20年目のリブート(変わらないこと:観察から始めること。変わること:もっと自由に)
今日から、20年目に入りました。
目の前の子ども一人ひとりの将来にとって、本当なことに集中する。
それ以外のいろいろなこと(表面的にできてる風にする、お金の計算、広告宣伝、規模を大きくするとか、名前が売れるとか…)は一切やらない。
と思ってスタートしました。
「18年くらい思いっきりできればいいか」
去年、緊急入院の当日に1日休んだのと、毎年の元日以外は、
毎日毎日、子どもたちと接する時間を大切にしてきました。
【観察から始める】
何も知らないところから塾を始めてしまったので、とにかく観察を続けました。
○ どうしてこの問題ができない/できるんだろう
○ 今の仕草は何を意味しているんだろう
○ 今の発言の背後には、どんな気持ちがあるのだろう
【素直さ、明るさ、賢さ】
私自身がずっと子どもたちの横についていられるわけではありません。
○ 学校で活躍してもらうには
○ テストでいい結果を出してもらうには
○ ピンチに陥ったときに、そこで崩れてしまわないためには
いろいろな考え方があると思いますが、
わたしは、全体としては以下のような空気感を大切にしています。
◆ こだわりは、ないほうがいい
何でも楽しさを見つけられるものです。たいていは、食わず嫌いをしているだけ。
今の「こだわり」なんて、将来ふり返ってみると「どうでもいいこと」だったりします。
少なくとも、自分の可能性にふたをしてしまうほどの価値はないと思います。
人間だからどうしたって、好き嫌いはありますし、やりたくないことはやりたくない。
だけど、その気持ちを乗り越える術を身につけておくと、将来、とんでもなく困ったことにはなりにくい。
そういう準備をしてもらうのが、大人の役割だと、私は思います。
◆ 人の話を聞くこと/自分の意見を言うことは大事
言われたことは、まずはやってみる。こういう子は成長は早いですし、社会に出てからも可愛いがられます。
いろんな個性を認める時代だからこそ、
素直さと明るさと賢さは、できることなら身につけてほしいと思っています。
◆ 「才能」は潰さないこと
才能が何なのかは、正直わかりませんが、
私がいつも自分に言い聞かせていることは、「才能」を潰さないこと。
伸ばすことなんて、烏滸がましいよ。伸ばす方は本人がリスクを取ってがんばれ!
そのらいでないと、「才能」とは呼べないのではないかと。
だから、前述の話とは矛盾するのですが、
「できればこうあってほしい」と思ってそういう空気づくりはしていますが、
押しつけるはできません。
結果的に卒業生たちはみんなデコボコですね。決して、「私の理想像の具現化」ではありませんし、
当然だろうと思っています。
(組織作りとしては弱いですが、組織作りをしてないので、オッケー)
【対話】
将来、何がどうなるかわからないのだから、なるべく柔軟に対応できるように準備をしておく。これは、大人が考えることです。
一方で子どもは、そんな「選択肢を増やす」とかどうでも良くて、
「今これをやりたい!」で突き進んでいます。
どちらかが「正しい」わけではなく、
両方の考えをぶつけ合って、納得し、妥協しながら進めていくことになります。
「対立」ではなく、「対話」がある。
ただこれには少し弊害もあって…
「対話があって、立場は関係なくお互い納得しながら進めるものでしょ、ということが当たり前になり過ぎていると、よそに行ったときに(たとえば、学校や会社)ものすごく違和感がある」と打ち明けてくれた卒業生もいます。
そうですね。
現実にはありますね。
だけど、「ゆかいに、かしこく、しなやかに」の精神でなんとかなると思いますよ。
もう、直接は手が届かなくなった卒業生たちを信じ、これから卒業生になっていく子たちのために、まだまだ私も考えが足りていないところはあるので、もっと自由にならなければ、と思っています。

