エビデンスだかカニデンスだか知らんけど、楽しないようにした方が良いと思う件

これまでにないくらい急速に社会が複雑化している現代、リスク管理、コンプライアンスの重要性が増し、
また限られた予算を効率よく使うために、エビデンスを提示することを求められることも増えていると思います。

一部の声の大きい人のごり押しがまかり通った時代よりも、一歩前進とぼくは思います。

しかし一方では、特に個人の立場、特に若い人の立場に立った時に、果たしてそこで止まってよいのだろうかとも。(つまり、そこで止まってはいけないのではないかと)


歴史を振り返れば、前例主義・硬直した組織が敗れ去り、多くの人々を不幸にした「エビデンス」は、枚挙に暇がないほどでしょう。
それ以上に、個人にとってみれば1回限りの人生。18歳の夏は一度しかありません。

どこかの誰かが、「うまくいった」とされる事例は、
もちろん参考になる部分はあるにしても、「エビデンス」があるから大丈夫!
とはならないはず。
実際には、いろいろな要素が複雑に絡み合い、ちょっとした偶然、
些細なボタンの掛け違い未来を大きく変えてしまうことだってあるでしょう。
たまたま現時点で「うまくいっている」ように見える事柄に、
どの程度の信頼を置いていいものでしょうか。


そんな楽をしようとせずに、
いつもこの瞬間瞬間で能力の限界まで考えて挑戦し、修正し、とにかく歩き続ける。
他人の「成功」をなぞるだけの人生って何なんでしょう。
仮に「成功」することはあっても、幸せになるとは思えない。


似たような意味で、東京中心の発想を、若い世代から変えていったほうが良いと思っています。
東京でやっていることをまねしたって(簡単に儲けられるかもしれないけれど)
どんどん人が東京に集まるだけではないかと。
東京にはないもの、歴史や文化、自然も大切ですし、
東京を飛ばして一気に世界とつながっていくことも大切だと思います。
むしろ東京の人があこがれて、集まってくるような「前例のない」試みをすべきではないかと思います。

前例のないことについて、「エビデンス」を出すことが難しいです。
しかし、所詮「エビデンス」なんて失敗したときの言い訳材料に過ぎないのではないでしょうか。
そこに、時間と労力を費やすくらいなら、「懸命」に考え行動したほうが
将来の可能性は広がると思います。


『目が前向きについているのはなぜだと思う?
  前へ前へと進むためだ!』
(のび太の先生(名前わからん))

しずちゃんには伝わらなかったけど。

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