2013年4月30日火曜日

【英語は単なる道具】  じゃなくて、思考の新しいインフラです。

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


英語は単なる道具だから、、、、

という言い方を、よく耳にするなと、思っています。

たとえば、、、



ざっくりいってしまうと、

★ 道具なんだから、難しく考えずに、
   ちゃちゃっとマスター出来ますよ!

★ 単なる道具に過ぎなくて、
   大事なのは中身ですよ!


そういう趣旨であると、解釈しています。
なるほど、と思える面もたくさんあります。



しかし、結論から言うと、
まったくそうではない面もあるのではないかと
ぼくは思うのです。


新しい、まったく違う言語体系を学ぶということは、
新しい思考法を学ぶことであり、
極論すれば、新しい人格を身につけることなのではないか。

それは、単なる道具という存在を超えて、
思考のインフラを開拓する、ということなのではないか。


そういう意味では、まったく異なる言語体系を学べる環境にある
ぼくたち日本人は、なんてラッキー!!



◎ 日本人でも、性格(ものを考える時の、思考習慣)によって、
   英語の得手不得手が決まるのではないか。


だから、
英語そのものの学習の前に、
英語的思考習慣の練習を徹底的にしたらいいんじゃないか。


*英語教材に関わっていらっしゃる方、一度ご検討ください(笑)。


============


英語も、数学も、理科も、社会も、現代文も、古典も、
時には、家庭科や音楽も教えてるから(笑)、
わかることがあるんですね。

   (*そもそも、生徒さんたちはそれだけやらなければならないのに、
     一般に、先生たちは自分の好きなことだけやっていて、
     ぼくには、ずるいと感じます)


★ 古典を教えた後に、英語を教える

★ 英語を教えた後に、古典を教える

★ 小論文の指導をしている

そんな時に、思うんですね。

● 英語は、相手に伝えたいこと(主張)がある人たちの言葉

● 日本語は、特に相手に伝えたいこと(主張)がない人たちの言葉


============

古典といえば、たとえばこれ、
『源氏物語』の冒頭です。
 いづれの御時にか、女御・更衣あまた さぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめきたまふありけり。はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、まして やすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせ給はず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
(『源氏物語』 桐壷)




ずいぶん新しいですが、こういうものも、もはや我々には、古典ですよね。
『たけくらべ』の冒頭です。

 廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當ことごとしく、一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色どりて、新年着の支度もこれをば當てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人の多くは廓者にて良人は小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顏もこれが見納めか十人ぎりの側杖無理情死のしそこね、恨みはかゝる身のはて危ふく、すはと言はゞ命がけの勤めに遊山らしく見ゆるもをかし、娘は大籬の下新造とやら、七軒の何屋が客廻しとやら、提燈さげてちよこちよこ走りの修業、卒業して何にかなる、とかくは檜舞臺と見たつるもをかしからずや、垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざつぱりとせし唐棧ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやら/\忙がしげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が棧橋とんと沙汰して、廻り遠や此處からあげまする、誂へ物の仕事やさんと此あたりには言ふぞかし、一體の風俗よそと變りて、女子の後帶きちんとせし人少なく、がらを好みて巾廣の卷帶、年増はまだよし、十五六の小癪なるが酸漿ふくんで此姿はと目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや、昨日河岸店に何紫の源氏名耳に殘れど、けふは地廻りの吉と手馴れぬ燒鳥の夜店を出して、身代たゝき骨になれば再び古巣への内儀姿、どこやら素人よりは見よげに覺えて、これに染まらぬ子供もなし、秋は九月仁和賀の頃の大路を見給へ、さりとは宜くも學びし露八が物眞似、榮喜が處作、孟子の母やおどろかん上達の速やかさ、うまいと褒められて今宵も一廻りと生意氣は七つ八つよりつのりて、やがては肩に置手ぬぐひ、鼻歌のそゝり節、十五の少年がませかた恐ろし、學校の唱歌にもぎつちよんちよんと拍子を取りて、運動會に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるゝ入谷ぢかくに育英舍とて、私立なれども生徒の數は千人近く、狹き校舍に目白押の窮屈さも教師が人望いよ/\あらはれて、唯學校と一ト口にて此あたりには呑込みのつくほど成るがあり、通ふ子供の數々に或は火消鳶人足、おとつさんは刎橋の番屋に居るよと習はずして知る其道のかしこさ、梯子のりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴へのつべこべ、三百といふ代言の子もあるべし、お前の父さんは馬だねへと言はれて、名のりや愁らき子心にも顏あからめるしほらしさ、出入りの貸座敷の祕藏息子寮住居に華族さまを氣取りて、ふさ付き帽子面もちゆたかに洋服かる/″\と花々敷を、坊ちやん坊ちやんとて此子の追從するもをかし、多くの中に龍華寺の信如とて、千筋となづる黒髮も今いく歳のさかりにか、やがては墨染にかへぬべき袖の色、發心は腹からか、坊は親ゆづりの勉強ものあり、性來をとなしきを友達いぶせく思ひて、さま/″\の惡戲をしかけ、猫の死骸を繩にくゝりてお役目なれば引導をたのみますと投げつけし事も有りしが、それは昔、今は校内一の人とて假にも侮りての處業はなかりき、歳は十五、並背にていが栗の頭髮も思ひなしか俗とは變りて、藤本信如と訓にてすませど、何處やら釋といひたげの素振なり。
(『たけくらべ』)

おそろしく長い引用になってしまいましたが、、、、

これは、、、、最初の一文のみです。。。。。






ものすごーーーーく、 乱暴にいっていまうと、、、

あ~、いつだったかな~、あのほら、あの人が、あ~だったでしょ、
だからほら、こ~なって、あ~なって、あ~、そういえば思いだした、
こんなこともあったよね、だからやっぱり、そうなのよ~、
それでもって、あの人がその後、あ~なって、こ~なって、、、大変よね~、
そしたらこんどは、こっちではこんなことがあって、あんなことがあって、、、
世の中って、無常よね~。 
よね~。


============


ここでの引用を、2つとも、女性の作品にしたのは、
少し意図的です。

これは、小林秀雄の受け売りではありますが、




日本語、やまと言葉、やまと魂、、、というのは、
もともとは、庶民や女性の使う言葉であったり、心を表したものであり、
その対極にあるのが、漢文であり唐才であり。


公式な文書、仕事上の文書、など
つまり、

相手にはっきりと意思を伝える時の言葉としては、長く漢文が用い、


そうではなくて、

ひと所に定住し、隣近所の人も、先祖代々、ずーっと付き合いがあって、
だれが何をしたか、何を考えているかも、共通認識として持っていて、


その共感、共同体意識、連帯感、、、
を育むためのコミュニケーションとして使われ、発展してきたのが、日本語



だから、主張も、結論も、特に必要でなく、
今の感覚(現代的感覚、欧米的感覚)からすれば、
ただひたすら、
ダラダラ、ダラダラ、ダラダラ、、、

論理もへったくれもない!

言いたいこと(主張)が先にある訳ではない。

話が滑らかに繋がって繋がって、、、あー、いつの間にか。。。


============


ただし、たとえ日本語を使っていても、
どうしても相手に伝えたいこと、主張がはっきりしている場合には、
ちょっと趣が変わります。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。されば天より人を生ずるには、萬人は萬人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別なく、萬物の靈たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして各安樂に此世を渡らしめ給ふの趣意なり。されども今廣く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、其有樣雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。
(『学問ノススメ』福澤諭吉)
まだまだ、例示が多すぎて読みづらいかもしれませんが、それでもずいぶんわかりやすいと思います。






===================


学校教育を考えてみても、
自分の意見を述べる、相手を説得する、
という経験を積む機会は、残念ながらあまりありません。

英語ですらもが、言いたいこともないのに、
ただ単語の意味を覚える、例文を書き換える、括弧に当てはまる前置詞を覚える、
文脈も前後関係もなく、単なるパズル、またはクイズのようなテストばかりです。

数学なんかも、解法のパターンを教えてる、覚えようとしている。
理科、社会なんて、単なる暗記科目と堕している。。。



===================


それがそのまま
大学生や社会人になって、
『プレゼン』ができなきゃならない!

となって、プレゼンの『仕方』を一生懸命勉強するのです。


プレゼンの仕方を勉強するより前に、
プレゼンしたいことが、本当にあるのかな?

別にないんですよ。
リ○ナビで、片っ端から会社にエントリーして、
面接の仕方もすべて教えてもらって、
そこそこやって、給料もらえればいいや、

そうなれば、適当にパターンをまねして、見栄えだけ調整して、
こんな感じでしょ、と。
そこに独創的なアイディアも生まれるはずはありません。


==================


日本人が英語を勉強するためには、
英語を勉強する前に、

★ ちょっとテンションを上げる

★ 言いたいことを先に考える練習

そういうウォーミングアップを少しやってから、
英語の勉強をしたらいいんじゃないかなと思うんですね。


ということで、何人かの生徒さんと一緒に、
挑戦中です!!




**
あー、だけど、
ぼくは、日本語のような考え方は、貴重だと思いますし、
これから逆に、大切だと思っています。


2013年4月24日水曜日

(家庭学習のヒント) 「小学生の間に、これだけは。。。」 できるお母さん、優しいお母さんへ (特に男の子のお母さん)

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



できるお母さん、優しいお母さんだから
ありえてしまう話なのですが、


自分のことは、自分でチェック!


する習慣をつけてあげてください。


==================


大事な時、忙しい時、心配な時、、、

そうであっても、全部万端に整えてあげたとしても、

最後のチェックだけは、自分で!


==================


近いところでは、学校の勉強。

学年が進むにつれ、やることは複雑になり、処理は大変になるのですが、


★★自分でチェックできるか?★★


という能力が、思いのほか重要。

何はなくとも、セルフチェックの能力だ、とさえ、ぼくは言いたいくらいです。


▼ 計算間違いが多い

▼ ケアレスミスが多い

▼ 処理に時間がかかる


前2つは、そのままではありますが、最後の【処理時間】についても、

チェック能力の優劣が大きく左右します。


できる子をよく観察していると、、、
決してすべてが正確にできているわけではないのです。


ただ、【だいたい】であたりをつけてから、
チェック能力を使って、帳尻を合わせている、
そんなケースが大変多いのです。


最も単純に、計算問題を例に挙げると、

○ できる子は、1行進む間に、細かく行きつ戻りつしながら、チェックを入れています。

   始めから正解を書きに行っていない、だいたいのところで、あたりをつけるだけですので、
   非常に処理が高速で、正確です。

× ミスが多い子は、後戻りはしません。

   後は野となれ山となれ!


できる子も、ミスをしていないわけではないのですが、自分で自分のミスを回収できているのです。


英語についても同様。

三単現のsであったり、時制の一致、冠詞や単数複数。


何をするときに、何をチェックしなければならないかを、わかって、
チェック前提で進めている子と、
丸暗記の記憶を頼りにやっている子で、
速度も精度も、圧倒的な差になってしまいます。



間違っても良いんだよ、チェックして直せれば!!



==================



10年後の未来の話。


仕事ということになると、そのほとんどが実質チェックに費やされるのではないでしょうか。
(ぼくの個人的な感想)


チェックしてないものは、それがチェックされるまではまったく無価値。


ノーチェックもしくは、ほとんど機能しないいい加減なチェックをしただけで、
上司に提出しちゃったら、、、
それだけでもう、、、、できない奴。
ってなっちゃいますよね。


その辺が結局、就職活動において、学歴を評価する理由だと思うんですね。
(* 他に見るべきものもないし。。。)


目標に到達するために、

★ 何を

★ どのくらいの精度で

★ どのように

チェックすればいいのか、

経験がない子は、本当にわからないのです。

そもそも、その必要性、重要性すら、知らないのです。



==================


20年後の未来の話


結局、人間がわかることなんて、限度があります。


現代は、そしておそらく20年後においても、

(それが正しいかどうかは別として)、

必要なチェックをしていれば、失敗してもOK!


人智の及ぶ範囲で、

× 昔からそうしている

× 先輩社員がそうやっていた

人智の及ぶ範囲で、チェックが掛けられていれば、
必要以上の責任を問われることはありません。


それをわかっていれば、
どんどんチャレンジもしやすくなるのです。


1つ1つのチャレンジには、成功も失敗もあるでしょうが、
継続的にそれらをチェックし続けていくことができれば、
1つ1つの失敗を、それほど気に病むこともありません。

なるほど、そうか、勉強になった!



子どもたちの暮らす未来が、
少しでも居心地のいい社会であるためには、
失敗する自由が必要だと思います。


その自由を確保するためには、
セルフチェック能力は、何よりも必要となるのです。



今、今、のことを考えれば、
お母さんがやっちゃった方が、間違いなく速いですし、うまくいきます。


そこを何とか、忍の一字で堪えて、
自分でチェックする習慣を、早いうちからつけてあげてください。





2013年4月22日月曜日

子どもたちに夢を語れるおっさんになろう! もしくは、バカな大人で良いと思う。

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


ぼくは、変に潔癖なところがあって、
(自分が有利な) 不平等な土俵で戦うのは、
あまり好きではありません。

したがって、、、
子どもたちに何か教えるにしても、
できるだけこちらが、『既に知っている』
というスタンスは取りたくない。

ましてや、答えを持っていて、それを見ながら
○付けだけするなんて、、、

不公平だ!

と思うわけです。



結果として、、、
ぼくが間違えて、生徒さんの方が正解ってことは、少なくないのですが、(恥)
それで自信を持ってもらえばいいと思いますし、
何よりフェアな姿勢は、気に入ってもらえているもんだと思っています。


=========


で、おとな(親)は、よく言うんですよね。

将来何になりたい? 夢は何だ?


会社では、偉そうな人がいうんですね。

夢を持たなきゃダメだ!!

最近の若者は、、、、




=========


そんなん無理ですよ。 (もしくは、大した意味ないですよ)

って、ぼくは昔から思うんです。

大した知識も経験もない、もちろんだから夢が持てるということはあっていいと思いますが、

若ければ、誰でも夢を持つべきだ!

なんて、おとなの勝手な押し付けじゃないかな?って。




=========


だったら、経験豊富なおとな、
それも、会社からお払い箱になる前の、現役バリバリの大人たちが、
もっと自分の夢にチャレンジすべきじゃないかな、

経験があるから見えてくる夢ってのが、あると思うんです。



【どやっ】 と。




=========


先日、友人から教えてもらった記事。


日本のソフトエンジニアの足を引っ張るもの—謙虚さ、慎重な母親の存在・・・ - Japan Real Time - WSJ


日本は、チャレンジしにくい環境にあるそうですね。



=========


最近会った別の友人は言いました。

『今会社を辞めるのは、会社にとって痛手かもしれないけれど、
 後輩をしっかり育てて、席を譲ることが役目だと思う。
 そして、自分のやりたいことを始めたい』


まあ、アメリカの会社なんですけどね。



日本の会社って、そんなに居心地いいのでしょうか。。。
上の記事によると、決して居心地が良いというわけでもなさそうなのですが。。。



=========


経験を積んだ40代、50代がどんどん会社を離れて、可能性に挑戦する。
そこで新しい雇用も生まれるし、旧会社側も人材が育つ。
20代の起業よりも、60過ぎてからの起業よりも、


【今でしょ!】



ぼくが最初に勤めた会社、2番目に勤めた会社、
いずれも、優秀な人ほど辞めていくという文化(?)がありました。
そして、その優秀な人たちは、その後もご活躍。



経験を積んで、実績もある、信用もある、お金もある、
家族もある、責任もある、
そんな40代、50代が起業する形が、日本の現状に合ってるんじゃないかな、



そして、スポーツ選手だけでなく、いろんな人が夢に向かって
チャレンジする姿を見せてあげることが、
子どもたちの勇気に繋がっていく。





「家族を守っていくことが、私の役目」
という人は、ぼくの友達にもたくさんいます。
でもでも、本当に長い目で見て、チャレンジする勇気、失敗する姿、
そこから何とか立て直す底力。。。
最悪、「バカなことやっちゃって。。。」
を見せてあげられる方が、子どもたちに力を与えるんじゃないかな。

面と向かうだけじゃなく、背中を見せる、生き様を見せる、
そういう接し方もあるはずです。

面と向かい合うだけでは、時として子どもの成長を妨げる、
自分が妨害する可能性だって、実は実は、あると思いませんか?



ぼくの知る限りでしかありませんが、、、
40代、50代の起業って、そんなにひどい失敗はしませんよ。




と、ぼくは思うわけです。


教育で起業されたい方へ

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


「教育関連で起業したい!」

「今の教育を変えなければならない!」


そういった、大学生や若手社会人の方から

「話を聞きたい!」

という形で、ぼちぼちとお問い合わせがあります。


===========


「お話を!」 と言われても、ぼくごときは困っちゃうのですが(笑)、

別に、起業とか、改革とか、かっこいいものではありませんよ。



===========


たしかに、現在の教育システムには多くの問題点があるでしょう。

少し新聞や書籍を読めば、そこまでしなくてもテレビを見れば、

多くの方々が、指摘されています。

★ もっと英語教育に力を入れろ

★ いや、国語こそちゃんとしなければ

★ 算数、数学を通じて論理的思考を磨くことが必要です

★ 受験システムを変える必要があります

★ 学校の先生は忙しすぎるので、もっと事務処理を軽減しなければならない

★ 学校の先生は守られ過ぎているので、少し市場原理を入れるべきだ

★ これから大事なのは、リーダー教育だ

★ クリエイティブな人間を育てなければ

★ インターネットやタブレットを使った教育が必要だ

・・・


===========


ただ、申し訳ないのですが、、、

9割以上の人たちは、、、やめた方が良いんじゃないの。

という結果になってしまいます。。。


===========


いいんですよ!別に!!

ぼくごときが、何か言ったところで、やる人はやる訳だし、

やらない人は、たとえぼくが背中を押していたとしてもやらないでしょうから。


===========


ただ、なんで『やめといた方がいいんじゃない?』というのか。

別に、意地悪したい訳ではまったくないんですよ。

むしろ、ぼくなんかが今仕事ができている状況というのは、

大変な危機だと思っています。


ただ当たり前のことを、当たり前に、丁寧にやってるだけのことが、

それほど欠乏される現状ってどうなんだ? と、思うわけです。


だけども敢えて、否定的に言わせてもらっているのは、

主に次の点からです。


★1 十分な資金はあるの?

★2 十分な経験は積んできたの?

★3 他にやりたいことはやり尽くしたの?


===========


★1 十分な資金はあるの?

   元手がなくても、簡単に始められる仕事
   って捉えている人が、多すぎない?

   たしかに、設備投資なんてほとんど要りませんし、
   家庭教師から始めれば、元手0でいいかもしれません。

   しかし、一貫して質の高いサービスを提供していくとなると、

   【少なくとも5年間くらい、ろくに収入なくても困らない】

   だけの資金はあった方がいいと思うのです。

   そうでないと、目先のお金のために、小細工をしなければならなくなりますし、
   それに使う、時間や神経(頭)は、本来は子どもたちに向けられるべきもの。

   やりたい形があって、それにチャレンジするのであれば、
   そのくらいの準備がないと、その本人もですが、生徒さんにも
   結果的に迷惑がかかってしまうことになります。


   
★2 十分な経験は積んできたの?

   まあこれは、どういう子を対象に、何を提供するかによるのですが、、、

   ・ 学校という社会しか知らない

   ・ 子ども相手に、学校の勉強教えるくらい何とかなるだろう

   そんな雰囲気が、ないでもない。

   そんなんでいいの?


★3 他にやりたいことはやり尽くしたの?

   1,2に通じることであり、もしかしたらもっと根本かもしれませんが、

   教えるという仕事は、あくまで黒子であると、ぼくは思います。

   有名予備校教師のように、芸を磨いて自己実現するような形が

   目につきますが、自己実現なら他でやれば? とぼくは思います。


   少なくともぼくが親ならば、

   社会である一定の役割を果たし、いろいろな経験をして、

   いろいろな人たちを見て、いろいろ考えた上で、

   最後にここに行き着いた、というような人に、

   自分の子どもは預けたいと思います。

   一通りの経験を経て、ある程度自分の欲望なり弱さに気づいて、ある程度抑制できること。

   私生活が安定していること。



===========


さて、人に偉そうに言っておいて、自分はどうなの?


20代、30代のころ、まあたくさん仕事をしたと思うし、

だからまあ、お金もたくさんあったし、

海外も国内も、まあいろいろなところに行ったと思うし、

今、それほど無理せず、純粋に子どもたちのことを考えられていると思うし、

まあまあかなと思います。



結局は、、、今の仕事、もっとできることあるんじゃない?

今を一生懸命やった方が良いんじゃない?


てな結論なことが多いわけです。


2013年4月18日木曜日

ふるさとは遠きにありて


ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
(『小景異情(その二)』室生犀星)

金沢出身の室生犀星の詩です。
金沢の犀川のほとりで生まれた犀星には、故郷を愛した次のような詩もあります。



美しき川は流れたり
そのほとりに我はすみぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本の情けと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり
(『犀川』室生犀星)



ぼくも、毎日この川を越えて、学校に通っていました。

2013年4月16日火曜日

苦手を作ろう! 苦手を大切に育てよう!

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



世間一般では、『苦手科目を克服しよう!』
というのだと思います。


でもぼくは、反対のことを思います。
むしろ、苦手を設けて、大切に育てた方が良いのではないかと。


こういうところが、親譲りなんだろうなと思うのです。
世間一般に「正しい」とされていること。
でも、心のフィルターをできるだけ取り去って、
目の前で起こっている事をよく観察し、
それを出発点として考えていくと、
しょっちゅうこういうことにぶち当たるのです。

============


どうしてぼくが、『苦手はあった方が良い』と思うかというと、

当たり前の話ですが、

☆ 人間誰しも苦手はあるもの

☆ 苦手がない人なんていない

というごくごく普通の話です。


もう少し言うと、

ぼくが見て、「素敵な大人だな」と思う人たちはみな、

しっかりと!? 苦手を持っていて、

かつ、それと上手に付き合えているなと思うのです。



逆に言えば、何かちぐはぐになってしまっている時って、

その『苦手』を認められなかったり、

どう対処していいか、わからない時ではないでしょうか。




だから、苦手は克服しては ダメ なんです。




============


自分を正当化するわけではありませんが(笑)、

ぼくは、苦手なものが、まあ人並みにはあると思います。


★ 決まり切ったことを、決まり切ったようにやること

★ 息をつめてやるような、細かな作業

★ 楽して儲けること(笑)

などなど。


いくら練習しても、これら苦手なものが得意になったことは、

少なくともぼくはありません。


だけど、苦手なことの方が、むしろ慎重に、丁寧に、時間を掛けて、余裕を持って

やるもんだから、むしろ出来は良かったり、

得意だと思っている事で、大きな失敗をしでかしたり、、、


だから別に、それが苦手でも得意でも、まあどうでもいいわけです。





好きか嫌いか?  得意か苦手か?


勉強において、そんなことを言い過ぎるのは、良くない傾向だと思います。


別に、好きでも嫌いでも、得意でも苦手でもいいんです。


△ 好きなら好きなりに、

▼ 嫌いなら嫌いなりに、

○ 得意なら得意なりに、

● 苦手なら苦手なりに、


付き合う術を知っている方が、よほど大きな財産じゃないかな、って思うんです。




============


だから最近ぼくは、生徒さんたちにも積極的に、

それぞれの苦手を認めてあげるようにしています。

それを認識したうえで、じゃあどうする? そこからどうする?



それが、その子その子の【個性】に育っていって欲しいと。



【個性】って、

服を着替えるように、髪の色を変えるように、

上からくっつけるものじゃなくて、

本人は、嫌で嫌で仕方がないんだけど、認めざるを得ない。


そういうもんじゃないかなって思うんです。




2013年4月15日月曜日

早期教育、先取り勉強について、ぼくの考えること

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



とにかく、どこどこの学校に入れてしまえばいい!
今度のテストで、点を取ればいい!

そういうスタイルじゃないので、いろいろ思うところあります。
特に、早期教育について。


==================


★★ 早期教育によって、失われるもの ★★

って、あるんじゃないかと、ぼくは思うのです。

これは、ぼくの非常に個人的な経験から来ているのですが。



☆ 字を覚える前の子どもって、何でも丸覚えする!!


字を覚える前の子どもに、毎日本の読み聞かせをしていると、

その子はいつの間にか、その本を完全に覚えてしまいます。

字が読めないくせに、完璧なタイミングでページをめくりながら、

傍目には、さも読んでいるように見える時があります。

5,6歳になると、200~300字程度のお話し(登場人物は、5,6人)

であっても、一度普通の速さで読んで聞かせるだけで、

誰がどうした、その時誰はどうした、、、、

完璧に答えることができます。


===

ところが、、、同じ子が1年ほどして、字を覚えると、、、

これが、まったくできなくなるんですね。

あら不思議。



===================


聞いたまんまを、丸々覚えてしまう!

そういう能力は、字を覚える前でないと、育ちきらないんじゃないかな?

って思うんです。



話を聞いて、頭の中にイメージを作り上げて、

そのイメージをそのまま記憶する


その能力を一番伸ばせるのは、字を覚える前なんじゃないか、

だからこそ、字を教える前に十分にしておくべきことがある、と思うのです。


===================


その子の【今】をよく見て、

その子の【今】、一番伸びる能力を、目いっぱい伸ばしてあげる

それが、早期教育のあるべき姿だともうのですが、

どうしても大人(親)って、欲が深くて(笑)、


これができたら、次これもできるんじゃないか?

次はこれ、次はこれ、、、



===================


ぼくがもし、未就学児を見ることになったら (青山プレップスクールの最年少は5歳ですが)

一番好きなことを、ひたすら、ひたすら、ひたすら、繰り返します。

そのひたすらの繰り返しの中で、目には見えない、数値では測れない、

『何か』 ができあがっていく

* だから、子どもは誰でも、同じものを繰り返すのが好き


(実験データなどで示せないのが、つらいところですが)




とまあ、世に一般的に言う、早期教育とは、違うんだろうな。。。


商材ありきじゃなくて、観察からスタートして、

我慢して、我慢して、、、

まあ、おじいちゃん、おばあちゃんが相手できると、一番いいんだろうな、

と思います。



2013年4月10日水曜日

勉強する人に未来が開けるのではなく、未来を知っている人が勉強する

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


最近人気の高かった、【時間の使い方】についての記事


===============

まあ、そうは言っても、
なかなか哀しい現実もあるのです。


みんながみんな、
ピピッとわかって、
パパッと、行動に移せる
ってわけではないってことです。


できる子はすぐできるし(最初からできている?)、
できない子はなかなかできない。


変わる子ももちろんいるけれど、
たいていはある程度長い時間を共有し、
じっくりじっくりとと変わっていく。


================


ここにひと束の稲穂があります。

これを食べれば、何食か分のお腹を満たすことは出来るでしょう。

一方では、この米を地面に蒔いて、水の世話、雑草の手入れ、

天候の心配、病害虫の心配。。。をする人もいます。


-------------------------

今食べてしまう人から見れば、地面に米を捨てている人は、
なんとバカなことをやっていると思うでしょう。

・ もっと今を楽しめよ!
・ こんなにうまそうなのに、食べないなんてもったいない!
・ 明日のことは、明日考えればいいんだよ

片や農業をする人から見れば、

・ あとで、100倍、1000倍になってかえってくるのに、
  今食べちゃうなんてもったいない


====================


両者の違いは何でしょう。

結局は、見ている世界が違う。

もちろん、今をないがしろにしろと言うつもりは毛頭ありませんが、

100倍、1000倍になるところのイメージを

しっかり描けるようにしてあげることが、

『○○算の解法』を教えることよりも、

それこそ100倍、1000倍大切なことなのだと思います。







2013年4月5日金曜日

≪うそっこニュース≫ 文部省が、【勉強時間制限】を設けることを検討中。

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


==≪うそっこニュース≫==

  文部省は5日、小学生から高校生までの児童・生徒を対象に、年齢別に勉強時間制限を設けることを検討中であることを発表した。

  これは、過度な勉強が青少年の肉体面および、精神面への影響を考慮したものであり、「現在起きているさまざまな教育も問題の抜本的解決となる」 と、同省は意気込む。

勉強過多の弊害

▼ 日本人児童・生徒の勉強時間がクレージーであると、アメリカさんが指摘

▼ 生徒に学力差が出ると、教えるコストが高くなる

▼ 脳は消耗品
   特に、成長段階の脳を酷使することは単なる暴力であり、
   大切な子どもの将来を奪うことにつながる

▼ いわゆる有名大学において、合格後に目標を失い、うつ病を発症する学生が多発

▼ 過去に、中学・高校時代に、過度に勉強した子どもたちは、
   その後、無責任な言動を繰り返し政治を混乱させ、
   歪んだ精神は金銭欲・権力欲を増長し、、
   営利追求・権力闘争のために、国土や日本国民全体の利益を損ねている

▼ 「いじめ」問題も、勉強過多によるストレスの増大が原因と考えられる

▼ 「体罰」を受けても耐えられないのは、勉強過多による体力の衰弱が一因

▼ シエスタできないようでは、グローバル社会に取り残される



  ○○大学の□□教授は、「勉強時間制限を設けるだけでなく、指導者の管理も徹底し、より安全・快適な学習環境の整備に力を入れるべきである」と、述べている。



==≪うそっこニュース:おわり≫==


何でも禁止、何でも規制、何でも管理

でもそれって何のため? 誰のため?



第85回選抜高校野球

済美高校の安楽投手から端を発した議論ですが、

◆ 子どもたちのために、球数制限をすべき

□ そんなの個人の自由だろ


みなさまは、どうお考えですか。


ぼくは、まず一括ルールには絶対反対です。
それは、前述のうそっこニュースを読めば、そのおかしさがわかるのではないかなと。

◆ 練習でもっとやってるんだから、試合だけ制限しても意味がない

◆ 害があるというのなら、他にもいくらでも害があるものはある
   それらをすべて排除して、まったく安全・快適にすることが、本当に教育なのか?

◆ 練習量にまで制限を設けるとすれば、いったい何を称賛すべきなのか?
   ・ 持って生まれた才能?
   ・ 運の良さ?
   ・ 選手層の厚さ?


□ 本人がやるといえば、それでいいのか?
   そんなの、やるというに決まっている。

□ 投手が投げたいと思っても、他の選手もいる、控えの選手もいる。
   ひとりの選手の意思だけで決められるはずがない。

□ 選手を「商品」のように考えている監督・コーチ・学校が皆無とはいえない。
   そうでないとしても、人生は高校野球だけではないし、野球だけでもない。



勝負事なので、結果はどうなるかわかりません。

また、今うまく行ったことが、長い将来災いをもたらすこともいくらでもあります。
この世は無常です。

だからこそ、長く長く、ひとりひとりと真剣に付き合って、
良い時も、悪い時も、ずっと見守り続けられる周囲の人間
(相手が子どもたちの場合は、主に大人)
の役割が大切になるのだと思います。





2013年4月4日木曜日

第4の時間が発見されました!= 時間の上手な使い方 = まずは時間の分類をするところから。

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。



話をどこから始めるか、迷うところですが、
いろいろ割愛して、


結局、(大人も子どもも) どんな人にとっても、

時間の使い方って、一番大事でしょ。


というところはOKとして、以下続けます。


==============


で、

ぼくは時間をざっくり以下のように分類しているよ、
という話を、高校生たちにしています。

いつの頃から、どうしてそう考えるようになったのかわからないのですが、
ぼくは時間を3種類に分類しています。

(*たぶん、お金の使い方か何かをヒントにしたんでしょうね)


==過去===現在===未来==>

1。現在のための時間
   生きるためであったり、今を精一杯楽しんだり、目前のことに対処する時間
   例)
   ・ 睡眠、食事、排泄、風呂、休息、、
   ・ 掃除、洗濯、、、
   ・ スポーツ、楽しむための読書、趣味、、、
   ・ 必要に迫られた仕事、勉強


2。過去のための時間
   過去の自分が積み残してしまったことに対処するための時間
   例)
   ・ 昨日やっておくべきだった、昨日時点の現在の時間

   ・ テスト直前の一夜漬け勉強
   ・ 過去のミスを取り戻すための時間
   ・ 過去のことで叱責をされたり、クヨクヨしたりしている時間


3。未来のための時間
   将来の自分のための時間

   例)
   ・ 自分の価値を高めるための、広い意味での勉強
   ・ 将来の危機に対する準備
   ・ 自分の方向性を確認し、決断するために思考する時間

   ・ (異世代など)、未知の人と、未知の話題
   ・ 興味のない事柄の本を読んでみる
   ・ 古典を読んでみる



========================

で、ぼくの周りを見ているとわかるのが、
大人でも子どもでも、この配分が大事だなってこと。

☆ うまくいってる人って、
   過去の時間が少なくて、
   現在の時間が十分取りつつ、
   将来の時間をしっかり確保している。
   そもそも、その境界がかなりあいまい。
   現在を楽しんでいる時間が、将来のためにもなっていて、
   将来のためにやっている事が、過去の修正にもなっている、などなど。


★ なんだかうまくいっていない人って、
   過去の時間が溜まっているはずなのに、
   現在の時間しか使っていなくて、
   将来の時間なんてまったくない。
   そもそも、過去の時間と現在の時間と将来の時間が、
   まったくバラバラで連動しない。

★ 追記
   未来のための時間ぱかりを使ってる場合も見受けられますね。
   まじめな人に多いのかも。
   『○○のための勉強』っての。
   それが達成された時、またはダメだとわかった(本人が思った)時に、
   なんか変なことになりますね。


=========================


高校生たちにも、ある一日を取り上げて、
それぞれの時間が、どの時間に分類され、
自分がどういう時間配分をしているのか、
時々考えてもらいます。


なかなか10代で、長い時間を考えることは難しいです。
それは、自分を顧みてもよくわかる。
だけど、時々は、そういうことを考えていいんだよ。
特にこれから先は、不透明。
大人の言うことなんて、話半分でしか聞いちゃだめだと、ぼくは思います。
(* 赤字国債や、年金、健康保険料などを、全部背負わせちゃうんです)



=========================


で、そんな中で発見されたのが、第4の時間。

4。何にも覚えてない時間

使途不明時間www


=========================

4。の時間を、極力なくそう。

2。の時間を、可及的速やかに減らそう。
   そのためには、可視化が有効だね。

1。の時間は、大切。

だけど、
3。の時間を、1〜3割ほどは取るようにしよう。



まあ、内容的には20代社会人なんかに、一番はまりそうだとは思いますが。



今回は、分析編でしたが、
次回は、アクション編にしたいと思います。


2013年4月1日月曜日

ビッグな、ちっちゃな新入生

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。


この4月で、節目となる6年目を終え、
節目となる7年目に突入することになります。

その節目の年の最後に、ビッグニュースが飛び込んで参りました。


共に同郷(石川県)の出身であり、

また野球出身者(片やスーパースターで、片やへっぽこ)

さまざまな縁が繋がって繋がって、、、



個人情報ですので詳細には申し上げられませんが、

新しい臨時講師を迎えることになり、

またその方のお子さまが、ご入塾されることになりました。

当塾始まって以来最年少記録です。

0歳です!


□ 言語(国語=日本語)

□ 算数パズル

等を通じて、まずは基礎的な論理的思考を身につけるところから。

10歳までに論理的思考の基礎を固め、

それ以降は、論理的思考を卒業し、総合的思考を身につけ

将来日本を背負って立つ、4番に育ててまいります。


ますます20年後が楽しみになってまいりました。



2013年4月1日

東京の大学で英語でディベートしてそうな部 潜入調査計画

  今回我々は独自の調査により、駒場の杜に潜むという同胞の棲息を示す確たる証拠を得た。更なる調査を進めるために、特別潜入チームを組織する。数々の難関基準に合格し、最後は適当にクジで選ばれた3名の隊員に、今回の任務を依頼する。 ミッションコード: ZZZ02(寝るな!) ...