好奇心は、時間を掛けて育てるもの
読み書き計算、机に向かって宿題をすることなんて、勉強のごくごく一部。大事なのは好奇心を持つこと。
それはそうなのだが、話はそう簡単でもない。
□ 2~5歳くらいの子どもたちの多くが、「好奇心いっぱい」に見える
□ 大人になっても、70歳を過ぎても、好奇心を持ち続けている人もいる
しかし、多くの子どもたち、大人たちも、日常のことで忙殺されているように見える。
好奇心とは、幼少期を除けば、一部の人しか持ちえないものかもしれない。。。どうなんでしょう。
また、好奇心にも大きく2つの方向がある。
A: 興味のあることをとことん掘り下げる
B: 興味のないことに興味を持つ
Aタイプは比較的見受けられるが、Bタイプは珍しい。
しかし、Aタイプの興味の持ち方は、賭けでもある。多様に変化する社会のなかで、たまたま時代の要請と自分の興味がぴったり合うという偶然に賭けなければならない。もちろん止めはしないけれど。
Bタイプの好奇心は、飽きっぽいという弊害はあるものの、自分のなかに多様性を担保し、環境適応能力も鍛えられるので、「何とかなる」確率が上がる。
ところが、これが難しい。
馬を水辺に連れていくことはできても、水を飲ませることはできない。
ずっと力を掛け続けなければならない。
□ まだ知らないことがいっぱいある
□ それを知るとおもしろい
□ その過程では失敗みたいなことはたくさんある
□ それさえも楽しんでしまえばいい
という力をずーっとずーっと与え続けないと、
好奇心というのは、
気がついたらあっという間に萎んだり、偏ったりしてしまう。
力を与え続けることで、加速度を得ることが大事なのだが、
現在位置や速度以上に、加速度を捉えることは、難しい。
まあ、難しいから楽しいのです。