「仲間でわいわい」「儲かる・得する」以外の”愉しみ” (異世代対話は魅惑のタイムマシン&どこでもドア)

異世代との対話は、
10年20年前の自分との出会いであり、
10年20年後の自分との出会いである。
それ以上に、ありえなかった未来への扉であるかもしれない。
タイムマシン&どこでもドアの発見です。

だから、その「今現在」に集中して、立場を超えて本気で語り合う。必ずしも居心地の良いものではないけれど、ずっと心に引っかかり続ける。それが、異世代・異文化との対話です。

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世の中が高度に複雑化、専門化している現在。
専門領域が少しでも違えば、お互い何をやっているのかさっぱりわからないとういことは、よくあります。インターネット、SNSの発達などにより、同好の士が集いやすい状況には拍車がかかっています。しかしそれは、「タコツボ化」しやすい環境が整いすぎているとも言えるでしょう。

だからこそ、
自分とは異なるものの見方・考え方、文化、価値観が存在することを知ること。そこからより幅の広い柔軟な発想が生まれ、自分の「勉強」や「お仕事」にも活かすことができる。それが、ぼくの目指す【学び方改革】です。

学びを、「学校」という狭い世界の、限られた「勉強」というものに狭めなければ、
観るもの・聴くもの・出逢う人、何からでも誰からでも、学ぶことができる。ヒントとチャンスが転がっています。

それを実感しやすいのが、自分をアウェーの環境に置いた時。タコツボから足を踏み出した時です。

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ぼくは外で人と会う時、
なるべくアルバイトの学生も連れ出すようにしています。時間に余裕のある時、中学生や高校生を、近所のカフェやギャラリーに連れ出すこともあります。顔と名前を覚えてもらい、自分は何者か、何をしたいのか。ここでは何をやっているのか、どんな歴史があるのか、どんな未来を想像しているのか。雑談だけではもったいないです。

逆に大人の側も、日常に忙殺される中で、自分が何をしているのか、何をしてきたのか、これから何をするのか、子どもにもわかるように話す機会はあまりないのではないかと思います。子どもたちを少し知ることで、家での会話のヒントになったり、これから結婚したり子どもを持つ人たちにとっても勉強になることは多いと思います。商品や企画のヒントが得られるかもしれません。

社会全体としては、いわゆる多様性を認める寛容さを育てること、脱タコツボ化による新しい製品やサービス、仕事とプライベートと学びの適切なバランス化。想像力に富んだ人材の育成、地域コミュニティの再生、斜めの絆、、、なんか良さそうな言葉はいくらでも並べることができます。


古い友達と昔話に花を咲かせるのも良いと思います。
「あいつどうしてる?」話は盛り上がるでしょう。
会社の同僚で集まって、会社や上司の悪口を言うのも、まあ気晴らしになるでしょう。
同業者が集まって今後の「ビジネス」の下地を作ることも大切なのでしょう。
同好の士が集まって、他人にはまったくわからない話をするのはとても楽しいと思います。


でも、まったくそうではない。
あんまり盛り上がらないかもしれないし、楽しかったかと言われると微妙。
「ビジネス」にはならないでしょう。
そんなところに時々顔を出して見るのは、長い人生・大きな社会を考えた時に、
ちょっとの変化をもたらすかもしれない。
そして、そのちょっとの変化は、バタフライ効果をもたらすかもしれません。
『反脆弱性』(ANTI FRAGILE)です。
(少しの不安定さを許容することで、より大きな安定を得る)


注意事項:
ただ、注意しなければならないこともあります。
お互いがお互いに対して素人であるわけですから、
論理的、建設的な話の進め方ができる必要があります。
また、当然部外者にとっては難しいことがたくさんありますが、
難しい=面倒臭い、諦めるという態度ではなく、
難しい=真剣に考える価値があるからおもしろい!という態度である必要はあると思います。
「答え、正解」を求めている人も合わないと思います。
最低限のセフル・マネジメントも必要です。


#写真は、下北沢のギャラリーです


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