野球テレビ観戦と人にものを伝えるということ
日曜日、久しぶりにプロ野球中継をテレビで見て、
往年の名選手たちと一緒に野球を見ていることに感慨。
同時に、大勢の人に伝えることの難しさを思った。
誰に、何を、どういうテンションで伝えるのか。
■ 情報提供やプレーの説明をするスタイル。
熱狂的なファンの中にはほぼ全試合を食い入るように見て、
それについて語り合っている人たちがSNS等でどんどん発信している時代。選手の情報も隅々まで頭に入っている。
解説者やアナウンサーも、そこまでは見ていない。
■ 一緒に応援するスタイル。
日本代表の試合であればともかく、国内の対戦であれば、
どちらかの味方をすれば半分は敵にする。不愉快に感じて声を上げる人もいる。
あまり知らない人にとっては、一緒に盛り上がれたら、楽しいと興味を持ってもらうきっかけになる。
■ データ等を駆使して新しい見方を提示しるスタイル。
たまらん人にはたまらん。
わからん人は、即座に振り落とされる。
■ 選手の心理に迫るNumberスタイル。
盛り上げか、過剰な押し付けか。
■ 古き良き「野球中継」を踏襲するスタイル。
時代を超えた普遍性を追求するオールドファンには、こうでなくっちゃ。新しい人には見向きもされなくなってしまうのか、そうでないのか。
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くだくだと書いたのは、大勢の人に同時に伝える場面では
共通する悩みだろうと。
マスコミに限らず、学校の先生、各種コミュニケーター、各種芸能、各種商業施設。。。
すべてに対応するなんて無理だから、大きなところはコストかけずに流して、
個別にフォローするのが現状の現実解ではないか。
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ところでその日曜日の試合ですが、
野球に興味もないし知らないうちのチビが、
じっと画面に食い入っていました。(延長戦に入ってから)
緊迫した場面では解説者も含めて、無言にならざるをえないし、
野球という素材には、それに応える力がある。
素材派?のぼくとしては、そのように感じました。
ムダに解説を求めずに、素材そのものを読み取ろうとしていたチビもやるじゃん、と思いました。