頭に入らない
第1段階: 言われていることはわかる(ような気がする)
第2段階: まだもやもやしている部分はあるけれど、ある程度再現できる
第3段階: 上記のA~Cのいずれかの状態になる
0⇒1は、学習者の集中力に大きく依存する
1⇒2は、説明者の巧拙と、学習者の繰り返しの量と質に依存する
2⇒3は、ある程度、インターバルを置いていると、あるとき突然に!

○ できなかったことができるようになる瞬間

弱点を繰り返す、少しずつ違った言われ方をされながら対応していく。これらは、比較的簡単にシステム化できるのではないかと思います。あんまり『瞬間』って感じではないかもしれません。

【2.その応用分野】

子どもの「教育」はもちろんですが、企業や組織体内でのコミュニケーションの効率化、採用、社員教育、評価。宣伝広告、新商品などのテストマーケティング、UI/UXの評価。いろいろなところで行われている各種「アンケート」の代替。細かいところでは、飲食店でお客さんの反応を見て、次に何をオススメするか。
「興味を持ってもらいたい」、「わかってもらいたい」、「わかっているのかどうか、知りたい」といったニーズは、人間活動のあらゆるシーンに存在します。もっといえば、結局人間のやっている事はそれに尽きるのではないでしょうか。

【3.小さな目標: 狭い意味での「学習」の効果を飛躍的に上げる】

「学習」において一番難しいのは、(とぼくが思っているのは)、『その子』の『今』を知ること。その術は相当限られている(経験など属人的なものになっている)こと。『その子』が『今』、本当は何を見ているのか、何を考えているのか、わかったのか、わからないのか。
うちはまだ、一対一で、また何年も継続的に見られるので、それなりにできることもありますが、学校などの集団授業で、また、科目ごと/学年ごとに先生が替わっていく場合に、『その子』の『今』を把握することは、ほとんど不可能ではないでしょうか。
そろそろ一人一人の学習サポータとして、コンピュータを活用できる時期にさしかかりつつあるのではないかなと期待しています。

【4.その具体例】

国語: そもそも読んでる?読めている子(単純に言えばテストで正解できる子)と、そうでない子では、目の動きにどのような違いがあるか。目の動かし方をガイドする。論理展開を色分けする。キーワードをハイライトするなど、読める子が自然にできていることを補助してあげることで、「読む」という行為の「型」をつけていく。 
算数: 条件文の整理、必要な数字・単位の見落としがないか。まだ使われていない条件がないか。Aという情報とBという情報からわかることは何か?今、正順で考えているのか逆順で考えているのか。 
学習全体:過去にどんな問題で間違えたか。どこに弱点がありそうか。それは今はできるのか。

【5.危険な目標: 膨大な「無意識領域」を活用可能にする】

話はとても飛躍します。
水槽でメダカを飼っています。
メダカを飼う環境を整えるのが大変です。
はじめに水質調査。pHや硝酸塩、亜硝酸塩、アンモニアの濃度、水の硬度などを調べます。理想の水質に近づけるため、バクテリアが安定して活動できる環境に整える必要があります。そして水草を育てます。水草は硝酸塩や二酸化炭素を吸収し、酸素を供給し、またメダカのおやつになってくれます。
一度環境ができれば、ある程度は定期的なメンテナンスで平衡状態が保たれるのですが、そのバランスが一旦崩れると環境は一気に悪化します。
人体内部、脳内で起こっていることも、生物的な反応であると考えれば似ているところが多いはずです。
たとえば、「方程式」を理解するために、どれだけの脳細胞が関連しお互い助け合っているのか。うまくいっているときは特に問題がないけれど、一旦環境が悪くなると回復するのはとても難しい。。。 
そして、さらに未来に話が飛躍します。
今の子どもたちが大人になる頃。『単に生きること』以上の生きる意味を感じられる【元ネタ】を若いうちから仕込んでおいた方が良いと思うのです。
より便利に快適に、苦痛からは解放される。一方ではより複雑で変化の激しい社会のなかで、たくさんの判断を同時並行的に進めなければならない。
わかりやすい【必要】とか【おもしろい】、【儲かる】だけではない、より抽象的な思考力を養い、自分の脳をより上手に使い、またある程度コントロールできることが理想ではないかと思います。
脳の興味の範囲、可動領域を広げ、活用法を獲得していく補助ツールとして、AIを活用することはできないかな、というのは、一歩間違えると危険な領域に入りそうな考えではあると思いますが。

** 無難なところでは、 
** 現代教養として、

** 現代数学、最先端の科学/技術、現代の思想、文学、芸術など
** 幅広く、学ぶことだと思います。
** 敢えて「現代」とつけたのは、いわゆる「教養」というと、
** 古い物事をどれだけ知っているか、みたいな話が多すぎるので。。。


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