家庭学習習慣じゃなくて、思考習慣 (さがしものは何ですか?)
探し物は何ですか 見つけ難い物ですか
カバンの中も 机の中も 探したけれど 見つからないのに
(『夢の中へ』 井上陽水)
夢の話ではありません。現実のお話し。
子どもは、さがしものが苦手です。
★ 適当に、ちょいちょいと探して ⇒ みつからない
★ 同じところを何度も探して ⇒ みつからない
★ 昔のおもちゃなどをみつけて ⇒ 遊び始める
★ 時間が掛かりすぎて ⇒ 何を探していたのか忘れちゃった
・・・
こっち(おとな)は、だんだんイライラして来て、
ちゃんと探しなさい!
ほら!ここにあるじゃない!!
(怒・怒・怒・・・) (笑)
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しかし、この「ちゃんと探す」、「きちんと探す」
ということを、子どもたちは本当にわかっているでしょうか。
● 「探し方」という方法に注意が払われているか
● 「部分」にわけて世界を認識できているか
● 「順番に」ということが当たり前になっているか
● 「もうそこには絶対にない!」と、確信できるまで、調べ尽くせているか
● 「部分」が思ったより大きかったら、さらに「細かい部分」に分割できるか
● 「前回使った時」などの、記憶を頼りに、「ありえそうな場所」を考えられるか
● 「ありえそうな場所」の優先順位をつけて探せているか
● 「ありえそうもない場所」まで探し始めた方がいいのは、どうなった時か
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カバンの中も 机の中も 探したけれど 見つからないのに
(『夢の中へ』 井上陽水)
夢の話ではありません。現実のお話し。
子どもは、さがしものが苦手です。
★ 適当に、ちょいちょいと探して ⇒ みつからない
★ 同じところを何度も探して ⇒ みつからない
★ 昔のおもちゃなどをみつけて ⇒ 遊び始める
★ 時間が掛かりすぎて ⇒ 何を探していたのか忘れちゃった
・・・
こっち(おとな)は、だんだんイライラして来て、
ちゃんと探しなさい!
ほら!ここにあるじゃない!!
(怒・怒・怒・・・) (笑)
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しかし、この「ちゃんと探す」、「きちんと探す」
ということを、子どもたちは本当にわかっているでしょうか。
● 「探し方」という方法に注意が払われているか
● 「部分」にわけて世界を認識できているか
● 「順番に」ということが当たり前になっているか
● 「もうそこには絶対にない!」と、確信できるまで、調べ尽くせているか
● 「部分」が思ったより大きかったら、さらに「細かい部分」に分割できるか
● 「前回使った時」などの、記憶を頼りに、「ありえそうな場所」を考えられるか
● 「ありえそうな場所」の優先順位をつけて探せているか
● 「ありえそうもない場所」まで探し始めた方がいいのは、どうなった時か
● 途中で「目的」を見失わない
● 普段から、ものの配置には気を配っておく
このように、「さがしもの」とは実は、
かなり高度な知的活動だと、ぼくは思います。
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この「さがしもの」が、ある程度自分でできる子にとって、
算数の文章題は、さして難しいものではありません。
「さがしもの」をしているのと同じことが多いですから。
一方、「ものをさがす」ということが、どういうことなのか、
ぴらっとその辺をめくってみること
だと思っている子は、文章題がだんだん苦手になってきます。
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小学校6年生くらいになると、
うちはみんな個別でやっていますので、おもしろいこと(?)が起こっています。
☆ 一部、高校の範囲すら越えて、大学で学ぶようなことまで、勉強している子
★ 小学校1年生の、数える、数直線、足し算、引き算あたりから、やり直している子
そういう子たちが、同じ学校の同じ教室で、机を並べて、
同じ授業を受けている。
不思議な光景だなと、想像しています。
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これだけの差が、どのようにして生まれるのか。
そのカギは、『家庭での学習習慣』なんて、表面的なものではないと
ぼくには思えるのです。
それよりも、もっと「普段」に近いもの。
ご飯食べてる時、遊んでいる時、お風呂に入っている時、
学校への行き帰りで歩いている時、友達と話している時、家族で話している時、、、
普段何を考えているか、
何が当たり前となっていて、
何は当たり前となっていないか
学びのチャンスは、どこにでも転がっていると思います。
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ひとつ、難しいのは、
子どもが、「それらしいこと」を言っていたとしても、
決して「わかっている」と思ってはならないこと。
2,3歳児でも、「それらしいこと」は言ったりします。
それにこちら側が、だまされるのです。(わかっている、通じていると)
言葉は、その意味がわかっていなくても、平気で使えてしまうもの。
(それについては、いずれ書こうと思います)
その子が、ほんとうは何がわかっていないのか、
それを見極めて、日常の中で、膨大な失敗を繰り返しながら、
学習していく
それがクリアされてしまえば、
国語だの算数だのでやっていることは、それにちょっとだけ毛が生えただけ。
日常生活、家庭というのが、最良の勉強場所である
机に向かって宿題をやることが、勉強ではない
そのように、ぼくは考えています。
。