一人を育てるチームのメンバーとして (渦中にいるからこそ見えないこともある)
一人を育てるチームのメンバーとして (渦中にいるからこそ見えないこともある)
「孟母三遷」
「かわいい子には旅をさせよ」
「親はなくとも子は育つ」
古来、子育てに関してさまざまなことが言われてきました。
なかには矛盾するものもあり、
「結局、どっちなん?」
情報は増えに増え、いまや百家争鳴。
【非大量生産型+共同型の子育て】
「確立した指導システム」によってテストを繰り返せば一定品質のサービスを低コストで提供できるでしょう。主流はこの流れ。社会全体としてベースラインの底上げには相当効果はあるはずで、大きなレベルで実現してほしいと思います。
一方で、青山プレップスクールでは、人を起点に社会や未来を考えます。
番号を振られた数としての子どもではなく
世界に一人しかいない「この子」の可能性を広げることに特化しています。
ゆかいに、かしこく、しなやかに
1.緊急の対応
2.情報の整理
3.欠けている視点
4.未来への補助線
5.チームとして
面談や、毎回の指導を通じて、
一人を育てるチームの一員として関わっています。
( 「育てる」なんて烏滸がましいという考えは、私自身は強く持っておりますが、
それでも敢えて、「責任の一端をひき受ける」という意味で、この言葉を使っています )
1.緊急の対応
緊急の対応が必要なことがあれば、もちろん最優先です。
それが具体的に何を指すのかは、人それぞれですが、
とにかくそれを片付けないと、落ち着いて未来の話を始めることができません。
2.情報の整理
「⚪︎⚪︎の言うことを真に受けすぎて、振り回されっぱなしでした」
情報が溢れかえっているのは、社会だけではありません。
いえ、むしろまず第一に、子ども本人から発せられるさまざまな情報があります。
(命や健康に関わりそうな訴え、知的発達の過程における疑問、自己を認めてほしい、感情の発露…しかもそれらは混在しているので、判別が難しいこともあります)
子どもを取り巻く現場は、しばしば混乱しています。
誰が、どのような立場から、どのようなことを言っているのか。
その真意はどこにありそうで、どこまでが責任としてカバーされているのか。
情報を1つ1つ書き出して見えるようにして、
分類し、順番をつけ、対応させながら比較していきます。
(これは、子どもたちに「勉強」を教えているときも同じです)
整理すれば、ひとまずの混乱状態からは、いったん落ち着くことができます。
3.欠けている視点
「ちょっと、ホッとしました」
特に、渦中にいると見えないことがあります。
誰も全知全能ではないからこそ、
誰にでも、欠けている視点がある。
「今、欠けている視点はなんだろう?」
見えない要素を、できるだけテーブルに載せたい。
欠けていた視点に気づくだけで、未来の輪郭は変わります。
4.未来への補助線
「とりあえず、ですよね」
親にとっての一つのゴールは、親離れするところ。
「いろいろあるだろうけれど、なんとかなるよね」
どこに行って、どんなものと出会い、どんな人たちに囲まれて暮らしていくのか…
変化していく世の中の荒波のなかを、しっかりと前を向いて漕ぎ出していく後ろ姿を、
どんな気持ちで見つめることになるのでしょう。
私も見つめる側の一人です。
「どうしても困ったときには、この袋を開けるといいよ」と私が渡せるのは、「見方・考え方」です。
同じ現実でも、絶望に見えることもあれば、希望にも見えることもあります。
困ったときは、見方を変えよう、考え方を変えよう。
そしたらほら、勉強のときだってうまくいったでしょ。
そのために、いろんな勉強をし、さまざまなケースを想定したシミュレーションもしてきました。
「全力で人生を楽しんでね!」
***
その日が来ることを、楽しみにし、同時に半ば寂しくも感じながら、
今日は何の勉強をしましょうか。
そこから何を学び取りましょうか。
この子の特性を活かせるような環境選び、スキルの向上、苦手なことへの対処。
想定外の可能性の探索も諦めません。
なるべく広く。
なるべく柔軟に。
決してまっすぐ思い通りに進むわけではないからこそ、
逆に一人一人の「シナリオ」を描きます。
何度も何度も描き直します。
シナリオ通りでないからよくないわけではなく、
変わり続ける人と未来を観測するための補助線として。
5.チームとして
「昔の親戚のおじさんみたいですね」
そして私たちは、1つの目標を共有するチームです。
なるべく、オープンに、フラットに。
学校の先生や、塾にも協力してもらうことはたくさんあります。
受験、思春期、人間関係のトラブル、何らかのやらかし・・・
いろいろあります。
いろいろあるからこそ、なるべく多彩なメンバーと協力していきます。
しかし長く一貫して支えるという意味では、
学校や親族、地域では支えきれないケースもあります。
私自身も共に成長する仲間として、
一人一人のチームのメンバーに加えてもらっています。
他人だけど他人じゃない。他人じゃないみたいだけど、やっぱり他人。
そんな微妙な立ち位置で、
渦中にいる人の外側の目として。
