週1,2時間で結果を残す、当たり前 (つづき)
2.バラバラにして、組み換えること
学校のカリキュラムや、受験塾で小学生に3年間(以上)も、
週に何時間も追加の勉強させていることの根本問題の1つは、
人間(の頭の中)が生物であることを忘れているからだろうと思います。
私自身の経験、教えている中での経験も、
決して、1段1段、理解が進むわけではない。
まったく進まないときもあれば(長い)、わかるときには一気にすべてがわかる。
受験算数では細かく、〇〇算、△△算・・・と分けていますが、
できる子は全部できるし、できない子は全部できない。
★ 線分の長さが、数の大きさを表している
★ 言い換えると、線分は小さな球がならんでいるのと同じ
ということが、心の底から分かっているかどうかが、
両者の分かれ目となっています。
できていない子には徹底して、
並べる、揃える、比べるということを、
いろいろな具体的なものを使って実験し、
それをだんだんと図という抽象的なものに置き換えて行っています。
それがあるときはっきりわかる。
ユレイカ! Aha!
そしたらもう、何もかもができる。
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小さな小さな、概念的な理解、論理的つながり、
別のものを同じとみなせること(アナロジー)、
注意を引きつつ、同じことを形を変えて繰り返し繰り返し・・・
地味すぎて、まったく「映え」ないです。
ブリコラージュ
(ありあわせのもので何とかする)
生命の進化はむしろブリコラージュ的に進んでいくように見えます。
頭のなかも同じように、既によく知っていることと関連付けられるか、
完全に自分の一部のように使いこなせる道具を持っているか、
ということが重要なのではないでしょうか。
*覚えさせたら、むしろ弊害が大きい
*大事な論理的思考力が育つ機会を奪ってしまうから
(つづく)