「夢中」に立ち会うことができる幸せな瞬間
生き物って不思議で美しいなと思い始めたのは、小学校低学年のときに近所のニンジン畑でキアゲハの幼虫を見つけてきて飼い始めたとき。(幼虫の写真は苦手な方も多いと思うので代わりに紫陽花)
図鑑を見たり、観察したり、捕まえてきたり、飼育したり、いろいろな動物と触れ合ってきましたが、人間はまた独特ですね。
特に、子どもたちが何かに夢中になっていく瞬間。邪魔をしてはいけない、神々しい何かを感じます。
そんな瞬間がいつも訪れるわけではありません。むしろ、日常のあれやこれやに感情が振り回されて、わさわさ・わさわさしている方が常態に近い。だけど、ゆっくりと話を聞いたり、そこから他の物事への連想・飛躍・類推・学びなどを引き出していくと、いつの間にか「夢中」な顔をしていたりする。
そんなとき、この仕事をやっていて幸せだなと感じます。
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心配なのは、今の子たちの多くは、「疲れてるな」と感じること。
いろんな刺激がいっぱいで、特に塾に来るような子ですから、テストの点数やら、偏差値やら、順位やら、、、いろんな「数字」に振り回されて、とにかく「こなさないと」となっている子(および保護者)もいて、、、
成長を見守ることは、実は結構難しいのかな?
数字で判断して、「できる子」を作りたいのかな?
ときどきわからなくなってしまいます。
不機嫌で、疲れて、頭が止まっていて、締め切りに追われて尻を叩いたり、ご褒美で釣ったり・・・それが理想の姿だったり、将来に必要なことだったりするのでしょうか。
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アルバイトをしてもらっている大学生たちに、いつも言っています。
「自分が将来、人の親になるときに絶対に参考になるから、
子どもたちの一挙手一投足、ちょっとした表情の変化、いつもと違う反応・・・
に気づけるようになっていこう。教えるのなんか二の次でいいから」
もちろん、それだけで足りるわけではありません。
だけど、今はいろんなことを分断しすぎている。あれはあれ、これはこれ。本音と建て前。ONとOFF。文系と理系。心の豊かさと経済的な豊かさ。ミクロとマクロ。夢を追いかけるか現実的に割り切るか。生物としてごく基本的なことと高度な社会で抽象的に生きていくこと・・・テストで点数を取ることと学びそのものが楽しいと思うこと。
割り切らないで、同時に考えられないかな。
対照的なものごとを、同時並行で処理することは、
人間はほんとうは、できるのではないかと思っています。
まずはじっくり観察すること。
観察させてもらってるんだと思うと、とても貴重な一瞬に思えてきます。