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東京の大学で英語でディベートしてそうな部 潜入調査計画

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今回我々は独自の調査により、駒場の杜に潜むという同胞の棲息を示す確たる証拠を得た。更なる調査を進めるために、特別潜入チームを組織する。数々の難関基準に合格し、最後は適当にクジで選ばれた3名の隊員に、今回の任務を依頼する。

ミッションコード: ZZZ02(寝るな!)隊員コードネーム: U, M, Y (? まさか!? U.M.A.の類いではあるまいな?)潜入決行日時: 2017年某月吉日
【ミッション】
  東京の大学で英語でディベートしてそうな部に潜入し、彼らの生態について聞き取り等、調査を行う。 また、今後の研究のため友好関係を築くこと。 (街でたまたますれ違ったら挨拶できる程度)

【先行調査でわかっていること】
井の頭線、駒場東大前駅付近に生息している生息域は、杜の中である駒場の杜には、かなり危険で飢えている野生生物が存在するかもしれない彼らは毎週●曜日の夜に集会(祭礼のようなものか?)を行っている彼らは元々同胞であったが、長い間特殊な環境で暮らしてきたため、独自の言語(かなり英語に近いらしい)を使用している。英語で通じる。中には一部日本語を解する者もいるかもしれないディベートという独特のコミュニケーション手段を用いている食事は、我々と変わりないが、かつては辞書を食する者もいたらしい趣味は、誰かを言い負かすこと(なのか?)宗教は、論理とレトリック(なのか?)彼氏・彼女がいるかは不明(ディベートが恋人だったりはしないだろう。デートがディベートだったりはするのか?)数年前まで、諸君と同様、中学校に通っていた者もかなりいるらしいどうしてその世界に入り込んでしまったのかは、不明ゆくゆくは、進化するらしい(今何段階目か、どのような形態に進化するかは個体により異なる)
【調査行程】
18:15 井の頭線駒場東大前駅改札にて、□□隊員と合流する(決して遅れぬように。遭難の危険がある)。その後、駒場の杜についても並行調査をしてもらう。カメラを渡す。郷に入っては郷に従え。彼らが普段食しているものを共に食す。帰りは駅まで、□□隊員が同工数旅程ではあるが、万が一に備え、自分たちでも道順を覚えておくこと!木の枝を折ったり(おそらく怒られる)、道々お菓子を撒いておいても無駄である(おそらく野生生物が食べつくす)。
18:50 集会場へ潜入。友好的な態度を示しつつ、聞き取り調査などを行う(英語な…

「仲間でわいわい」「儲かる・得する」以外の”愉しみ” (異世代対話は魅惑のタイムマシン&どこでもドア)

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異世代との対話は、
10年20年前の自分との出会いであり、
10年20年後の自分との出会いである。
それ以上に、ありえなかった未来への扉であるかもしれない。
タイムマシン&どこでもドアの発見です。

だから、その「今現在」に集中して、立場を超えて本気で語り合う。必ずしも居心地の良いものではないけれど、ずっと心に引っかかり続ける。それが、異世代・異文化との対話です。

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世の中が高度に複雑化、専門化している現在。
専門領域が少しでも違えば、お互い何をやっているのかさっぱりわからないとういことは、よくあります。インターネット、SNSの発達などにより、同好の士が集いやすい状況には拍車がかかっています。しかしそれは、「タコツボ化」しやすい環境が整いすぎているとも言えるでしょう。

だからこそ、
自分とは異なるものの見方・考え方、文化、価値観が存在することを知ること。そこからより幅の広い柔軟な発想が生まれ、自分の「勉強」や「お仕事」にも活かすことができる。それが、ぼくの目指す【学び方改革】です。

学びを、「学校」という狭い世界の、限られた「勉強」というものに狭めなければ、
観るもの・聴くもの・出逢う人、何からでも誰からでも、学ぶことができる。ヒントとチャンスが転がっています。

それを実感しやすいのが、自分をアウェーの環境に置いた時。タコツボから足を踏み出した時です。

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ぼくは外で人と会う時、 なるべくアルバイトの学生も連れ出すようにしています。時間に余裕のある時、中学生や高校生を、近所のカフェやギャラリーに連れ出すこともあります。顔と名前を覚えてもらい、自分は何者か、何をしたいのか。ここでは何をやっているのか、どんな歴史があるのか、どんな未来を想像しているのか。雑談だけではもったいないです。
逆に大人の側も、日常に忙殺される中で、自分が何をしているのか、何をしてきたのか、これから何をするのか、子どもにもわかるように話す機会はあまりないのではないかと思います。子どもたちを少し知ることで、家での会話のヒントになったり、これから結婚したり子どもを持つ人たちにとっても勉強になることは多いと思います。商品や企画のヒントが得られるかもしれません。

社会全体としては、いわゆる多様性を認める寛容さを育てること、脱タコツボ化…

一番厳しい評価者にさらされる。

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「いやー、厳しいなあ・・・」

ぼくにとって、一番厳しい評価者は
一人一人の子どもたちです。

子どもたちは、残酷です。容赦がありません。忖度してくれません。辛抱もしてくれません。感情のまま行動し、発言します。仲良くしておけば将来仕事もらえるかも・・・下心もありません。
それに加えて、成長が著しい(変化が大きい)。

一方ぼくも、こういう性格ですので、
媚びたり、ご機嫌を取ったり、その場を単におもしろいと思わせたり、逆に脅したり・・・と、したいとも思わないし、その能力もありません。子どもなんて適当にごまかせるだろうとは思えません。また、他にできることがないから仕方なくこの仕事をしているわけではないと思っていますし、ゼニカネ欲得でやっているわけではないというプライドもあります。10年後20年後に振り返って、「良かったな」と思われるために、今何ができるか?
お互い(!?)、未来のある一人の人間 vs. 一人の人間として。

結果として10年間、毎週毎週、60~100人の厳しい評価者にさらされ続けてきましたがいまだに、「いやー、厳しいなあ・・・」と思うことしばしばです。

いや、厳しい。


アルバイトをしてくれているのも大学生なので、彼らもまた成長段階です。

「覚えたことを話せば良くて、楽で時間を効率よくお金に換えられる」
と思われてしまっては、子どもたちにとっても、ぼくにとっても、そして何よりその学生にとっても、非常によろしくありません。特に、東大なんか行っているわけだから、小さくない割合で社会で責任を担う立場になっていく人たちなので。

授業後に時間があれば、できるだけいろんな話をしながら、今やっていることを正しいとらえ方をすることで、如何に将来にとってプラスになることか。いわゆる先生にならなくても、教える立場、教わる立場になることは、社会で生きていくことそのものであること。そのノウハウを実体験+理論で習得できる機会であること。(賢い人たちなので、概ねわかってくれているかな)


そして、ぼくも必死に彼らについて行くことで、成長させてもらっています。

逆に、子どもたちがいない時間は、
ぼーっとし過ぎかな。。。


そういう意味で、MBAのためのGMAT対策でいらっしゃる社会人の方々は、
みなさん大人なので、話が通じる。
ほっとします。


#写真は、下北沢のギャラリーです

調べてみました。青山プレップの生徒は、要領の良いタイプ?ほんとかな?

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学びを遊びに、学びを遊びに。
20年後の未来のために、新・碧山プレップスクールです。

大人向けビジネス雑誌PRESIDENTの中におもしろい特集があったので、ちょっと調べてみました。

『なぜやる気が長続きしないのか?性格タイプ別試験の結果を最大化する法』

A: 「完璧主義」タイプ
B: 「要領がいい」タイプ
C: 「自己中心」タイプ
D: 「指示待ち」タイプ

今週来た子全員に、ここにあるYes-Noチャートで診断してもらいました。

結果は・・・
A: 20%
B: 60%
C: 12%
D:  8%

圧倒的に、B(要領がいいタイプ)
ほんとかな?
ぼく自身が、要領のことばかり子どものころに考えていたので、本当はあまりお勧めしないんだけどな。。。


その後、みんなにそれぞれのタイプのページを読んでもらいました。
□ 思い当たる節があるかな?
□ だったら、どういう対策があるかな?

めっちゃ当てはまる!という子もいれば、そうかな?という子も。
ただ、おおむねは、あてはまるというか、
とても簡単な診断なので、血液型占い程度だとは思います。

それでも、自分にとって参考になることがあればOK!


「わかったつもりになっている」なんてことは、誰でもあること。
ぼくが生徒さんたちに話していることのほとんどは、
「わかったつもり」→「もう少し深くわかる」
とすること。

自覚を持ってもらうためには、良いきっかけだったかなと思います。





久しぶりに(10年で3人目)ご遠慮いただくことにしました。

学びを遊びに、遊びを学びに。
20年後の未来のために、新・碧山Fプレップスクールです。


「アルバイトの面接が変だ」
変わったことを聞いているつもりはないのですが、
時々言われてしまいます。
軽く食事をしながら、20歳以上で好きであれば、軽くお酒も。
そして、ほぼ雑談をします。
学校でやっていること、将来展望、身の回りのこと、社会のこと、
その子に合せて、スポーツの話題になったり、文学の話になったり、
科学の話になったり、映画の話になったり、ゾンビの話になったり・・・
ぼくは、相手の人となりを知りたいと思っているだけで、 人を選抜する気持ちがありません。 だから、落とすための面接ではありません。 ほとんどは、友達や先輩からの紹介ということもありますが、
どの生徒さん、どんな生徒さんと相性がよさそうかな?と
それだけを考えたいので、
緊張していたり、覚えてきたことを話されても困るのです。

それは生徒さんの最初の面談でも同じ。
ぼくには、人を選抜する気持ちがありません。
いろいろな子がやってきますが、
それぞれの良いところがあり、欠点もあり、性格もあり、気分もあります。
そして、その子を成長させるためには、
そういうものをうまく使っていかなければならないと思います。

アルバイトの大学生も、20歳そこそこ。
まだまだ何者でもありません。
いろいろな性格がお互いに刺激し合って、
10年後、20年後、それぞれ成長して、幸せになってもらうために、
ここで、さまざまな学びを経験してもらう。
それが、ぼくがやっていることの意義じゃないかなと、
がんばって思っています。


だから今回はかなり悩ましく思いました。
プライドが高いことは良いこと。
だけど、自分の都合・主観だけを声高に主張して、
他人に迷惑を掛けている認識がない。決して謝れない。
挙げ句の果てには人のせいにする。

友達だったり、お金をもらう側だったら、 それでも付き合っていくしかないケースはありますが、 お金を払う側、生徒さんに対して責任を持っている立場としては、 やっぱり難しいかな。。。(飲みに行くのはOKです)
これからどうするんだろう? まあ、そういう子に限って権力には従順だったりするから、 心配するほどでもないかな?

”教育”は免罪符。(または愛があれば許される論)

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学びを遊びに、遊びを学びに。
20年後の未来のために、新・碧山プレップスクールです。


「教育目的でやった」

といえば、一般レベルでいえばたいてい許される。

そう、何でも学びであり、教育なのです。

◆ バカなことをすれば往復ビンタをされる
◆ 自分が体罰で育った人は暴力を肯定しやすい
◆ やる気も才能も無いガキどもをリードして何かをさせるって本当に大変
◆ 目的が正しい、愛があるといえば、すべてが許されると思っている人が結構いる
◆ 法律違反だからダメ、っていう人が結構いる
◆ 専門家じゃないからいいんだ、という人も結構いる
◆ 「俺ファースト」はある意味うらやましいなあ


ぼくたちは、何を学び、どこへ向かうのだろう。


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そう、すべては教育のため。
● ふざけたやつは、殴れば済むのか?
● 殴られないと人は学ばないのか?
● 法律に書いてあるからダメなのか?

そんな単純ではないと思います。
そして、ぼく自信にはほとんど、「自分がこうしたい」というものを
持たないようにしています。
あくまでも、その子の未来にとって、最適なものを提供できるか、
それを考え始めたら精一杯です。


ある言動が、相手に対してどのような影響を、短期的・中長期的に与えるのか。
自分の限界まで、リアルタイムで考えて子どもたちと接するようにしています。
10人いれば、10人の受け取り方がある。
1人の子でも、その日の気分やちょっとしたことで反応がまったく異なる場合がある。
(だから当然、大教室でたくさんの子どもたちにいっぺんに、とかは無理)

あらゆる選択肢の中で、自分が今行おうとしている言動が、
長期的に最適なのか?
それはもう、ぎりぎりの判断です。
殴って済むならば、そんな楽なことはない。
でもそれが、あらゆる選択肢の中で最適と言えるのか?
単に自分が「ムカついて」いるだけではないだろうか?

「ダメなことはダメ」と機械的に判断すれば良いのか?
それが本当に最適解と言えるのか?
単なる責任逃れと言えないだろうか?


例えば手段として暴力を使うことは、
自分の生い立ちや価値観から考えて、ないと思うけれど、
可能性としては、ある。
だけど、それはもう、最後の最後の最後の手段。

そこまでしなくても良い方法が、その手前で必ずあるはずだと
ぼくは思います。


「俺ファースト」に考えればもっと楽なん…

学力格差、モチベーション格差の根っこ

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学びを遊びに、遊びを学びに。
新・碧山Fプレップスクールです。

◆ やる気が起きない
◆ モチベーションが持続しない

子どもたちだけでなく、大人も、
やる気、モチベーションに関する悩みを持っている人が多いように思います。

どうやったらやる気が起きるのか、モチベーションが持続するのか。たくさんの書籍も出ていますし、ぼくもできるだけは目を通すようにしています。

結局は、やる気やモチベーションなんて、表面化した「結果」にすぎず、
それを操作しようというのは間違っているでしょう。
結果ではなく、原因の方に注目すると、
○ 必要性を感じていない
○ ある程度長期間における損得勘定ができていない
○ すっかり忘れてしまっている
など

したがって、よくある方法としては、
○ 目的・目標を明確にする
○ アメとムチ(小さな成功を積み重ねる)
○ 見える化

だけど、もっといえば、
◎ やる気やモチベーションに依存しない方法
を考えることの方が重要だと思います。
いわゆる、「習慣化」というやつ。

そのためには
◎ 例外を設けない
◎ 忙しいとき、疲れているときこそ、少しやってすっきり終わる
むしろ、時間が無いときや、今までだったらやっていないよな、
というときこそ、【チャンス!】と思えるとイイかな。

だんだん中毒になっていくはずです。


だけど、もっといえば、
最初に戻るようですが、目的・目標をもう一度考えてみましょう。
もっと大きなレベルで。

★ 自分は、自分の一生を掛けて、いったい何をやりたいのか?

失敗や、恥ずかしいことも含めて、
一生が、【1つの作品】になるために、今何をすべきか?



小林秀雄の「無常といふ事」にあった
記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。 という言葉を、改めて考えてみるのが良いと思います。



夏休みといえば。。。読書感想文

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田中君、ありがとう。山本さん、ありがとう。斉藤さん、ありがとう。みんな!ありがとう!

あー、この仕事はじめて、良かった!!


どうもー、
学びを遊びに、遊びを学びに、プレップあおやまです。


え、何?
夏休みの宿題の、読書感想文が書けない?
そもそも読んでない?


ふっ、ダメ小学生。


じゃあ、質問です!

チャイロコツグミは、本を読みますか?
ポール・ヴァレリーは、他人の作品を読みましたか?


いい?
ポール・ヴァレリーはむしろ、本を読むことは批評の妨げになるとまで言ったのよ。


読むんじゃない、

書くの。



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(もう限界なので、戻ります)


『読んでいない本について堂々と語る方法』(Pierre Bayard)



タイトルは挑発的ですが、読書に関する1つの明確な考え方を示しています。
読書にも、いろいろあっていい。ぼくの好きな考え方です。

◆ 共有図書館
◆ 内なる書物
◆ 幻影としての書物
などのアイディアで、読書について考えていきます。

そして、「方法」としては
○ 気後れしない
○ 自分の考えを押しつける
○ 本をでっち上げる
○ 自分自身について語る


さあ、今年は読んでいない本について、
できれば、この本について読まずに、

感想文を書いてみましょうか?(笑)



「好き」に理由は必要か?(因果律の限界、または迂闊のすヽめ)

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遊びを学びに、学びを遊びに。新・青山Fプレップスクールです。



「好き」に理由は必要か?「なりたい!」に訳などあるのか?


算数が好き、医者になりたい、建築家になりたい(そのために東大に行きたい)、映画監督になりたい(そのために海外の大学に行きたい)、世界平和に貢献したい・・・

子どもたちは気軽に(うっかりと、迂闊にも)こんなことを言うものです。そんな時、ぼくは「どうして?」とはまず問いません。
「いいね!」「楽しそうだね!」「どんな映画をつくろうか」「それだったら、こういうアイディアがあるんだけど、どう?」・・・
ひとり一人とちゃんと話をする時間が、恵まれている。

「好き」に理由はいらない。
矮小な例で申し訳ないけれども、
ぼくは野球が好きで、ヤクルトが好きで、生き物が好きで、ドラえもんが好きで、スイカが好きで、夏が好きで、歴史が好きで、美しいものが好きで、「本当のこと」を考えることが好きで、仕事が好きで、特に今の仕事は好きで・・・
でもはっきり言って、理由を聞かれると困ってしまう。きれいにカッコよく説明できる理由なんてない。

逆の(ちょっと意地悪な)言い方をすれば、
簡単に理由を挙げられるようなものなんて、本当に好きなのかな?
あの人はかっこいいから、可愛いから、背が高いから、お金持ってそうだから、胸が大きいから、優しいからって、、、本当にその人のこと好きですか?
巨人は強いから好き(ごめんなさい。最近は強くない)な人は、本当に巨人が好きなのでしょうか?


「好き」に理由なんてない。
むしろうっかり、迂闊にも「好き」だと思い込んでしまうところが、人間の人間でしかないところ。
AI が発達しても、そう簡単には「うっかりロボット」は生まれないでしょう。

理由が通用するのは、因果律が成り立つ世界。
それはごく短い時間、限定的な場面だけ(ただし、その中ではよく機能する)。
(『目でピーナッツ噛み機』をご存知でしたらありがたい)
いわゆる論理的思考というやつは、もちろん強力な武器だけど、
それしか武器がなかったら、機械に負けるぞ。
それどころか、欧米にすら勝てないぞ。(別に勝ち負けを競っているわけではないと思うけれど)
武器というものは、その弱点まで把握して使うものだ。
(しかし「迂闊」にも、限界を知らず、または限界がないと思って使うのもまた、人間なのだが)


フィードバックが入って複雑系になると、(人間レベルの)論理的思考は…

「宿題出してほしい」なんて悲しいことを言わないでよお。

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20年後の未来のために
遊びを学びに、学びを遊びに、
新・青山Fプレップスクールです。


ゆ:宿題を出してほしい

ぼ:悲しいことを言うねえ
   どうして宿題出してほしいの?

宿題という形にしたほうが良いこと
□ ここまでやればいいとわかりやすい
□ 宿題はもう終わったと言える

でもね、、、
目先、楽なことを求めて、自由であることを売り飛ばすようなことは、
他のバカな塾に通っているんじゃない、
うちに来て、ぼくと話をしているんだったら、ちょっと悲しいな。

小学生くらいだったら、仕方がないと思うし、
本当に自分でペースを作れない、本当に学習の基礎がない子であれば、
そういう場面もあるけれど、
「ゆ君はそうじゃないじゃない。自分でできるじゃない」

世の中には、むしろ喜んで奴隷になるような人もたくさんいるけれど、
うちで勉強した子にはそうなって欲しくないです。


自分で判断して、自分で行動することは、
◆ 面倒くさい
◆ 難しい
◆ 失敗もあるし、その責任を負わなければならない
だけどその代り、
自分の人生を自分の足で歩んでいける。


「楽」や「得する」しか自分の価値基準がないと、
寂しい人生になってしまうのではないかと、
後々、自分が生きている意味を感じられなくなるのではないかと心配。


一度しかない自分自身の人生は、
(少なくとも主観的には)自分で判断して行動できた方が良い。


新・青山Fプレップスクールは、
学びと遊びの文化創造組織体でありたいです。

哲学と心理と青山プレップスクール(ppAp)

2017年5月18日(木)
今日はゆかしネットワークスLLCの第11回創立記念日です。つまり10年経ちました。

非常に飽きっぽいぼくなので、いまだに変化をし続けております。
願わくばそれが、良い方向であればと。

さて、10年もやっていると、私の指導時間も30,000時間を超えるのですが、
そして青山プレップスクールの場合は、all-comers。来るものを拒まず、
さまざまな経験を得ることができます。

年齢でいえば、下は5歳から上は50歳まで。
指導教科も、いわゆる5教科にとどまらず、またMBAなどの留学支援。
生徒さんたちも、飛び級したほうがいいんじゃない?という子もいれば、
数学年戻ったところからやり直さなければならない子。
興味津々やる気満々の子もいれば、まったくそういう気配の感じられない子もまあいるもので。

そんな経験を通して、
ぼくのやっていること、青山プレップスクールでやっていることの特徴であったり、これからの方向性というものも見えてくるものです。

1.教科の境目なく、さまざまな知識を総合して、
    自分を取り巻く宇宙、世界、環境を理解しようと努めること

2.できるだけその子その子の全体状況(学校、家庭ほか)を把握し、
    状況に合わせた接し方をするとともに、その子自身の
    「自身を見つめる目」を育てていくこと

3.単に知識やテクニックを伝えることよりも、
    同じ目線で同じ方向を向いて、一緒に考えることを通して、
    考えるという行為の空気感を共有し、それを楽しいと感じてもらうこと

1 はつまり、哲学であり(philosophy)
2 はつまり、心理であり(psychology)
3 はこれこそが、青山プレップスクール(Aoyamaprepschool)
だと思っており、これをつなげれば、ppAp。おお流行だ。


外の世界をよく観て、うちの心をよく聴いて、
今日も一緒に楽しく学ぶことができたらと思います。

笑う門に「忖度」来たり。キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

20年後の未来のために、新・青山Fプレップスクールです。

正直「忖度」なんて
面の皮が厚く、声の大きい、やり手の中小企業おっちゃんや政治家、官僚、権力者だけの話だと思っていました。

ぼくのように私利私欲などどうでもよくて、その子その子の目線で考えて、その子その子の将来にとってのベストな今日明日を考える。そんな毎日に忙しく、偉そうなおっさんたちと遊んだり、悪だくみしている暇はない。
そんな人間が、「忖度」されるなんて、夢にも思っていませんでした。


キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!   (← 漢字変換の予測候補でこんなの出るんですね。初めて使った)


無辜の民の声なき声、子どもたちの未来に対する純粋な願いが、忖度されました!
いやー、世の中捨てたもんじゃない。死ぬまで、死ぬ気でがんばる力をもらいました!


このたび忖度してくださったのは、未来の優秀な官僚や法曹人、医師、獣医、薬剤師、ビジネスマン、建築家、映画監督、料理人、自由人。。。などなどのみなさんです。 ぼくの真意に理解を示し、自ら考え、行動する人に、一歩一歩着実に近づいていってくれています。
あとは、この学びの場を継続してくれる人が出てくるといいな。 などと、調子に乗って欲深なことを考えてしまいます。 まあ、それはいい。

2017年4月1日 新・青山Fプレップスクール 井上 泰輔

(MBA GMAT/GRE MATH)大事なことと、大事じゃないことと。(いわゆるSTEM教育にも通じること)

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20年後の未来のために、新・青山Fプレップスクールです。

MBA等留学のための、GMAT/GRE。
その数学の指導をさせていただくようになって以来、
いつも気になって、申し上げていること。

【大事なこと、大事じゃないこと】

うちにいらっしゃるのは、もちろん数学が苦手だ、
もしくは学校時代は嫌いじゃなかったんだけど、
現状少し苦戦されている方々です。

たくさんの方々に指導させていただいた中で、
ほぼ共通して、認識を新たにしていただきたいことがあります。

□ 考えればわかること
□ 考えてもわからないこと

それを、『明確に』区別するということです。

確かに学校のテストや、GMATにしても、
あらゆるパターンを暗記して、点数を取ることはできます。
しかし、その戦略の欠点は、ある一定以上の分量になると、
そして特に社会人の方など、勉強時間が限られている場合に、
「なんとなく」、「うろ覚え」
のまま対応せざるを得ない状況に陥ってしまいがちであること。

日常生活や、簡単な読解力を試すようなテストでしたら、
それで相当程度足りるのですが、
より厳密な議論を重ねている場合には、むしろ欠点の方が大きくなってしまいます。

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最近よの中でもよく語られるようになった、いわゆるSTEM教育。
science, technology, engineering, mathematics
これらが、特にいわゆる「文系」の方にとってこれから大切になると。

根っこは同じところにあると思います。

★ 汎用的な細かな部品を組み合わせると、    ★
★ 想像もつかないようなすごいものができあがる ★
★ ということを、実感として理解しているか   ★

ポイントは、できるだけ汎用的で小さな部品を使うこと。
そうしないと、応用が利きません。
便利な道具は、便利な分だけ適用範囲が狭い。
細かな汎用部品は、それだけでは大したことはないけれど、
組み合わせれば、なんにでもなることができる。


LEGOでいえば、細かな1つ1つの部品。
それが何であるのか、どこに出っぱりや穴があるのか、
それはよく見ておく必要があります。

そして、その部品を丁寧に積み重ねていくこと。
焦ってはいけません。
手順通り正確に組み合わせれば、いろんなものを作ることができいます。

人体、生物、宇宙のあらゆるものも、同様です…

勉強は、自分のペースで進めるという文化

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20年後の未来のために、
新・青山Fプレップスクールです。

その子にとって、最高の教育とは何か?

結果、たどり着いたのは、
勉強は、自分のペースで勝手に進めるもの
という文化を育てることです。

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ぼく自身が中学生だった頃、「勉強は、学校の授業でやるもの」、「テストは、学校の授業をどれだけ理解できているか試すもの」と、思っていました。
だから、「予習や復習はずるいこと」、「テスト勉強はずるいこと」とも、思っていました。(今でも一理あるとは思っていますが、その意地みたいなものはあまり意味がない(笑))

結果としては、、、
わからないところ、できないところが、ドンドン蓄積されていく形となり、
成績は右肩下がり、左肩上がり。

勉強は、特に嫌いではありませんでしたが、もちろん好きではありませんでした。

ただ高校1年の冬だったと思うのですが、「さすがにこれではまずいのではないか」という事態に至ってようやく降参。仲の良くまた勉強のできる友だちに聞いたのです。
「どうやって勉強してるの?」

===========

★ 【勉強は、自分のペースで勝手に進めるもの】
   学校の授業を待つ必要はない。    学校の授業って申し訳ないですが、とてもダラダラしています。    それは、仕組みからして仕方がない。    全員に合わせるわけですから、本当に仕方がないのです。
   でも、公立は悪い。    一人ひとりの頭の中、理解の仕方、進み方は、それぞれ違うのですから。
===========
うちではみんな、「自分の勉強を、自分のペースで進めようね!」としています。

たとえば、中学受験をした小学6年生の多くは、 受験の翌週から、できる限り自分で教科書を読み進めてもらっています。
学校の授業が始まるのを待たなくていい。待つ意味がない。
わかるなら自分で進めてしまっていいですよ、と。
約1カ月経ち、つまり4回ほどの授業で、
通常学校では4カ月ほどかかるところまで来ています。
去年からそういう形で進めた今の中学1年生は、おそらくこの夏か秋には、中学の範囲を終えるでしょう。
2年前からそういう形で進めている子は、もう高校生の内容に入っています。 3年前からこの形でやっている子は、高校の内容(数IIB)まで終わってしまいました。

別に急がせているわけではありません。 できるなら…

受験狂騒に付き合う必要はないのでは。

20年後の未来へGO!
新・青山Fプレップスクールは、20年後の未来のために、
学ぶことの意味を再構築する文化育成事業体です。


ぼくが創業時から目標にしていることは、
【勉強=受験】という概念を崩すこと。

普通に、自分のペースで勉強していれば、
たとえ最難関校の受験であっても対応できます。
そして、それに掛かる時間も費用も、確実に半分以下。


多大な時間と労力とお金をかけて、
必要のないことまで無理やり子どもや保護者に負担を強いる。
どうしてこんなにブラックなことが、現代で通用しているのか?
いったい誰のためなのでしょう。
いわゆる受験産業で働く人たちの雇用、既得権者の保身にしか思えません。


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でももっと大事なことは、子どもたちの将来のこと。

● 教えてもらったことを覚えることが勉強
● 塾に通わないと勉強できない
● 目先の数値的な「結果」だけを求めて、本質的な理解ができない

そんなおとなを、本当にみんなで育てようとしているのでしょうか。


学生アルバイトもしかり。
そこで、自分が既に知っていることを適当にしゃべっていればお金がもらえる。
そんな周りに流されると、単に時給の高いところを目指します。

数百円の差で損得勘定をして、
教える側がちっとも学んでいない。


ぼくが親であれば、絶対にそういうところに子どもを預けたくないと思うのですが。


学ぶとはどういうことか、
そこから一緒に考える人たちと、一緒に成長できる喜び。

学ぶことは本来、人間にとって楽しいことであったと
ぼくは思っています。


言葉の実弾

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やらなければ、やられる。

そんな飲食店の話をさせてください。




2017年1月末日、
外苑前で45年間続けられてきた世界で一つだけのお店が、常連さんたちではちきれんばかり、賑やかに喧しく平常運転の中、幕を下ろしました。最後は感傷的な感じになるのかな?と思っていたのですが、みなさんそんな玉ではありませんでした。

ぼくは今の仕事を始めてから、特にこの3年ほど、3日を空けずと足を運んでおりました。
板さんのおいしい料理はもちろんですが、お店のマスターと常連さんたちが連日繰り広げる丁々発止、慣れないうちは喧嘩かと思うほどだったのですが、いつしかそれがクセになり。
元来口数の少ないぼくは、それでもなんとなく気に入っていただいて、言葉の実弾が飛び交う戦場ような場所で、なんとなく流れ弾を浴びておりました。

30年来、40年来の常連さんたちは、みなさんがそれぞれさまざまな業界の中で実績と肩書のある方々なのですが、お店の中では時間が逆戻りするようです。青年のように口角泡を飛ばして激論を交わし、冗談を言い、罵り合い、じゃれ合っている。また30年40年、人生をともに歩んだお店であったとも言えます。ここにいると、人生のさまざまな思い出が融け合って、1つの時間になっているようでした。時間感覚がおかしくなります。


ぼくの仕事は、子どもたちに言葉を伝えること。


しかし人生経験の少ないぼくには、「仕入れ」が必要です。
映画・音楽・絵画・芸術・芝居・建築・現代アート・デザイン・スポーツ・世界・仕事・経営・科学・オカルト・政治・教育・歴史・文学・恋愛・結婚・家族・・・人とその生き方
ぼくは夜ごと、人生の先輩方が身を切って発している言葉を「仕入れ」ては、
なんとか咀嚼できたエッセンスを
算数や国語、英語、理科、社会などの授業の中に、そっと忍ばせて子どもたちに伝えるのです。

子どもたちにとって「仕入れ」の場であったらいいなと。


45年という年月は、ぼくが生まれて生き来た年月でもあります。

そろそろぼくも、「仕入れ」ではなく、自らが「生産」するしかないのかな。
ちょっと不安です。

なんとなく続いてくれるんじゃないかと、まだ甘えています。