2011年3月12日土曜日

地震そのとき

20年後の未来のために、青山プレップスクールです。

3月11日午後2時50分になろうとしていた頃でしょうか。
青山プレップスクールもその時を迎えました。

ちょうど中学生の授業をしていて、それもそろそろ終わりかな?という時。

「あ、地震だね」 (初期微動)
「あ~大きいね」 (主揺動)
「あ~、長いね」
(周囲を見回しても、特に大きな重たいものも、天井にぶら下がってるものもないので)
「まあ、でも一応机の下に入っておこう」

TVがないので、すぐにインターネットで調べました。
震源地は東北地方の太平洋沖とのこと。

東京からは近くはないので、とにかく慌てずに、
もう少し状況を確認することにしました。
(その間、余震は続きます)

電話は通じない状況で、
とにかく、来た子は確実に保護しつつ、
『今、ベストな行動はなんだろう?』


そのうち、今日授業が入っている先生たちもやってきて、
街の様子なども伺いながら、連絡を待つという状況。

携帯の充電と、無駄遣いをしないことと、
ある程度の食料、飲料を確保すること、
余震がある限り、電車はどうせダメだろうから、
道路の状況を確認したりと。


ここにいるのが安全そうと思いつつも、
揺れによる被害が、東京でこれ以上なさそうだと判断し、
先生も早めに帰ってもらい (もう少し早く判断できたかも)

ぼくは、万が一生徒さんが来てしまったら
保護しなければならないので、
深夜まで待機していました。
その頃には銀座線も再開し、バスも動いていましたが、
混雑がいやだったので、歩いて帰りました。

走れるところは小走りになりながら、
大勢の人が、いっせいに同じような行動をとってしまうのを
何か空恐ろしく感じながら。


TVなどニュースはあまり見ていないのですが、
震源地に近い方々のことを思うと本当に。。。

そして、電力や食料、ごみ処理など、
東北地方に頼っている東京は。。。
(って東京はどうせ、他の所から買うだけだから、
被災地ほどには結局困らない、本当に大変なのは
東京など大都市から《機能》としか見られていない地方である
というのが、ぼくの卒業論文のテーマでした。
理工学部管理工学科OR研究なのに。。。)

だからぼくは、
できるだけ冷静に状況を判断して、
先を予測し、
そしてできるだけ被災地のことを想像すべきと
できることを粛々と。


予期せぬ事態に、ちゃんと考えて行動できること、
(マニュアルなんかを大量に作るよりは、個を磨け)
そして、できれば地震に対する抜本的な解決策を編み出すこと

卒業していく生徒さんたちには、ぜひそんな大人になってほしいなと思います。


まだまだ余震は続きます。(これを書いている間も何度か)

ぼくにできることはないか?
ぼくが今取るべきベストな選択は何か?

考えて行動していきます。